ベリテのカクテル

青時雨

そのカクテルは…

笑上戸わらいじょうご蜥蜴とかげや、恥ずかしそうに俯いてばかりのクリスマスローズ。多くはないが少なくもない客で賑わうとあるバーで。

壊れかけのドアベルの乾いた音が、フルーツをカットしていた彼の耳に届く。

来店した客を一瞥し、バーテンダーのベリテは弟の投げたシェイカーを危なげなくキャッチする。



「今日も頼めるかな」



何も言わないベリテの答えを知っている紳士は、嫌われ者の魔のつく者であった。

紳士がカウンター席に腰かけると、奥のテーブルから美しい声音の下品な笑い声が湧く。

紳士に向けられたものではなかったが、悪意を具現化したようなその笑い方は気分が悪い。

眉をひそめたベリテは、女たちをまとわりつかせた一人の男が座った奥の貸切部屋を見やる。

ここに来ている客は、その声の持ち主をどこかの悪だと思っているのか特に意に介した様子はない。

何かに耐えるように目を伏せた紳士の背中は、笑い声をさせているその客たちからは見えない。



「…リキュールの妖精から聞きました。今日も王子様に戦いを挑まれたとか」



バーなのだからいい加減酒を提供しようよ、と毎日のようにリキュールの押し売りに来る妖精だ。

彼女は頼んでもいないのに、森で仕入れてきたとびきりの噂話を勝手に話して帰るのが日課である。



「面識のない私に対して戦いを挑む理由は、魔獣に挑むだけの勇敢さがあることを誇示したいからなのさ。大怪我しない塩梅がわかってるから、少しだけ攻撃させて怪我を負ってやるんだ」


「何故ですか」


「そうでもしないとどこまでも追いかけてくるからね」



普段は言葉少ななベリテから客に話しかけるのは珍しい。

紳士が数少ないこの店の真実を知る常連だからだろうか。いや、彼の単なる気まぐれかもしれない。



「魔獣、魔物、悪魔、魔法使い…魔のつく者というだけですっかり嫌われ者のになってしまったけれど、中には悪さをせず獰猛でもない者も沢山いる。私はその中でも一番長く生きているから、まだ王子に目をつけられていない若者を守る盾になってあげたいんだよ」



紳士は疲労の滲んだ顔で微笑んだ。

熊のように大きい体をしているのに、背中を丸めているからか萎縮しているからか弱々しく見えた。

この店が何であるかを知っていた紳士は、いつものようにただただカウンター越しのベリテに思いを吐き出す。

魔獣の話を聞いてくれるのは同じ魔のつく者か、物好きか。あるいはこの素晴らしくも恐ろしい腕を持つバーテンダーだけ。



「…最近、どの種族にも勇敢な若者が台頭してきただろう?。彼らに人気を取られないよう好感度を派手に上げるために王子が躍起になっているらしい」



噂によると、魔のつく者たちが毎夜毎夜少しづつ数を減らしているという。彼らが紳士の目を盗み若者ばかりを狙ったのは、この魔獣の紳士をなかなか倒せないことに痺れを切らしたから。



「……またいらしてくれますか」


「…君は随分わかりきったことを聞くんだね。王子を筆頭とする彼らは、決して弱くはないんだよ」


「…残念です」



ベリテは紳士が訪れてから、シェイカーに少しづつ溜まっていたあるものが溢れそうになるのを見計らい、シェイカーを手に取った。

紳士の目の前であるものが入ったシェイカーや、繊細なグラスを放り投げるなどして華麗に行われるフレアバーテンディング。

無駄のない美しい動きに魅入ってしまった紳士は、思い出したように拍手を贈った。



「……どうされますか?」


「最後までいい魔獣でいたいから、やめておくよ。それにあんな奴らのために、最後の最後で〝やっぱり魔のつく者は〟と言われてしまうような…仲間が生きずらくなってしまうようなことはしないさ」


「それがいいかと」


「…でも正直ぐちゃぐちゃだよ、私の気持ちは」



出来上がったカクテルのような何かには口をつけず、紳士は金を置いて感謝の言葉と共に席を立った。



「今までありがとう」





〇〇〇





ある御伽噺の世界。

王子様に魔のつく者、噂好きの妖精や悪巧みをする羊まで。あらゆる種族が暮らしている。

誰が一番勇敢であるかを決めるため、王子様を含めた勇気ある若者たちは、嫌われ者でここで穏やかに暮らす人々を貶めるという言い伝えのある魔のつく者の討伐に日々神経をすり減らしていた。

この世界に、そんな言い伝えがあったのかどうかは定かではない。けれど、妖精達が尾ひれをつけてその話を広めてしまったことで、魔のつく者は今では嫌われ者。

悪役をあてがわれた魔のつく者の中には、仲間思いで物事を公平に見ることの出来る聡い魔獣の紳士がいた。


『こんなことはもうやめてくれ、私たちが何をしたというのか』


何度も話し合いをしようと試みたけれど、欲に目が眩んだ王子の心に紳士の言葉は届かない。

紳士はつい先日、王子に追い詰められた若者を守るために自ら首を差し出したという。

魔獣が滅びるのは当然だと言う者もいれば、どっちが勝とうが負けようが関係なくざまあみろと嗤う者もいた。紳士が死んで悲しむ者も、また。

皆から愛され頼りにされていた王子──エルドは、誰も倒すことの出来なかった強敵を倒したことで誰よりも勇敢だと人々に認められた。

魔のつく者を恐れる者たちは、最も勇敢なのはエルド王子だ、尊敬すべきお方だ、将来エルド様のようになりたいなどと、賞賛の言葉を贈ったそうだ。

その噂瞬く間に広がり、もちろんあのバーでも囁かれ自然とベリテの耳にも届いた。

なんて酷い話なのだろうと、ベリテは嘆いた。

誰も真実が見えていないようだ。




〇〇〇




今日のバーは人ひとり分静かだった。

いつものカウンター席に、紳士の姿はない。悪さなど一度もしたことがない、ただ悪役をあてがわれてしまっただけの、あの魔獣だ。

空席となったそこには、彼が飲ませないと決めた酒のような何かが置かれたままである。



「正直、国一番の英雄になるとここまで好感度が上がるなんて思わなかったよ」



王子としての職務を終えると、店の奥、貸切に出来る部屋のテーブル席でいつもと変わらず女に囲まれた綺麗な顔の男が卑しく微笑む。



「今巷を騒がせている英雄譚も所詮は水物。あの魔獣よりも強い魔のつく者を新しく探さないとね」


「え〜エルドったらひどーい」


「え〜でも君たちはその酷い男が好きなんでしょ?」



そう言って首に抱きついていた女と口付けを交わす。

硬派を偽る美しく控えめな装い。

誰かを守るためというのは表向き、実際には誰かを踏みつけにしている剣を納めた鞘を腰に。

人々をたぶらかす優しげな微笑みは、己が名をあげるためにありもしない言い伝えを語ったりして。

仕事終わりにこのバーへ本性を表しにやって来る王子様。

今日は手強い魔獣を倒した祝杯を上げるため、店全体を貸し切っていた。



「ねえ。倒せば名を挙げられそうな魔のつく者、知らない?」


「貴方に抱かれたい女なら沢山知ってるわ」


「はは。教えてもらわなくても、それはもう知ってる」



蠱惑的な笑みを向けられた女たちは、黄色い歓声を上げた。



それにも飽きてきた頃、エルドは酒も出さずに沈黙しているベリテのいるカウンターへとやって来た。

ここでは頼んでもは出てこない。

ベリテを似非えせバーテンダーだと思い込んでいるエルドは酒を出されずとも別に構わなかった。

遠慮なく本性を晒せるこの場所を年中無休で開店してくれているのだから。



「ねえ、客に魔のつく者いるでしょ?。紹介してくれないかな、報酬は弾むよ」


「申し訳ありませんが俺には守秘義務がありますので」


「そう、お金じゃないタイプね。ならお姫様を紹介するよ。婚約者なんだけど、僕にはあの子たちがいるから。お姫様を嫁にすれば、みんなに自慢できるんじゃない?」


「結構です」



どこまでも自己顕示欲の高い王子様にベリテが辟易しているのにも気づかず、当の本人は何を提示しようとも首を縦に振らないバーテンダーに「つれないなぁ」と嘆息した。

ふとカウンターに置かれたカクテルに目が行く。

エルドはそれを手に取ると、物珍しそうに眼前に掲げた。



「へぇ〜、バーテンダーは名ばかりだと思っていたけれど、こんなに綺麗な酒作れたんだね」



彼が間接照明に透かしたカクテルは、グツグツと煮え滾るような赤黒い色をしていた。

これを綺麗だなんて思う王子様の感性を、ベリテはわかりたくもなかった。



「この酒、飲んでもいいかな」


「やめておいたほうがいいと思いますよ。何しろこの店ではお出ししておりませんので」


「ふぅーん、じゃあなんだろう。とても酒とは呼べない失敗作の酒とか?」



このバーを訪れるようになってから初めて見る酒を飲んでみたいという衝動に駆られたエルド。彼はベリテの目を盗んで、勝手にそれを口にした。

彼の動きを惚れ惚れとしながら目で追っていた女たちから突如、悲鳴が上がった。

エルドは言葉では表せない程の苦痛に、その場に倒れのたうちまわる。

その様子を慌てるわけでもなく静観していたベリテは、恐怖のあまり動けなくなっていた女たちの代わりに彼へと近づく。

苦しみながらゆっくりと死に近づいていくエルドを、まあるい氷のような冴えきった目で見下ろした。



「説明していませんでしたね。これは〝殺意〟のカクテルです。先日あるお客様から貴方に向けられた感情から作りました。貴方に飲ませないとお決めになられたので記念に飾っておりましたが、まさか貴方自ら飲まれてしまうとは」



鼻で笑ったベリテを、エルドは宝石のような目で睨み返した。

カクテルを飲んだエルドの顔は、死を前にしてあらゆる感情が溢れ出しぐちゃぐちゃだった。

エルドが最期にベリテへ向けた恨みと憎しみに歪む顔。それは、これまでエルドに踏みにじられてきたあの魔獣の紳士が、ゆったりと話しながらカウンター越しにベリテへ見せていた表情と重なっていた。









誰もが知っていて、その多くがその真実を知らないバー。

ここで働く二人のバーテンダーは、あるもの───感情からカクテルを作ることが出来た。

兄のベリテは、客が捨てたいと願う本音を客の心から取り出し、その感情からカクテルを作る。

本日彼が作ったのは、誰も飲まないはずだった殺意のカクテル。

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ベリテのカクテル 青時雨 @greentea1

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