気遣いのできる狐

洞貝 渉

気遣いのできる狐

 人間のために尽くすのではない、徳を積むために善行を重ねなさい。そのための慈悲を覚えなさい。あなたにはそれだけの力があるのだから。

 母様がよく言っていた。

 確かに、私には力がある。

 私にとっては何でもないことでも、人間にとってすればそれは奇跡と大差ないことのようだった。

 私にはいまだに慈悲とやらが何なのかわからない。だが、見様見真似でも善行くらいのことなら出来るだろう。


 ここは人間が奇跡を求め、願いを胸に集まる場所。人間の言うところの神社だ。

 普段は閑散としたこの地も、年に一度、正月という日にはどこから湧いて出るのかわからないくらい人間がわらわらと集まってくる。

 いつもとは違い、非常にやかま……とても賑やかな雰囲気のこの場で、私は善行を行うため人間たちを観察する。

 といっても、どこか浮足立った人間たちに対して何をしてやればいいのやら。

 大金を手に入れられるようにしてやるか? 神の御前で恥もなく金持ちになりたいと願う人間は少なくないし、たいていの人間はそれで大喜びする。ただ、たいていの人間はその後面白いくらいに自滅していく。金を望みながら、金の使い方がわからないらしい。破滅するのが目に見えていても、本人の望むものを渡してやることは、果たして善行といえるものなのか。狐の私にはいまひとつわからない。

 健康長寿もよく願われる。でも、これは私が面倒くさい。常に気を付けてみてやらねばならんし、時間がかかり過ぎる。前に一度、面白半分である人間を不老長寿にしてやったことがあったが、結局その人間は壊れてしまった。人間には長すぎる時は耐えられないらしい。


 神社に長く居つくようになり、私は人間に奇跡を与えることが出来るくらいにはなった。

 人間が私のことをお狐様と呼び始め、この神社に住む母様も私のことを狐と呼ぶようになり、私もなんとなく狐と名乗っている。

 母様は、人間が愛らしいと言っていた。私にはよくわからない。人間はどうでもいいことで一喜一憂する、つまらない生き物にしか見えない。

 それでも、母様の言うことに間違いはない。

 人間のために尽くすのではない、徳を積むために善行を重ねなさい。そのための慈悲を覚えなさい。あなたにはそれだけの力があるのだから。

 母様がこう言うからには、私は善行を積むべきで、煩悩まみれになった人間がここに集う正月は絶好の善行日和だった。



 賑わう境内に、少し質の違うざわめきが聞こえた。

 若い人間が複数人固まって、なにやら盛り上がっている。

 よくよく観察してみると、一人の人間に対し複数人の人間が群がっているようだ。

 群がられている人間はへらへらとした笑みを浮かべているが、周囲の人間に小突かれたり威嚇のような声で話しかけられたりするたびに、困ったような怯えたような表情が見え隠れした。

 人間たちはみな、おみくじを持っている。

 聞こえてくる話をかいつまむと、大凶を引いた人間に吉以上の運勢を引いた人間たちが群がっているようだった。


「お前さー、一周回って、マジ持ってるよなー」

「いや、その、えっと……」

「普通、大凶とか引くか?」

「よっぽど運から見放されてるんだなー」

「ま、運の方もお前みたいなの、見放したくなるよなー」

「わかるわかる、だってさお前、なーんか、なあ?」

 はじけたように笑いだす人間たち。

 私には全く理解が出来ない。

 おみくじは別に母様の言葉ではない。人間が勝手に作って勝手に運勢だなんだと言っているだけのものだ。だからおみくじの結果を見て運が人間を見放すことなどない。もちろんおみくじの結果を見て運が寄ってくるということもない。

 この人間たちは何を言っているんだ?

 私には、本当に理解ができない。

 百歩譲って、大凶を引いた人間が運に見放されたとして、吉以上を引いた人間たちがなぜこんなに群がっているんだ?


「ほら特別に見せてやろうか? お前には一生縁のない運勢だよな、大吉ってさ」

 大凶を引いた人間にとりわけ当たりの強い人間がおみくじをヒラヒラさせる。

 その様子を見て、私は人間という生き物が嫉妬するものだと思い出した。

 嫉妬、自分に無いものを羨むこと、時にそれは妬みなどの感情にも発展し、人間を狂暴化させる。

 それから、人間は相手を攻撃する時、自分がされて嫌だったことや自身のコンプレックスに由来した行動をとることがあるらしい。

 ——つまり、あの大吉人間は嫉妬して大凶人間を攻撃しているのだ。

 お前には一生縁のない運勢だよな、大吉ってさ。

 これは裏を返せば大凶に一生縁がない自身にコンプレックスがある、ということではないか。

 なんだ、そんなこと。

 私は早速、積めそうな善行を見つけて微笑んだ。

 もはや人間のことを理解しようなどとは思わない。ただ、善行のため、人間の願いを叶えてやるだけだ。


 大吉人間のおみくじと大凶人間のおみくじを交換してやるだけなら簡単だ。

 しかしここは、奇跡の所業も簡単に起こすことのできる、このお狐様の所業。そんなけち臭い奇跡では示しがつかない。

 私は、もともと大吉も大凶もなかった二人の運勢をいじって、大吉を引いた人間に大凶の名にふさわしい運勢を招いてやった。ついでに、大凶を引いた人間には大吉の運勢を招いてやる。大凶を引いたことで羨まれ、嫉妬され、攻撃的な人間たちに群がられていたのだから、これで今後は嫉妬から攻撃されることは無くなるだろう。

 大吉を引いた人間が何もないところで転んだ。大凶を引いた人間は今だとばかりに足早に去って行く。

 大吉を引いた人間は大凶を引いた人間に罵声を放ちながら立ち上がろうとする。しかしベルトが切れてズボンが落ち、あわててしゃがみ込む。

 ふむ、まあこんなところだろう。これであの人間たちも、願いが叶って満足したのではないか。


 人間のために尽くすのではない、徳を積むために善行を重ねなさい。そのための慈悲を覚えなさい。あなたにはそれだけの力があるのだから。

 母様がよく言っていた。

 私には未だに慈悲というものがよくわからない。

 でも、善行というのはなんとなくわかってきたように思う。

 要は、人間に対する気遣いだ。

 そこに理解も慈悲もないけれど、人間の求めていると私が思ったものをひたすら与えまくること。

 人間のために尽くすのではなく、私の徳のためだけに。


 それにしても、善行の後はなんだか気持ちが晴れ晴れして気持ちがいい。

 気遣いのできる狐、というのもなかなかどうして悪くないものだ。

 私は機嫌よく、善行を求めていそうな人間の物色を再開する。

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