白黒ウロボロス

ちぐ・日室千種

白黒ウロボロス

白黒ウロボロス



 人族の若き王太子シュワルツは絶望した。

 かねてより燻っていた民族間の軋轢に端を発する非道なテロが、国王夫妻をはじめ多くの人命を奪ったのだ。

 子供たちを使う極悪な手口だった。ついで、ゲリラ作戦による夜も眠らせない攻撃。

 悪夢だった。


 シュワルツの国では、魔族と呼ばれる者たちが、人族による弾圧を受け、個体数を減らしていた。

 シュワルツは魔族の叡智を惜しみ、その保護を定める法案の制定に奔走し、彼らとも交流を重ねてきたと、自負していたのに。


 数の劣勢を覆すために、魔族は長年にわたり、水面下で人族の子供を攫って洗脳していた。攫った人族同士で交配をして、家畜のように従順な奴隷を作るという悍ましい手段も取っていた。

 全てを告発したシュワルツの最愛の友は、魔族の裏切り者として、四肢を引き裂かれて死んだ。


「なんと情のない奴らだ、いつか、魔族は残らず地獄に落としてやる」


 シュワルツは、怒りのあまり目から血を流し、以来世の中が白と黒にしか見えなくなった。

 殺された者を悼み、それ以上殺されないために、洗脳された同胞を疑い殺める。

 そのたびに、流される黒い血と同じだけ涙を流し、自身が白髪となるまで怨念に染まり、日々黒き祈りを捧げた。


 祈りは天に昇り、神に届く。


 ある夜、神の気まぐれな怒りが、天から地へ、瀑布のように雪崩れ落ちた。

 夜空が真昼のように光ったと、目撃した者は言い、夢の中にいたものは、全身の産毛が立つほどの強烈な違和感を感じたと言った。

 音のない雷光は地に落ち底に潜り、万物の根を掴んで渾身の力で揺さぶった。

 地殻は歪み、地上は恐るべき大地震に襲われたが、神の慈悲にてか、壊滅というべき被害を受けたのは、魔族たちだった。

 魔族の拠点は白い瓦礫の山となり、隙間に挟まれた者の血と呻きが、昼も夜も途切れない。


 シュワルツとその民は、しばらくぶりに訪れた平穏な日々に、心から感謝した。

 真昼の市場に爆炎の魔法が打ち込まれることはなく、子供を攫う子供もおらず、隣人を無闇に疑う必要のない、ささやかな安らぎ。


 ところが。

 近隣諸国がシュワルツに矢のように連絡鳥を放ってきた。

 諸国による魔族のための人道支援を受け入れよと言う。受け入れなければ、諸国はシュワルツの国を正当なる文明の国とは認め難いとまで言う。


「信じ難い」


 シュワルツは白い髪をかきむしり、黒い涙を流した。

 支援された食物を食べるのは、傷ついた無垢な子供たちではない、武器を持ち無辜の民を殺した子供たちであり、殺戮を指示した魔族たちだ。

 支援された毛布で隠されるのは、奴らの凶行と、その犠牲になった血まみれの死体だけだ。


 洗脳された子供が王宮に飛び込み自爆しても、無差別に民家に爆炎が投げ込まれても、捕らえられた王族が見せしめにと生きたまま目をくり抜かれても、徹底して不干渉を貫いていた人族の諸国が。

 何故…!


「これでは、永劫にこの争いは続く……」


 必死に国際社会に働きかけるシュワルツだったが。

 ある日浴びせられた悪口に、ふと立ち止まった。


「彼は上に立つのに相応しくない。災害に苦しんでいるのを見れば、つい手を差し伸べたくなるだろうに。それが人の情だよ」


 立ち止まってしまった。


「なんと人の情けのない若者だ」







 そうか、とシュワルツは気づいた。

 神はシュワルツを憐れんで、鉄槌を下したのではない。

 シュワルツの祈りにはそんな価値はなかった。

 神は、神は、――ぐちゃぐちゃがお好みなのだ。

 地上が争いで混沌としているほうが望ましく、神を頼る人間が絶望に心を跡形なく踏み潰されるのが心地よいのだろう。

 よくわかった。明快だ。

 神は気まぐれではない。一貫している。


 つい湧き起こる同情で人を殺す人を助け、結果罪のない多くの人間を地獄の争いの連鎖に突き落とす。

 そんな人間の方が、よほど気まぐれだ。

 それこそ、神はそんな人間がお好きなのだろう。


 どこからが、神のための喜劇だったのだろうか。悲しく愚かな主役は、きっとシュワルツだ。




 シュワルツは、衝動的に王宮を飛び出した。

 彼を轢き殺したのは、人道支援の旗のもと、輸血用の魔族の血液を運んでいた装甲馬車だった。

 白い髪が、黒い血に染まる。

 魔族のものともシュワルツのものとも知れぬ、ぐちゃぐちゃと混ざった黒い血に。

 その姿を神は、天から見ている。

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