【KAC20233ぐちゃぐちゃ】魔法人形は夢をみる

羽鳥(眞城白歌)

さいはての街、魔女の城、閉ざされた画廊、――熱砂の旅路へ


 世界が終わるまで、だれも私を起こさないで。

 そう書き置いて眠りについたのは、ようやく桜が咲きはじめた早い春だったと思う。

 それから、季節がいくつ巡ったの?


 ずうっと、世界の終わりを願っていた。ずっとずっと、その日を夢みてた、けれど。


「うそ、こんな……ことって……」


 ぽろりとこぼれた声は、しんと静まりかえった夜に呑まれて消えてゆく。

 見あげれば眩しいほどの青い月と、紺青こんじょうの夜空にばらまかれた銀砂の星辰せいしんと。そらを遮るはずの天井も屋根も、今はぜんぶ崩れ落ちて置物みたいに散らばっている。


 天上の星が砕けて落っこちてきたのかもしれない。

 自室に引きこもって眠っていたはずの私が今いるここは、画廊だった場所だ。私の身体には灰よりましろな塵と砂礫されきが積もっていた。つまり私は、壊れて砕けて粉々になった自分のお城に埋もれていたらしい。


 ようやくそこまで現状を理解した私は、とりあえず立ちあがってみることにした。

 手にも脚にも傷ひとつなく、頭と身体もちゃんとつながっている。眠っている間にますます伸びた白髪はくはつは、膝裏をこえてそろそろ地面につきそうだ。

 ためしに、背の翼を顕現させてみた。やわらかな獣毛に覆われた長い耳もパタパタと動かしてみる。問題なし、異常なし。

 こんな異常事態にもかすり傷ひとつ負わないなんてどうかと思うの。やっぱり私は人形で、生身の存在ではないのだ。でも、だとしたら。


 何度か目を瞬かせ、視界に異常がないのを確かめてから、思いきって辺りを見まわす。どこまでも広やかな夜の空と、凸凹でこぼこの影を伸ばす地面。飾ってあったはずの絵画がいくつも地面に落ち、奇妙な雰囲気をかもしていた。まるで廃墟化した画廊のように。

 のろい竜がやってきて噛みついても壊れないという触れ込みのお城が、ここまでめちゃくちゃになるなんて絶対に普通ではない。そらから星がちてきて砕かれたとか、世界が終わるとか、そんな天変地異でも起きない限りは――。


 ふいに、ふわ、と風が巻いた。振り返った視界に、見覚えのあるひとの姿が映りこむ。細身の身体、枯れ色の髪、背には大きな鳥の白翼。

 崩れて重なる煉瓦れんがの上にたたずんでいたのは、私に名前と、魔法が込められた竪琴ライアをくれたひとだった。


真白シロは、無事だったんだね」


 ほっとしたような、泣きそうな。

 天蓋の向こうどこでもないところへ行くと言って旅立った彼が、なぜここにいるのだろう。


「神様はついに、世界ここてることにしたらしいよ」


 つまり、世界が終わったってこと。

 それだけ言って小さく笑った彼は、笑っているのに泣きそうだった。クールな振りをして寂しがりやなこのひとは、噂を聞きつけて天蓋の向こうどこでもないところから戻ってきたのかもしれない。みなの、安否を確かめようとして。


「今の世界、ひどいのです?」

「酷いってものじゃないね。もう、なにもかも滅茶苦茶だよ。国家も街も崩壊して、国境だって意味がない。人間たちだって――」


 言いかけて、彼は唐突に口をつぐんだ。周囲を見回し、ふたたび発した声のトーンはさっきより低い。


「もしかして、なにも知らなかった?」

「私、冬眠してたのです」

「それは……」


 絶句、というのは今の彼みたいな状態を言うのだろう。

 しばし目を伏せ、彼はなにかを考えていた。しばらくして、月下に輝く両目が私を見る。


真白シロも一緒に来る?」


 きっと彼は、自宅の残骸に埋もれて途方に暮れているように見えた私を、心配してくれたんだろう。

 少し迷ったけど、私は首を横に振ってこたえた。

 彼と一緒にいくのは、私ではないだれかのほうがお似合いだと思ったから。


 このときの私は、世界がどれだけ絶望的に壊れたのかをまだ知らなかったのだ。

 



  +++

 



 錬金術師が風魔法を造ろうとしていて偶然できあがった魔法人形ホムンクルス。それが、私。

 あるいは風の精霊、そう呼ばれることもある。


 擬似ニセモノの生命と、人間ひとに似た感情こころが宿っているけれど、私の身体は生身ではない。合成獣キメラよりは魔法的な造りモノで、食物も水も必要としない。

 灼熱しゃくねつの砂漠を裸足でどれだけ歩いても、皮膚が焼けたり、内臓がだめになったりすることはないのだ。

 とはいえ子供サイズな私の徒歩ではいくらも距離を稼げないので、今は使い魔ペットの銀竜に乗せてもらっている。楽だけど、このこもマイペースな性格なので、あまりスピードアップできていないかもしれない。


 世界は、私が想像していた以上にひどい有様だった。

 ずっと願っていた世界の終焉しゅうえんが、こんな形で叶えられるなんて。見れば見るほど、探せば探すほど、希望も未来も見つけられなくて。


 造りものの心に、痛みなんてないと思っていた。それなのに。

 だれよりも終わりを望んでいた私が生き延びて、生きたいと願うだれかが失われてしまった。罪悪感が棘になって心をえぐり、後悔が押し寄せて心が溺れそうになる。こんな感情が自分の中にあっただなんて。


 いつしか、確かめることよりも探すことが目的となっていたのかもしれない。


 最初に気づいたのは銀竜だった。

 なにもない、ただ平坦へいたんな熱砂の大地。それでも目をらせば、かつてあった街の面影を見いだせる。なんという名前の地域で街だったか、今となっては思い出せないけれど。

 見渡せば、小高い砂地の向こうに火山が見えた。この街を襲ったのだろう悲劇を思い巡らせながら、私はこの場所を後にしようとした――のだけれど。


「クルゥアァ」


 銀竜が呼びかけ、トゲのついた尻尾の先で砂をきはじめた。私はかれが促すままそこへひざまずき、かれにならい、両手を使って砂色の地面を掘ってみた。

 水気の失せた砂粒を掻きだすのは思った以上に難しい。それでも、苦になるわけでもなく、無心で掘り続けることしばし。指先がなにかに触れた気がした。


 ――まさか。

 ううん、そうだとしても、こんな熱く乾いた砂に埋もれたまま、人が生き続けていられるはずがない。

 でも、それでも、もしかしたら。


 心に冷たい恐怖が差し込み、それを振りきろうとただただ手を動かす。必死で、夢中で、隣に寄り添う銀竜が尻尾を使って一緒に掘り進めていたことにも、今さらながら気づく。

 長い時間が経った気がした。本当のところはどうだったか、わからない。

 そうしてようやく掘り出したのは、干涸ひからびきって生気の失せた人の身体、だった。驚いたことに、生きている。でも、こんな状態のひとをどうやって助けたらいいのか、私にはわからない。

 心の奥が震え、冷たい恐怖が棘を伸ばす。もっと早く来ていれば、助けられただろうか。

 水も食べ物も必要ないなんて思わずに、自分のためにではなくだれかに与えるため、今ここで使える水を携えていたら――。造りもののこの身体には血液どころか、涙の一滴すら流れることはない。与えられるものが、なにもない。


「おねがい、死なないで」


 いつの間にか、心の中に大きく育っていた悲しみのかたまりが、ぐしゃりと潰れた気がした。無我夢中で手に取った魔法製の竪琴ライアを抱きしめて、願う。

 ふぃん――……と、こたえるように竪琴ライアがうたった、気がした。


 干涸ひからびた腕がかすかに動き、骨と皮ばかりの指がもがくように砂をいた。驚いて見つめる私の前で、もう助からないと思ったその人の身体に生気が戻り、みずみずしさまでもが戻ってゆく。人間にはあり得ないその回復を、私は驚きすぎて声もなく見つめていた。

 思ったより若いひとだった。竪琴ライアをくれた彼よりは歳上に見えるけれど、人間離れした綺麗な顔立ちと滑らかな肌の、男のひと。そう、ミイラとみまごう姿だった彼はいつの間にか、火傷も傷もなにひとつない姿にまで回復していた。

 どういうことか、私にはまったく、理解できないけれど。


「良かった、生きてた」


 ただ、それだけを思う。

 砂に埋もれていたひとが瞳を上げた。その表情はどこかうれいを帯びていて。


「あなた、は?」

「私は、真白ましろ


 彼が発した声はだいぶかすれてはいるものの、はっきりと聞き取れる強い音だった。それが嬉しくて、心の中に明るい灯がる。

 でも、彼のほうは違っていたらしい。


「……あなたは、……なぜ、……?」


 しばらく沈黙したのち、掠れた声で彼がぽつんとこぼした声音を聞いて。私はなんとなく気づいてしまう。

 彼は、生きていた――のではなかった。

 死のうとしていて、死ねなかったのだ――と。


 その瞬間、心に吹き荒れたこの嵐を、どんな言葉で言い表したらいいのだろう。

 彼はきっとこの場所で、大切なだれかを失ったのだ。どんな事情かはわからないけれど、きっと彼もの存在なのだ。世界の崩壊によって生きる意味を奪われ、生をいとい、朽ち果てることを望んだのだ。


 それを、私が連れ戻してしまったから。

 だから彼は今、絶望と虚脱感を抱いた瞳で今にも泣きそうな表情かおをしているのだ。それを理解した途端、衝動が突きあげて、私は思わず魔法の竪琴ライアを手放した。


「泣かないで。お願い、泣かないで」

 

 この身体には、血も涙も流れない。

 ぬくもりも、湿り気も、匂いも、心音も、なにもない。

 私にあるのは言葉だけなのに、こんなときなにをいえば慰めになるのかがわからない。今にも消えてしまいそうな彼をつなぎとめたくて、私は腕と翼を思いきり伸ばし、彼の身体をかかえ起こして抱きしめた。


 人間ひとは、こんなとき。

 どんなふうに言葉をかけるの。どうやって言葉を選ぶの。


「いっしょに行こう?」

「……いったい、どこへ?」


 精いっぱい押しだした言葉に、失笑が返る。けれど、その声は涙で湿っていた。


「私は此処ここ以外に、帰る場所などないんです」

「違うよ」


 ここで頷いたら、振り払われてしまう気がして。私は、必死の思いで首を振る。

 過去は返らないし、未来には絶望しかないのかもしれない。だとしても、見つけてしまったのだからもう置いていくなんてできなかった。


「ぜんぶ失ったら、はじめから、さがすしかないの」

「……探す、って」


 青年が、はじめて戸惑いを見せる。あと一押しが欲しくて、私は懸命に言葉を探す。


「ぜんぶ、はじめから。生きてく理由いみも、愛するひとも、帰る場所も……ぜんぶよ」


 腕をほどき、私は彼とまっすぐに向き合った。きっと、彼はなにか事情があって死ねない身体なのだろう。触れた肌に人の体温と血流を感じたから、私とは違って生身ではあるのだろうけど。

 この熱砂に長く埋もれてさえ、彼は死ねなかったのだ。ただの失敗作つくりものである私より、ずっとすごいことを成せるに違いないのだ。


「ねぇ。私とあなた、終われない巡り合わせなら、ソレを探しにいっしょに行こう?」


 差しだした、この手をつかんでほしい。私はあなたをひとり残したくないし、私ももうひとりは耐えられないから。

 そんな思いが、伝わったのかもしれない。


「あなたが、迷惑でないのなら」


 彼は私をまっすぐ見返して、小さく苦笑してからそう言って頷いた。頷いて、くれたのだった。




  +++




 世界のはてで、夢をみていた。

 世界が終わる夢を。


 ずっとずっと、それを望んでいたのに。

 なのに、どうして。

 造りものの心がこんなに痛むだなんて、だれも、教えてくれなかった。


 知っていたなら、私。

 会いたかったひとたちが、たくさんいたのに。


 世界は壊れきって、今もぐちゃぐちゃのままだけど、探しにいくから。


 私たちがたどりつくまで生きていて。

 どうか生き延びて。




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