カレーは混ぜる派?混ぜない派?

茅野 明空(かやの めあ)



 目の前で、美沙が銀色のスプーンを小刻みに動かしながら、カレーのルーとご飯をぐちゃぐちゃと混ぜ合わせている。

 俺はどこかぼんやりとした顔で、その光景を眺めていた。


「美沙は、カレー混ぜる派なんだな」


 俺が独り言のように呟くと、美沙はその大きな目を上目遣いでこちらに向け、口の端で笑う。


「純ちゃんだってそうじゃん?」

「あ、あぁ」


 彼女に指摘されて、俺は夢から覚めたように手元に視線をやった。均等に混ぜられたカレーがまだ手付かずで俺の前にある。握ったままだったスプーンを動かし、俺はカレーを口に運んだ。


 駅の構内にあるこのカレー屋は、俺と美沙の行きつけだ。惣菜などが売られている食品売り場の最奥に、ひっそりとあるこのチェーン店が、俺たちの隠れ家。

 仕事終わりにホテルに直行し、この店でそそくさとカレーを食べ、駅構内で別れて帰る。それが俺たちのいつもの流れ。


 だからこの店にはもう何度も来ていた。それなのに、彼女がカレーを混ぜてから食べていることに、今日初めて気付いたのだ。


「だってさぁ、混ぜないで食べると、ルーが足りなかったり、反対に残っちゃったり、配分が難しいじゃん? だから最初から混ぜちゃったほうが効率的だと思うんだよねぇ」


 混ぜる理由を、特に悪びれることなく語る美沙は、確かに効率重視な女だ。無駄なことはしない。俺の帰りを引き伸ばそうとするようなことも、俺たちの関係がいつまで続くか、探りを入れるようなそぶりもすることはない。そこが心地いい。


「俺もそう思う」


 短く同意して、その話は終わりとばかりに俺は黙々とカレーを食べ始めた。だが、美沙がそこで、少し意地悪く小首を傾げて俺の顔を覗き込む。


「奥さんは違うの?」


 俺の手が止まる。


 反射的に、俺の脳裏に、くっきりと均等に色分けされたカレーを芸術的な美しさで食べる夏菜子の姿が浮かぶ。彼女はいつも、カレーを混ぜる俺の仕草に眉を顰める。


「行儀悪い」


 そう言って、あの底冷えのする目を俺に向けるのだ。


「そっかー。奥さんは混ぜない派なんだねぇ」


 美沙は何か含むような物言いで、再びカレーを混ぜ始める。俺はそのスプーンを目で追ってしまう。


「きっちりしてないとダメな人なんだろうね、きっと。そういう人って、生きづらそうって思わない?」


 会社の規定では、女性社員は派手なネイルは禁止とされているが、彼女の爪は長く、煌びやかな装飾が施されている。しかし仕事も有能、お局上司から気に入られている彼女は、面と向かって注意を受けることはない。

 その爪が自分の背中に傷を作っていないか、ふと気になってしまい、俺の返事は適当なものになった。


「あぁ・・・そうだな」

「白黒はっきりで済むことばかりじゃないよねぇ。この世の中、本当はグレーなものばっかりだよ」


 そして美沙は、「ね?」と可愛らしく微笑みかけてきた。自分の可愛さを熟知しているその笑みに、背筋がゾクリとする。


 あぁ、ただの仕事の後輩だった彼女に、いつからこんなに取り込まれてしまったのだろう。言い訳になるかもしれないが、それまでは、俺は本当に模範的な夫だったのだ。今でも夏菜子のことは愛している。だが、美沙のこの目に見つめられていると、まるで夏菜子との暮らしが、遠く異次元のもののように感じられてしまうのだ。


 数時間前の、美沙の扇状的な表情が脳裏に蘇る。絡みついた腕が、足が、肌の感触が、俺の罪悪感や言い訳を絡めとって思考を奪う。


 美沙が混ぜるカレーは、同じようにぐちゃぐちゃにされていく自分をみているようで、俺はごくりと生唾を飲み込んだ。水を飲もうと手を伸ばす。


 左手の指輪が、鈍く光った。





        了

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