さよならのおと

夏伐

ぐちゃぐちゃ

 扉の向こうから嫌な音が響く。

 ぐちゃぐちゃと何かを咀嚼する音だ。この文明がぶっ壊れた世界に昼夜問わず響く音。


 俺は手に持ったハンマーを構え直した。今このマンションの一室に閉じこもったメンバーで、既に俺を含めて生きているのは三人だ。扉を押さえつつ冷や汗を流しながら合図を待ってるおっさん、俺の横で鉄パイプを構えている女学生、自称サキ。

 そして死んでよみがえったのが部屋の向こうに二人。


 なりゆきで一緒に行動するようになっただけで、俺は彼らの素性なんて知らない。サラリーマンだったとか学生だったとか、そういうのも本当のことだか分からない。

 だが世界が終わろうとする時に出会えば、そんな薄っぺらいものはどうでもよくなる。


 俺は扉を開けるようにおっさんに合図を出した。


「じじぃ、腰大丈夫なの?」


「うるせぇ」


 腰のコルセットを指さして大丈夫だと伝えると、サキはわざとらしくため息を吐いた。


「本当にやんなっちゃう。スミレさんがいなくなったらむさ苦しいのしかいないじゃん」


「俺もガキとじじぃのお守りで負担倍増だ」


「それにしても超意外なんだけど、あのミチルくんとスミレさんが、ねぇ?」


 サキは小ばかにするように鉄パイプの先端で軽く俺の背をつついた。スミレさんを狙っていたのが、こんなガキにまでバレてるなんて……、本当に情けない。


 俺とサキの軽口の言い合いに、おっさんが本当に扉を開けていいのか迷っていた。


「佐々木さん、早く開けてください」


「本当にいいんですか?」


 おどおどした様子の佐々木のおっさんに俺は頷いた。


「そうそう、咀嚼音がしてるってことは共食いしてるってことでしょ。今しかないよ」


 ぐちゃぐちゃという音が響いてもう数時間。既にこの異常事態に慣れた俺たちでも安眠は難しい。

 佐々木のおっさんは「では」と呟くと扉を一気に開け放った。


 中には裸で抱き合う男女の姿があった。

 その二人が絡み合うようにお互いを貪り食っている。肉は削げ落ち、部屋中に血の臭いが漂っていた。


 佐々木のおっさんが扉の陰で震えているのを確認し、俺とサキは向こうの部屋に飛び込んだ。俺はミチルくんの頭を叩き潰した。サキはスミレさんの心臓を狙って鉄パイプを突き刺した。


 今回、俺とミチルくんとスミレさんの三人で食料調達に出かけた結果、二人が感染者に噛まれて死ぬことになった。

 なんで二人とも噛まれて俺が無事かって?


 そんなもん決まっている。こういうチャンスに二人は交友を深めていたのだ。その真っ最中に噛まれてしまったらしい。


 何度も二人の頭にハンマーを振り下ろす。感染者はしぶとい。油断したらこっちがやられる。サキにはさすがにこんな作業はさせられない。力仕事だからな。


 俺たちも映画の中にいるようなゾンビパニックのせいで、感覚がマヒしてしまったようで怒るよりも先に、正直に白状し、最後の時を二人っきりで過ごさせてほしいという二人の願いを尊重した。


「じじぃ! 佐々木さん! これ見てよ」


 サキの言葉に二人から振り向くと、彼女は手に一冊のノートを持っていた。


「なんだそれ?」


「さよならノートだって」


「どれどれ、スミレさんが書いたもののようですね」


 おっさんとサキが楽しそうにノートを眺める。俺もそっと開かれてるページを見ると、そこにはスミレさんとミチルくんがもし平和な世界だったらどんなデートをしたかったか、どこに旅行に行きたかったかなんかが書いてある。

 最後には子供がほしかったと書いてあった。


「は~、そういう流れでこうなったんだ」


 しみじみと二人の感染者を見るサキに俺は呆れた。


「そっとしといてやれよ、バカ」


「サキさん、こんな時でも故人を尊重することは大事ですよ」


 おっさんと俺がたしなめると、サキはふて腐れたようにぶんぶんと鉄パイプについた血を振り払う。


 この世界のゾンビが映画と違うことがいくつかある。その大きな点は、やつらは共食いをするってことだ。

 集団で閉じ込めておけば、ぐちゃぐちゃとあごが外れても互いを食い合う。


 それでもやはり人間の形をしているものは攻撃できず、しかも知り合いであれば躊躇する。人の心があるゆえに、この世界は機能しなくなってしまったのだと俺は思う。


「ここも引っ越さないとだね!」


「それなら次は軽井沢の別荘地なんてどうでしょうか! 老後の憧れなんですよ」


「いいね~!」


 仲間だった二人を横に、旅行の計画を立てるおっさんとサキは話が盛り上がったところで俺を見た。


「なんだよ」


「じじぃの希望も聞いといてあげる」


「そうですよ、若いうちしか挑戦できないこともたくさんありますよ」


 こんな状況に適応している俺たちも人の形をしているだけで、もう別の生き物なのかもしれないな、俺はキラキラと瞳を光らせている二人を見据えた。


「俺はキャンピングカーがほしいかも」


 それが合図だったかのように、二人とも荷物をまとめはじめた。俺もつられるようにして少ない荷物をかき集める。動きやすく、けれども必要なものは忘れない。


「さ、行こう! こんな世界は楽しんだもん勝ちだよ」


 サキの言葉に、おっさんが頷いている。

 俺も二人に釣られるようにして口角があがったのを認識した。もうこの世界に人間はいないのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

さよならのおと 夏伐 @brs83875an

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ