風来彷――ぐちゃぐちゃの定義――
如月風斗
第3件
俺は自分にあった仕事を求め、色々な仕事を渡り歩いている。だが、俺にあった仕事を見つけることは未だ出来ていない。
俺は今日から町のアトリエでバイトを始める。アトリエといっても、絵の販売や絵画教室をメインに行う場所で、バイトは接客がメインとなる。
販売スペース、絵画教室用の部屋を抜けると、こじんまりとした外観からは想像のできない広い作業場が広がっていた。歩くたびにペタペタという床。大きな机には乱雑に絵画やその道具が置かれており、『芸術』という文字がよく似合う。俺には一生理解が出来ない世界だ。
「今日は私は絵画教室があるので、販売の方だけお願いします。」
「分かりました」
もっと頑固なじいさんが合うようなこの広いアトリエは、この小柄な女性の一色さんが管理している。
販売の方は忙しいわけではなく、アトリエ内の掃除も任されている。が、作業場は下手に触るわけにもいかない。ここをぐちゃぐちゃにした時には二度と元に戻すことはできまい。
結局この狭い販売スペースを5分かからずに掃除し終えてしまった。
「こんにちわ」
「あぁ! 皆さんお久しぶりです。いらっしゃいませ」
次々と現れる年齢も性別もバラバラなお客達は一色さんに連れられ、こぞって奥の絵画教室の部屋へと入っていく。
当分これ以上はお客は来ないだろう。ますます暇になるじゃないか。
俺は無意味に壁にかけられた目に痛い程に鮮やかな絵や、大きな窓から見える町の様子を眺める。けしてサボっているわけではないが、どこか罪悪感がある。
しばらくぼーっとしていると、いきなりカランと扉の開く音がした。扉のほうを見ると、窓の向こう側で黒い背の高い影がアトリエから遠ざかってゆくのが見える。どうやら絵画教室の客が帰ったらしい。
しばらくしても絵画教室が終わる気配もなく、俺は暇を潰すべく掃除をするという名目で作業場に入った。
やはりごちゃついた汚らしい部屋だ。せめて普段から床くらい磨いて置くべきではないだろうか。
俺は錆びついたロッカーからモップとバケツを取り出し、床を磨く。みるみるうちに鮮やかな汚れは薄汚い泥水へと変化した。
もう一本のモップでよく水気を拭き取り、改めて部屋を見回す。ピカピカ、とまではいかないがだいぶマシになっただろう。空気さえも浄化された気がする。
だが、それ以外にどこか違和感がある――。
作業台全体をよく見ると、積み上げられていたひとかたまりの絵が丸ごとなくなっていた。面倒事の予感がする。まさかあの黒い影だろうか。
一応確認を取るため、俺が一色さんのもとへ行くと、一色さんは顔を真っ青にして作業場へ走った。意外にも、お客は皆構わずに会話を続けている。
「あぁ、作品が……。長年の、大事な、大切な成果が……。犯人は? 犯人はどこなの」
ボソボソと呟きながら俺を睨む一色さんの目はだんだんと曇っていく。
「さっき怪しい影を見たのですが、警察に連絡しますか」
「追いかけて! 早く! 私の作品が……あぁ」
そこまで執着するとは。一色さんの言葉がごちゃごちゃと混ざっていく。やはり面倒なことになったが、仕方がない。
今更見つかる気もしないが、取りあえず追いかけることにした。といってもほとんどあの影の特徴など覚えていないが。
大げさに店の扉を開け、影の進んでいた方へと走る。一体どこまで走ればいいのだろう。息の切れた俺は立ち止まり、辺りを見渡す。大きな公園が目に入った。この時間は人の居らず静かで、死角も多い。
重い足を動かし、園内を進むとベンチでガサゴソと大きなかばんをあさる男の姿があった。あの黒い影と似ている気もするが、下手に話しかけては逃げられてしまっては、また追いかけなくてはならない。
穏やかな顔を作り、俺は独り言のように話す。
「いい天気ですね。この辺にお住まいで?」
「あっ、ああ。そうなんですよ。あなたも?」
男は言葉を詰まらせながらも返答する。
「この辺に僕の勤めているアトリエがあるのですが、よかったらいらっしゃいません?」
「そうなんですか。あいにく時間がないもので」
来るわけもないか。どうすれば連れてこれるか。ふとカバンを見ると、四角い枠のような形が浮き上がっている。やはりこいつで間違い無いだろう。
「その絵、素敵ですね」
「えっ」
少々卑怯だが、俺は男の気を話でそらしているうちにかばんから少し、その絵を指差す。
「実は娘のアトリエからこっそり盗ってきてしまったんです。多分あなたの勤めているアトリエの」
「そ、そうだったんですか」
自分の娘なら頼みでもして貰っていけばいいものの。何故わざわざこんなことをするのだろう。おかげで俺は無駄な体力を使ってしまった。
「本当にすみませんでした。一度でいいから自分の娘の絵が見たくて……」
男はその場で膝を落とした。本当にこんなふうに膝を落とす人がこの世にいたとは。
俺が一色さんの父とアトリエに戻ると、絵画教室の客は居なくなり、無音の寂しい空間が広がっていた。
「本当にすみませんでした。絵は、返します」
「あっ、ありがとうございます。あなたが絵を?」
一色さんの父は無言で頷く。だが、二人の会話はとても親子には思えない。特に一色さんの態度はあまりにも気持ちが入っていない。まさか、一色さんは知らないのだろうか。
「やはり警察に……」
「いいんです。もうどうしようもありませんし。ああ、私の集大成が、もう、戻らないなんて」
戻らない? ここに俺が取り返した絵があるじゃあないか。この男がまだ持っているとも考えづらい。これで全てでは無かっただろうか。
「これで絵は全てでは無いんですか」
「何言ってるんですか。あれが一番、私の大事な作品だったのに」
一色さんは膝を落とし、磨かれた床を大事そうに、抱きしめた。
風来彷――ぐちゃぐちゃの定義―― 如月風斗 @kisaragihuuto
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