ぐちゃぐちゃさん

凪野海里

ぐちゃぐちゃさん

 ぐちゃぐちゃさんって知ってる? この話を1週間以内に誰かに広めないとぐちゃぐちゃさんがやってきて、ぐちゃぐちゃにされるんだって。



「それ本当〜?」


 誰かを待っているわけでもなく、何か用事があるわけでもないのに。放課後の教室には何故か、人が集まりやすい。

 そんななか、双葉ふたばたちの話題は宿題がめんどくさいだの、三条先生がムカつくだのといった愚痴から始まり、新作のリップクリームの話や休日に買った洋服の話、テレビの話と。話題は様々な方向にずれていって、やがて話題はそれぞれが最近知った怖い話へと移ったのだ。


 双葉は怖い話が嫌いではないけれど、かといって好きということもない。クラスメイトたちは口裂け女だの、人面犬だの。花子さんだの。やたら古臭いありきたりのホラーしか話さない。


 みんなの反応も「それ聞いたことある〜!」ばかりでつまらない。だから双葉はちょっと面白がって、存在しない怖い話を自分の中で瞬時に作り上げてみんなに披露したのだ。

 昼間と比べて極端に人の気配がなくなってきた学校で始まる怪談話はそのシチュエーションだけで、恐怖感を増す。いくら今までありきたりのホラーしかなかったとはいえ、クラスメイトの中には何かを感じ取っているのか。辺りを伺っている者が何人かいた。

 恐怖へのパラメーターが徐々に上がっていくなか、双葉は自分で考えたありもしないホラーを話したのだ。もちろん恐怖は最高潮に達した。


「誰に、誰に話せばいいの!?」

「ここにいるメンバーは駄目だよね?」


 騒ぎだすクラスメイトたちを相手に、双葉はほくそ笑む。

 うまくいったと思いながら、双葉はある視線に気が付く。そちらを見るとクラスのなかで1番仲の良い紫苑しおんが人を怪しむような目で見ていた。双葉はすぐに目をそらす。きっと彼女にだけは今のがウソだとバレていたかもしれない。幼稚園生の頃からの付き合いのせいもあるだろう。


「でもね! ぐちゃぐちゃさんってとっても見つけやすいからさ、もし会ったとしても逃げれば大丈夫だよ」

「それってどんな?」


 食いついてきたクラスメイトに、双葉はさらに調子に乗る。


「ぐちゃぐちゃさんは、名前の通り。ぐちゃぐちゃって音をさせてるんだって。だから、その音を聞いたら逃げちゃえば良いのよ」


 ぐちゃぐちゃ


「そう、こんな音!」


 ぐちゃぐちゃ


「こんな音って?」


 ぐちゃぐちゃ


「だからこの音だよ」

「だから、どこからこの音するのよ!」

「え?」


 そういえば、どこから。


 ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ


 音はいよいよ大きくなる。しかも、今この教室で聞こえている。

 みんなの目が双葉の後ろを見ている。この後ろに、何がいるのか。双葉はとっさに大きな声で叫んだ。


 それに呼応するように、クラスメイトたちも騒ぎだす。


「うぉ、なんだなんだ」


 声は男性のもの。しかも聞き覚えのあるものだった。驚いて後ろを振り返ると、そこにいたのは担任の三条さんじょう。無精髭を生やした不機嫌そうな顔で、口をぐちゃぐちゃ動かしている。 


「ったく、お前ら。何のために放課後の部活がないと思ってんだ。期末試験は来週だぞ」


 しゃべっているあいだも、口をぐちゃぐちゃ動かしている。どうやらガムでも噛んでいるらしい。

 全員、安堵の息をつく。なんだ、ただの先生だったと思いながら。


「もう、脅かさないでよ先生~」

「びっくりしたじゃん!」

「あぁ? なんでも良いから早く帰れ、お前ら。次の試験、レベル上げんぞ!」

「意地悪!」

「サイテーッ!」

「だから嫌われんだよ」

「なんだお前らぁ」


 拳を振り上げて、子どもっぽく抗議をする三条に双葉たちはキャアキャア騒ぎながら鞄を持ち、教室をでていこうとする。

 最後に双葉も出ようとしたとき、三条に「おい」と声をかけられた。


「はい?」


 三条はまだ口をぐちゃぐちゃさせていた。彼は、双葉の目線に合わせるように腰をかがめると、「お前さぁ」と口をぐちゃぐちゃ言わせながら低い声で凄んだ。


「ぐちゃぐちゃさんの話、しちゃ駄目だろ」

「え?」


 思わぬ言葉に双葉は一瞬思考が停止する。

 三条はその身を起こして、不敵な笑みを浮かべた。

 双葉は思わず笑い出す。


「あれはただの作り話ですよ。ていうか先生も、仕事中にガムなんて噛んでて良いんですか? 校長先生に言いつけますよぉ?」

「ガムぅ?」


 ぐちゃぐちゃ、と動かしていた口を。三条は初めて止めた。それから、口を開ける。

 そこには、何もなかった。双葉はあっけにとられる。


「ガムなんて、始めから食べてないぞ」

「ウソ……」


 じゃあ、今までのぐちゃぐちゃという音は、いったいどうして。

 青ざめる双葉を前に、三条は豪快に笑うと彼女の肩を強くたたいた。


「ま、来週からの試験頑張れよ」


 三条は笑いながら双葉の脇を通り過ぎ、教室を先に去っていく。入れ違えで、紫苑が戻ってきた。


「何してんの、双葉。置いてっちゃうよ」

「あ、うん……」


 思わずうなずくけれど、先ほどの三条の言葉が頭から離れなかった。


 ――ぐちゃぐちゃさんの話、しちゃ駄目だろ。


 ぐちゃぐちゃさんはそもそも、ついさっき双葉が思いついたばかりの物語のはずだ。存在しないはずなのに。

 けれど、もし存在するとしたら。今度は自分がぐちゃぐちゃに……?


 怖い想像をしそうになって、双葉は頭を振ってその考えを追いだす。

 大丈夫。だって自分は他のみんなにそれを話したし。ぐちゃぐちゃにされる心配はない。


 ……でも、あの話を聞いたばかりの他のみんなは?


 ますます怖い想像をしそうになる。双葉は思わず隣を歩いていた紫苑に抱き着いた。


「わ。何?」

「紫苑、急いでぐちゃぐちゃさんの話。誰かにしないと駄目だよ!」

「は? あれってあんたの作り話なんじゃないの?」


 ぎゃあぎゃあ騒ぎながら教室をでていく彼女たちの姿は、廊下の向こうへと消えていく。

 その後ろ姿を廊下から見送りながら、三条は笑って口をぐちゃぐちゃと動かした。

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ぐちゃぐちゃさん 凪野海里 @nagiumi

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