【KAC20233】その「かわいい」がわからない

草群 鶏

その「かわいい」がわからない

 みどりは荒れ果てた自室でひとり絶望していた。

 手持ちの服のほとんどをベッドの上に広げたのに、どう組み合わせても一向に可愛くならない。あれやこれやと引っ掻き回したせいでぐちゃぐちゃな様子はまるで浜辺に打ち上げられた昆布のよう、それもこれも青とか緑とか黒っぽい服ばかり持っているせいなのだが、ふっと気が遠くなったついでに波の音が聞こえた気がして、慌てて頭を振る。

 サークルの先輩のツテで、憧れの人に会えることになった。ひと目会えるだけでも嬉しいのに、時間をとって一緒にお茶してくださるのだという。こちとら握手会レベルでいっぱいいっぱい、相手はいちおう一般人なので握手会なんて開いてもらえるわけはないのだが、こちらがじっくりご尊顔を拝めるということはあちらもこちらをとっくりと検分できるわけで、つまり深淵を覗くとき深淵もまたこちらを見ているわけである。こんなに恐ろしいことがほかにあるだろうか。

 ……あるな。

 部屋ばかりでなく翠の頭の中ももはやめちゃくちゃである。女性にしては凹凸に乏しい縦長の身体つき、コンプレックスはあるものの、二十年も経てばあるていどの折り合いがついて似合う服を選べるようになる。直線的で身体のラインに沿うもの、あるいはオーバーサイズでボーイズ感の出るもの、これまでこつこつと揃えてきたワードローブは方向性がしっかり定まっており、しかしいま翠が欲しいものはひとつもなかった。

 すこしでも可愛く見られたい。でも世間一般で可愛いとされているものを自分が着るとコスプレにしかならない。現に、憧れを捨てきれずに買ったブラウスやワンピースはどう着ればいいのかわからなくて結局人に譲ってしまった。安易に手放さずに着こなす努力をすべきだったのだろうか。

 わからない。なにも、わからない。

 ――ピンポーン

 立ち尽くした翠がいまにも膝をつきそうになったとき、玄関のチャイムがのどかに鳴った。翠は頭をかきむしりつつ、ドアスコープに頭突きせんばかりの勢いで訪問者の姿を確認し、相手が知り合いとわかると無造作に扉を押した。

「うお」

「なに?」

「なんでおこってんの」

 あからさまに棘のある態度に、訪ねてきた同期、竹内良たけうちりょうは目を丸くした。短い髪は上手に逆立ててあり、耳たぶにはシルバーのピアス。今どきの男子も、こうなっては豆鉄砲を食った鳩である。戸惑うのももっともだと反省して、翠は努めて深呼吸して仕切り直した。

「ごめん、ちょっと服が決まらなくて」

「なんの」

 かくかくしかじか、翠がかいつまんで状況を説明すると、彼は笑いも呆れもせずにただ「へえ」と眉を上げた。借りたものを返しに寄っただけらしいのに、いつのまにか慣れた様子でお茶をすすっている。

「別にいつものかんじでよくない?」

 明らかに他人事な調子に、翠の苛立ちが首をもたげた。良は何でも言い合える気のおけない友人だが、彼のおおらかさは無神経と紙一重だ。

「よくないから悩んでんじゃん」

「うーん、みどりはどうしたいの」

「だから、ちょっとでも可愛くして行きたいんだよお」

 食い気味で言い返すなり、翠はとうとうどうしようもなくなって地団駄を踏みはじめた。いつもクールな翠が珍しく取り乱す姿を面白く眺めながら、良が声をあげて笑う。

「笑わないでよ」

 憤慨する翠に、良はなぜか笑みを深めた。

「いや笑うでしょ」

「なんでよ」

「この状況がすでにめちゃくちゃかわいいから」

「は?」

 ちょっと何言ってるかわからない。わからないなりに腹は立つので、とにかく思いついた文句を口に出す。

「どんなかっこでもかわいいとか適当なこといったら殺す」

「どんなかっこでもってことはないでしょ。いつものかんじがいいよ。こういうのは自分にしか似合わないんだって、いっつも自信満々だったじゃん。なにをいまさらブレてんの」

 絶句した。その言葉は思いがけず胸に刺さり、実は一番欲しかった答えだと少しおくれて気づいた。なりたい可愛いにはなれなかったけれど、自分なりに見つけた可愛いにだって愛着も誇りもあるのだ。良は翠をちゃんと見ていた。

 しかしいまの翠にこの事実を正面から受け止める余裕はない。

「ちょっと、いまそういうのやめてくれる?!」

「なんで俺おこられてんの」

「タイミングが悪い!」

「えー、褒めてんのに」

 へらへらしているようで譲らない良の様子に、なんだか気恥ずかしくなって大雑把に服を片付ける。無いものを探すのをやめたら着たい服のイメージがおのずと浮かんで、まとめた服の山のなかから引っ張り出した候補はわずか数着。以降、あんなに悩んでいたのがウソのようにすんなり決まった。

「よかったじゃん。俺のおかげかな」

「うるさいよ」

 素直になんてとてもなれない。憧れのそばで芽を出した新たな感情に、翠の心はいっそうぐちゃぐちゃになるばかりだ。こちらが片付くには、もうすこし時間がかかりそうである。

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