混ぜて食べる

かさごさか

まさか鍋ごとあるとは思わなかった。

 高野嶺たかのりょう雨原うはら総合調査室に勤める唯一の従業員であった。


 授業が終わり、退室ボタンを押す。その後、ネットサーフィンやゲームをする訳でもなく、パソコンの電源を落とした。

 日はまだ高いが、それに騙されてはいけない。高野はフリマアプリで安く購入したダウンジャケットに袖を通して、アパートのドアを開けた。

 高野嶺は年齢的に花の女子高生である。訳あって、アパートで一人暮らしをしつつ、基本的に在宅で授業を受けていた。


 ドアノブを捻り、鍵が閉まったことを確認した高野が向かう先は昼間の歓楽街。そこに建つ雑居ビルの1つに入り、2階へと階段を昇る。飾り気のない扉の横には【雨原総合調査室】と看板が飾られていた。その扉を高野は少し眉をひそめながら開けた。

 事務所にはぬいぐるみが積まれた可愛らしい棚がある他、すりガラスの衝立や書類が雪崩を起こしている机など統一感のない備品が置かれている。


「おはようございます」


 時計の短針は右に傾いている時間帯であったが、高野はそう挨拶をした。そして、入り口で立ち止まったままの彼女が眉をひそめたのは事務所の中が雑然としているからでは無い。


 事務所がカレー臭いのだ。


「うん、おはよう」


 事務所の奥でカツカツと音を立てながら食事中の男がいた。彼こと雨原はこの事務所の代表であり、高野の雇い主であった。

 先程からカツカツと鳴っているのは皿とスプーンがぶつかり合っている音らしく、雨原はカレーとご飯をひと口分ずつぐちゃぐちゃに掻き混ぜてから食べていた。


「めっちゃカレー臭いんですけど、先生」


 換気ぐらいしなよ、と言いつつ高野は窓を開けた。太陽光で暖められたはずの窓枠は、すきま風で冷やされ氷のような冷たさであった。


「たかのくんはさぁ、」

「もの飲み込んでから喋ってください」


 雨原に対する高野の言葉が冷たいのも、気温が低いせいであってほしいと思いながら雨原はカレーを水で流し込んだ。


「高野くんはさぁ、カレー混ぜない派?」

「は?」


 雨原が聞いてきたのは、何とも突拍子のない質問であった。


「いや、混ぜながら食べます…けど…?」


 困惑を隠そうともせず、答える高野に「そっかぁ」と雨原は再びカレーをぐちゃぐちゃに混ぜて口に運んだ。


「え、何が?」

「さっき事務所来た時、ちょっと不機嫌だったからさぁ」


 今度はきちんと飲み込んでから雨原は喋り出した。どうやら、顔を少し顰めて事務所に入ってきたのを彼はしっかり見ていたらしい。


「カレー混ぜて食べるの行儀悪いって言う人も世の中にいるらしいし、高野くんもその部類かなって」

「別に気にしてないですよ。ただ、事務所だけじゃなくて階段まで匂いが流れ込んでるのは良くないなって思ってただけです」

「え、そんなに????」


 食事のマナーに関して高野自身、人にどうこう指摘できるような立場ではない。逆に指導される側だと思っている。


 それはそれとして出勤時、雑居ビルの階段を昇っている時からカレーの匂いがしていた。


「依頼に来たお客さんの服や持ち物に匂いが付いたらどうするんですか」


 高野はそれを懸念していた。まだ昼間と言えど、ここは歓楽街の一画。訪ねてくる依頼者は多種多様だが、大半は身だしなみに気を遣っている人たちである。些細なことでクレームに繋げたくはないのだ。

 雨原は最後のひと口を飲み込んで、椅子ごとくるりと体を高野の方へと向けた。


「なんか、ごめんね?」

「…別に、自分が勝手にそう思っただけなんで」


 もごもごと歯切れの悪い言葉を呟きながら高野はダウンジャケットを脱いでハンガーに掛けた。キャスター付きの椅子を引いて座ろうとした時、雨原が再度「ごめん、」と謝ってきた。


「はい?」


 身をかがめたまま顔を上げた高野を見て、雨原は困ったようにへらり、と笑った。


「ちょっと窓、閉めてくれない?」

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混ぜて食べる かさごさか @kasago210

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