健康な生活は健康な食事から!

神崎 ひなた

健康な食事って大変だよね~(他人ごと)

 もしかして俺、早死にするんじゃね? と思ったのは二十九歳の冬だった。健康診断の結果、並んだd1判定のラッシュ、率直に言って死を覚えた。なんか、肝機能とか腎機能とか血圧とか、中性脂肪がヤバい。ていうか、全部ヤバい。

 身に覚えなら、ありすぎる。普段の食生活。メシを食うのが面倒なので塩と味噌と日本酒を主食にしている。最近は気を遣って十秒ゼリーメシを吸うようにもしている。夜はエナジードリンクを吸ってる。それで誤魔化してきた。面倒ごとを棚に上げ、何もしてないのに寂しくなった財布の中身を忘れ、楽な食生活に胡坐を掻いてきた。その結果、この有様です。医者の所見欄には「はやくなんとかしないと死にます」って書いてある。そんな所見ある?


「ともあれ……このままでは…………死ッッッ!」

 人間、死に瀕するとなんかスイッチが入るという。今の俺がまさしくそれだった。

 健康な生活はどこから? 答えは健康な食生活から。俺は奮起した。


「所見欄には運動もしないと死にますって書いてるけど……………………………………………まぁ……………………」


 変えていこう。

 できることから、少しずつ。


 早速今日の晩御飯から変えていこう。俺は冷蔵庫を開けた。するとゴキブリが電光石火の勢いで飛び出していった。


「はっはっは、威勢のいいことだ」


 見なかったことにする。

 そんなことよりも今は健康第一だ。


「健康そうなもの健康そうなもの……っと」


 冷蔵庫を漁っていると、黒ずんだビニール袋から納豆のパックが出てきた。納豆。それは言わずと知れた発酵食品。発酵食品である以上、時間が経てば栄養と旨味が増してゆく道理である。採用。

 さらに奥の方を漁ると、パッケージが紫色の味噌が出てきた。賞味期限の欄はギリギリ紫色に侵食されていない。


「ふむ、五年前の味噌か」


 いい熟れっぷりだ。採用。


「それにしても納豆に味噌か……」


 大豆ばかりだな、と我ながら苦笑する。こんな食生活を送っていながらも、俺の根本にも僅かながら大和魂は息づいていたらしい。(?)

 これほど大豆づくしで何が出来るのか、料理オンチな俺には皆目見当も付かない。だが、そういう時は鍋にすればいい。お袋も昔こう言っていた気がする。


「鍋にはね、何を入れてもいいんだよ」


 ありがとう、お袋。

 あなたの教えは今でも俺の胸に生きています。


 さらに冷蔵庫を漁っていくと、もやしのパッケージがあった付近から謎の豆苗が自生していたので引っこ抜く。あとなんかシメジのパッケージからシイタケが自生していたのでこれも引っこ抜く。野菜は問答無用で健康にいいに決まってる。ダブル採用待ったなし。


「まったく……冷蔵庫の中はユートピアだぜ」


 いいね。健康まっしぐらだ。このスピード感、いいね。この調子なら冷凍庫にも期待できるだろう。開ける。中からゴキブリが飛び出して疾風迅雷の如く俺の真横を駆けてゆく。そのスピード感、いいね。見なかったことにする。


「なんか霜まみれでよく分からないなぁ」


 真っ白な塊を掴んでパッパと軽く払うと、なんか赤黒い身が出てきたのでおそらく肉だろう。なんの肉かは知らぬ。だが肉にも熟成肉というジャンルが存在する。確立されている。よって喰える。採用。


「よしよし、なんだか鍋らしくなってきたぞ」


 役者は揃った。あとは土鍋があればいい。記憶を頼りにかつて台所だった場所を漁ると、謎の茶色いシミがこびりついた土鍋が発掘された。多少汚いが、どうせ熱するから殺菌消毒されるだろう。無問題モーマンタイ


「待たせたな。料理開始レッツ・クック


 土鍋に大量の味噌、もやし、シイタケ、霜肉を突っ込んで、水道水をドッと入れ、コンロを点火。


「そういえば調味料とか入れた方がいいのかな」


 そこら辺に転がっていた日本酒の瓶を掴んでひっくり返し、ついでに飲みかけのエナジードリンクをブッ込む。紫色だった鍋には黄色も混じり、結果、なんか茶色いオレンジ色になってきた。


「……近所のゴミ捨て場にずっと放置されているボロボロの自転車みたいな色だな」


 見なかったことにする。

 ぐつぐつと鍋が煮えるにつれ、煙が吹き出してくる。それを浴びると目に激痛が走り、肺がめっちゃ苦しくなった。料理って大変なんだなと思いながら、換気扇のヒモを引っ張ったら、ブチっと切れた。ゴミ箱が遠いので鍋に入れる。


「なんだか雲行きが怪しくなってきたな。頼むぞ」


 こんな時のための隠し味である。納豆。これがきっと、いい味を出してくれると信じてる。発酵に発酵を重ねた漆黒の豆を鍋にブチ込んでおたまで混ぜると、すべての色彩が黒で染まった。嗚呼、もうぐちゃぐちゃだよ。


「嗚呼……もうぐちゃぐちゃだよ……」


 気がつくと言葉が溢れていた。どうしてこんなことになってしまったんだろう。今までどうにか自分を誤魔化してきたが、もう限界だ。なんだよ冷凍庫の中がユートピアって。とんだパンデモニウムだよ。世界の終わりだよ。俺は自分自身が情けなくって、致死の煙に目を焼かれながら、ボタボタと涙を零している。


 でも。それでも、こんな俺でも、きっと変われるはずなんだ。

 変わりたい。

 ていうか、変わらなきゃ死ぬ。


「この鍋は――禊だ」


 ぐちゃぐちゃの鍋。これは、今日までの自分が重ねてきた罪の集大成だ。怠惰という名前が具現化したモンスターだ。俺が作った怪物だ。ならばせめて自分の手でケジメを付けよう。食べ物を粗末にするなって、お袋が教えてくれたから。だから。

 この鍋を乗り越えてこそ、俺は変わろう。こんな絶望的な食生活は、今日で終わりにしたいだろ?


 変わるんだ。

 変えていこう。

 できることから、少しずつ。


「………………いただきます」


 意を決しておたまを持った。もう反対の手には、箸を。そして黒い渾沌のぐちゃぐちゃカオス鍋を一口、また一口―――


「ぐはぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッッッッ!!????」


 口内に激痛が走り、喉が焼け、胃にヘドロが満ちた。視界がぐちゃくちゃになり、思考がぐちゃぐちゃになり、胃の中がぐちゃぐちゃになった。すべてが混沌になった世界の中で、お袋が笑っていた。笑い声はやがて、救急車のサイレンの音へと変わっていった。


 ※


 その後、俺はなんとか一命を取り留めた。

 近隣の住民さんが消防隊と救急隊を呼んでくれたようで(なんかヤバい煙が出てると通報があったらしい)とにかく早期発見が功を奏したとのこと。

 退院したとき心から思った。マジで食生活には気をつけようと。黒い渾沌のぐちゃぐちゃカオス鍋を戒めに、健康な食生活を誓う俺だった。カロリーメイツおいしい。

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