銀河鉄道の立ち食い蕎麦:クラウリーステーション店
和泉茉樹
銀河鉄道の立ち食い蕎麦:クラウリーステーション店
◆
今後の運航スケジュールに関しまして、アナウンス致します。
次の停車駅はクラウリーステーションでございます。クラウリーステーションにおきまして、キャルバ線、エイカーン線との接続を致します。そのため、本列車のクラウリーステーションからの発車は六時間後を予定しております。詳細につきましては車内、またはステーション内での音声、映像によるお知らせとなります。
間も無くクラウリーステーションに到着いたします。
◆
銀河鉄道を利用しての移動は、人生で二度目だった。
でも一回目は家族での観光旅行としてほんの五日間、乗っただけだ。あの時は冷凍睡眠を使用できる年齢に達していなかったので、はっきり言って最終的には退屈した。
今回は違う。移動時間は一年だ。一年間、列車の中という閉鎖空間で生活しないといけない。
僕は大学を卒業したばかりで、就職先がちょうど一年の移動を必要とする場所にあるから、こうして銀河鉄道に乗ることになった。
広大な宇宙に社会というものが広がった結果、様々な不都合が生じていた。銀河鉄道、その冷凍睡眠を利用しての長距離移動もそれだ。僕はまだ一年で済むけれど、十年も二十年もかけて仕事先へ出向いたら、眠っている間に仕事先そのものがなくなっていた、なんてこともある。
働くということに関して言えば、どれだけ人類の生活圏が広がろうと、結局は生まれ育った場所のすぐ身近なところで働くよりないのが、現実だった。
というわけで、僕も一年の旅を経た結果、働き始める前に職場がなくなる可能性もあったけれど、とにかく銀河鉄道に乗り込んで新しい世界へ飛び込もうというのだった。
一年という短い時間、というのは相対的な表現で、一年は長い気もするけどけど、ともかく一年、のんびり過ごせるということで、冷凍睡眠装置を使うのも使わないのも自由なことにかこつけて、僕は自由を謳歌して生活していた。
銀河鉄道の車両には娯楽車と呼ばれる車両が幾つかあり、図書室や映写室どころか、ビリヤード室、ボーリング場、プールなど、もちろんカジノも、ありとあらゆる娯楽、その全てが揃っている。
眠り続ける他にない超長期間の利用者には関係ない施設だけど、僕のような立場のものには都合がいい。利用料金は乗車券に含まれている。
僕と彼が出会ったのは、映写室で古い映画を見た後で、映画が終わって暗くなっていた部屋の明かりが元に戻った時、彼は大口を開けて眠っていた。しかも僕のすぐ横の席で。
映画は終わりましたよ、と声をかけると彼はぼんやりした視線で周囲を見て、僕に向き直ると「次に放映されるのはなんだっけ」と言ったのだった。
変な出会いだったけど、彼の外見の年齢は僕に近く、話しているうちに同い年だとわかった。生存年齢二十二歳で、僕と同じように就職先へ向かうのだという。
僕は彼とよくつるむようになり、相棒というような立場になった。一年限定とはいえ、ある種の兄弟のようなものだ。もちろん、他にも知り合いはできたけれど、銀河鉄道を利用するものは、生存年齢と外見の年齢に差が生じていて、うまく付き合えない場面が多い。
相棒は僕といろいろなものを共有できる、数少ない相手だった。
◆
クラウリーステーションに列車が到着し、僕と相棒も外へ出た。六時間、銀河鉄道の列車と比べればはるかに広い空間で目一杯羽を伸ばして、またあの、それはそれで巨大な限定空間で過ごす英気を養おう、ということである。
と言っても、銀河鉄道の車内で過ごすのとは違い、駅では何かと金が必要になる。
「貧乏人には世知辛いな」
相棒はそんなことを何回か漏らしていた。僕も同感だ。
結局、数時間を無駄にしてから、僕と相棒は立ち食い蕎麦のチェーン店に入った。サラシナ、という名前の店だ。無数に支店があることで知られるここなら安かろう、というのが表に貼られていた料金表で見当がついたからでもある。
店に入ってみると、三人ほどが会話しながらカウンターに向かって立っている。僕と相棒が入ると、何やら忙しそうな店員の男性が「らっしゃい!」と大きな声で言ったけれど、どうやら彼一人で店の業務を全て、行なっているようだ。
「水はそこ、自分でやって」
鍋とは言わないだろう、お湯が煮立っている四角い装置で素早く蕎麦をゆがきながら、店員が背中を向けたままいう。そこ、というのは壁際のウォーターサーバーのことか。その上に透明なコップが置かれている。置いてある位置からして、ガラス製ではないようだ。もしガラス製なら、何かの拍子にひっくり返って砕け散るはずで、そんな無駄なことはしないだろう。合理的に考えれば。
相棒が二つのコップにウォーターサーバーの水を入れて持ってきてくれた。その時には店員が皿をまず二つ、カウンターに乗せた。先にいた三人のための蕎麦だ。
「ジャジャ蕎麦ね! もう一つもすぐ出るよ!」
僕がぎょっとしたのは、皿は平たく、そこに盛られた灰色っぽい麺の上に、真っ黒いペーストの塊が載せられていたからだ。
事前知識として頭の中にあった蕎麦のイメージとだいぶ違う。
いや、かけ離れている。
僕の驚きをよそに、皿を出された客は嬉しそうに受け取っている。
ジャジャ蕎麦、ってなんだ?
さりげなく相棒の顔を確認すると、彼も気むずかしげな顔をしている。あれが蕎麦か? と言いたげだが、僕としてはそうだとも違うとも言い難い。
ここは蕎麦屋なのだ。蕎麦を出すはずだ。
三皿目がカウンターに乗せられて、それも同じもの、ジャジャ蕎麦だろうものだった。人気があるんだろうか。しかしあまり美味そうには見えない。
仕事が一区切りになったらしい店員が近づいてきて「何にしましょう?」と聞いてきた。
想像と現実の激しいギャップが僕に「ちょっとメニューを見て考えます」という言い逃れを口にさせていた。しかし、わりかし妥当な言葉だっただろう。メニューだ。そう、メニュー……。
何も気にした様子もなく、メニューはあそこね、と壁の高い位置を指さし、店員は何か別の仕事を始めた。
僕と相棒は壁に貼られたメニューを眺めるしかない。短冊として貼り付けられているのだけど、かけ蕎麦、月見蕎麦、山菜蕎麦という短冊には「古典的蕎麦」と文字が添えられている。
他には、油蕎麦、にんにくオイル蕎麦、麻婆蕎麦、というのがあり、ここには「挑戦的蕎麦」と書かれていた。挑戦的蕎麦? 全くわからん。どういう食べ物なんだろう。
例のジャジャ蕎麦という短冊もあった。
改めて、三人が食べているジャジャ蕎麦の様子を遠目に確認する。蕎麦と黒いペーストをぐちゃぐちゃに混ぜて食べるもので、汁はないのか。そういう麺類が世界に存在することは知っているけど、うーん、全体的に黒い色が強めで、味の想像がつかない。
辛いのだろうか。どんな味がベースになっているのか。
相棒を視線で確認すると、彼は肩をすくめて見せた。注文は決まっている、という顔だ。
「すみません」
店員を呼ぶと、元気のいい返事があり、こちらに振り向く。
「僕は山菜蕎麦で」
「俺は油蕎麦」
僕の後に相棒がすぐに続けると、店員がにこやかに僕に視線を向けて「山菜蕎麦、汁あり? 汁なし?」と聞いてきた。
汁なし……、が普通なんだろうか。確か蕎麦は本来、汁に浸かっているか、汁につけて食べたはずだ。いやいや、でも、ジャジャ蕎麦には汁はない。もしかして僕が認識している蕎麦の概念は勘違いだろうか。
本来の蕎麦は、汁はない?
「し、汁は……」
答えがわからない。全くわからなかった。
何が正しいんだ?
混乱しても、言葉は出る。沈黙に耐えられなかった。
「汁は、無しで」
「はい、汁なし山菜蕎麦と油蕎麦! 承りました!」
店員が調理に取り掛かる。やれやれ、何がどうなっているのやら。
勝手に疲れを感じている僕を尻目に相棒はのんびりと水を飲んでいる。僕もやっと水を飲んでみたけれど、やや硬水っぽい味がした。
少しすると一人の男性が入店してきた。入ってくるなりウォーターサーバーへ向かいながら「コロッケ二つとかけ蕎麦、汁ありで!」と注文を出す。店員も「承りましたぁ!」と元気に返事をする。阿吽の呼吸だ。常連だろうか。
しかし、コロッケ? コロッケというのは、揚げ物のコロッケだろうか。短冊を見ると確かにコロッケの短冊もあるし、それに並んで唐揚げ、ポテト、キムチなどもある。蕎麦に合うトッピングなのか?
店員が僕と相棒の前に丼を置いた時、後から来たお客は水を飲みながら、店に入ってきた場面から小脇に挟んでいた紙の雑誌を手に、カウンターに寄りかかっていた。
それはそうと、丼だ。目の前の丼。
相棒の方はまだわからなくはない。蕎麦の上に煮込んだ肉を薄く切ったものや、ちょっとした野菜が乗っている。ゆで卵も見えた。かき混ぜて食べるんだろう。
しかし僕の方の丼は、色とりどりの野菜が蕎麦の麺を隠しているのだけど、一目見て、色が問題だ。緑、紫、赤は許せるし、フレッシュな黄色も許そう。しかしどこで生産されたなんという野菜なのか、青い、毒々しいと言ってもいい青の葉っぱが混じっているし、枯葉じみた茶色い葉っぱも見て取れる。
山菜という表現は、僕の知識では山で採れる野草というイメージだった。真っ青な葉っぱが生えているが山がどこかにあるのだろうか。それ以前に、そもそも銀河鉄道の駅、宇宙に浮かんでいる巨大構造物に、山が付属しているわけがなかった。
山菜という名前だが、山菜ではないのか。
仕方なくフォークを手に取り、丼の中身をかき混ぜてやる。何もかもがぐちゃぐちゃになり、ものすごい見た目になったが、食べるしかない。できるだけ直視しないようにして、ええい、ままよ、と口へ運ぶ。
味が、よくわからない。青臭いようでもあり、刺激的なようでもあり、歯ごたえもまるでアルミ箔を噛んでいるようだったりする。味付けは、しょっぱいけど、やっぱりわからなかった。
これは失敗したかな。
もう酷い有様になっている丼の中身をなんとかすることに集中しようとした時、店員が雑誌を読みふけっていた男性の前に丼を置いた。
蕎麦だった。
紛れもない蕎麦。僕が知っている蕎麦だ。
記憶は間違っていなかった。僕が食べているものは、蕎麦ではないということがはっきりした。
男性の前の丼の横に小皿に乗せられたコロッケが添えられる。コロッケも間違いなくコロッケだった。
どうも、と男性は雑誌を置いて箸を手に取り、コロッケを蕎麦の上に乗せてから食事を始めた。
僕は無意識にその様子を見ていた。蕎麦をすすり、コロッケをかじる。そのうちにコロッケが蕎麦の汁を吸って柔らかくなり、ちょっとずつ崩して蕎麦と食べていく。ぐちゃぐちゃになる前に丼が綺麗に空になり、男性は店員に「会計して」と声をかけた。
あっという間の出来事で、夢を見ているかのようだった。
ああいう蕎麦が食べたかったな。
僕は手元の丼を見た。汁なし山菜蕎麦はまだ半分は残っている。
これが現実だ。
男性が颯爽と去っていき、三人客も満足したような顔で去っていき、それから僕と相棒はやっと会計して店を出た。
腹の具合がどこかおかしい気がするが、気のせいだろう。
「見た目によらず、玄人だったな、あのおっさんは」
広い通路を歩きながら、相棒がそう声をかける。あの常連客の男性のことだろう。相棒も僕と同じ感想だったのだ。
「コロッケ蕎麦は、間違いない、絶対に美味いだろうなぁ」
僕は相棒に答える言葉を持たなかった。
二度と汁なし山菜蕎麦は頼まない、と心に決めていた。どんな場所の、どんな店に行こうと、絶対に頼まない。
次は僕もコロッケ蕎麦にする。これも決めた。
目的地までの旅はまだ長い。どこかで立ち食い蕎麦を絶対に食べる、そして記憶を上書きする。何があっても、そうしなくてはならない。だって、蕎麦が食べられなくなりそうだから。見たくもない、と言い出してもおかしくない、そんな蕎麦が、汁なし山菜蕎麦だった。
通路にアナウンスが流れ始める。出発時刻が確定したアナウンスだった。
また列車の中に缶詰だが、蕎麦のおかげでおかしな方向にモチベーションは維持された感触があった。
次の停車駅が、楽しみだ。
立ち食い蕎麦屋があることを願おう。
(了)
銀河鉄道の立ち食い蕎麦:クラウリーステーション店 和泉茉樹 @idumimaki
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