愛情はぐちゃぐちゃに
lager
ぐちゃぐちゃ
今日はチンジャオロースを作りましょう。
昨日見たテレビのお料理番組で紹介されていました。
私の愛しい人はお肉料理が大好きですから、きっと喜んでくれるでしょう。
冷蔵庫の中身をチェック。
材料はいつも多めに買い置きしてありますから、これなら買い出しにいかなくても大丈夫そうです。
何事も事前の準備が大事。
昔からお仕事道具の手入れと補充は欠かしたことがありません。
まずはお肉に下味をつけるそうです。
豚バラ肉を細切りに。
包丁だってピカピカに研いでいますから、どんなお肉もすいすい切れます。
なんでも、刃物で人を幸せにできるのは、料理人だけなのだとか。
素晴らしい格言です。誰が言ったのかは存じませんが。
たん、たん、たたたん。
お肉が切れていきます。
実に滑らかに切れていきます。
だんだんと興が乗ってきました。
たたたん。たん。たん。
たたたたたたたたたたたたたたたたた。
…………おや?
どうしたことでしょう。
私は確かにお肉を細切りにしていたはず。
それなのに、いつしか目の前には原型を失くすほど細断されたお肉の山ができていました。
これは……一般的には、ひき肉というのではないかしら。
ふむ。
チンジャオロースというのは、ひき肉で作ってもいいものなのかしら。
いえ。いいえ。
良いか悪いかで言えば悪くはないでしょう。
私の愛しい人なら、何も気にせず召し上がってくれるでしょう。
しかし、こういう細かい場所で妥協をしていては、この先も私はお料理を作るたびに自分に妥協を許してしまうでしょう。
大丈夫。どんなことにもトラブルはつきものです。不測の事態にも柔軟に対応する。私の経験を活かす時です。
折角ですから、このお肉は完膚なきまでに叩きのめして正真正銘のひき肉になって頂きましょう。
そう。今日のメニューはハンバーグです。
殿方はみんなハンバーグが大好き。いえ、私の愛しい人以外の殿方に興味などございませんけれど。
ハンバーグの作り方も、私たちの愛の巣たるこのアパートの大家様に教えて頂いたことがあります。
取りあえず出来上がったひき肉はよけておいて、玉ねぎをみじん切りに致しましょう。
たたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたた。
できました。
何やら鼻の奥がツンとしますが、この程度で私の動きは止められません。
フライパンにバターをしいて、玉ねぎを炒めていきます。
飴色になってところで取り出し、冷ましておきましょう。
次に用意するのはパン粉。こちらに牛乳を浸し、吸わせておきます。
次にタマゴ。
私にとっては一番の難所。
ああ。ニワトリさん。どうしてもっと頑丈な卵を産んでくださらないの。
私の手の中で、くしゃりくしゃりとタマゴの殻が割れていきます。
どうにかこうにか黄身を別け、殻の破片を取り除き、ひき肉に合わせます。
塩コショウを少々。
毎回思うのですけれど、少々っていうのはなんなんでしょう。
これからお料理を覚えようとしている人に対して、あまりに不親切ではないでしょうか。あと、弱めの中火とか、ざっくり混ぜるとか、ふんわりかけるとか、意味が分かりません。
ごほん。
とにかく、卵とひき肉を混ぜ合わせましょう。
大家様は、手が汚れないようにビニール手袋を用意した方が良いと仰られましたが、お肉の脂くらい、直ぐに落とせるでしょう? 私、手を洗うことにかけては一家言あるんですよ。
混ぜていきます。
ぐにぐにと混ぜていきます。
ぐちゃぐちゃと混ぜていきます。
だんだんと興が乗ってきました。
ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ。
ちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃ。
ふう。
お肉に粘りが出るまでとのことでしたが、どうでしょう。
…………どうなんでしょう。
粘り、というよりは、ほとんど塊のようになっているのですが、これはどう判断すればよいのでしょう。
まあ、形は作りやすくなるでしょうから、よしとしましょう。
先ほど炒めた玉ねぎと、牛乳を浸したパン粉を加え、さらに混ぜていきます。
ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ。
ちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃ。
そして俵状に成型。
両手の中で投げながら空気を抜きます。
ぱん。
ぱん!
ぱぁん!!!
ぱぁあんんん!!!!!
おや。外で鳥の羽ばたく音が聞こえます。
驚かせてしまったでしょうか。
ですが、一見意味があるのか分からない工程にこそ、お料理の完成度を高める秘訣があるとは大家様の言。
手を抜くわけには参りません。
フライパンに油をしき、まずは片面を焼いていきます。
しっかり焼きを入れ……もとい焼き色を入れて、ひっくり返します。
返しました。
その瞬間、ハンバーグが崩れました。
…………え?
フライパンの上で、じゅうじゅうと音を立てながら、崩れたハンバーグが焼けていきます。
え?
なぜ?
なにかここまでの工程に誤りがあったのでしょうか。
ここから取り返しはつくのでしょうか。
スプーンを両手に持ち、崩れたお肉を纏めてみましたが、スプーンを離した途端に再び崩れてしまいます。
その間にも、じゅうじゅうと火が通っていきます。
ふむ。
ふむふむ。
……今日のメニューはマーボー豆腐に致しましょう。
大丈夫。
なんていったって、最初はチンジャオロースを作ろうとしていたのですから。
中華から中華へ帰るだけです。
そうと決まれば、早速香辛料とお豆腐を用意しましょう。
そして、このお豆腐を賽の目切りに…………。
お豆腐を、賽の目切りに……?
私が?
この、この世でもっとも脆く儚い食材を、賽の目切りに……?
む、無理です。
不可能です。
五十人のボディーガードをすり抜けてマフィアの幹部を殺すよりも難易度が高いです。
ぐちゃぐちゃに飛散したお豆腐の姿が今から見えてしまいます。
ど、ど、ど、どうしましょう。
このままでは、ぐちゃぐちゃのひき肉とぐちゃぐちゃのお豆腐で私の愛しい人との食卓がぐちゃぐちゃなことに!
ぴんぽーん。
その時、玄関のチャイムが鳴らされました。
私がパニックになりながらもなんとか返事をすると、がちゃりとドアが開けられ、大家様が顔を出されました。
「ごめんね、マオちゃん。ちょっと聞きたいんだけど……なにやってんの?」
そのご尊顔が、私には地獄にもたらされた一筋の光明に見えました。
「ク、クミさん! 助けてくださいませ!」
そして、一時間後。
「ただいま、マオ」
「お帰りなさいませ、お兄様!」
「今日はすごくいい匂いがするね。ドアの外からもわかったよ」
「はい。今日はお豆腐入りのキーマカレーに致しました!」
「わあ。美味しそうだ。今手を洗ってくるね」
「はい!」
うふふ。
やっぱりクミさんは頼りになりますね。流石、この『くわがた荘』の大家様です。今日もまた一つ、お料理の秘訣を教わってしまいました。
『作ってる途中でぐちゃぐちゃに迷走しちゃったときは、カレー粉を入れれば上手いことまとめてくれる』
私に普通の暮らしをくれたお兄様のためにも、もっともっとお料理のお勉強をしなくては。
「マオは本当に料理上手だね」
ああ。
お兄様。そんな甘い声で私を誉めないでください。
あ。およしになって。
頭をそんな風に撫でられては、ああ。
私の脳が、ぐちゃぐちゃに……。
愛情はぐちゃぐちゃに lager @lager
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