わりとよくある日常業務

管野月子

誰がぐちゃぐちゃな方がいいって?

 ああぁ……と、僕は通路に散らばる本を見てため息をついた。

 遥か昔に大地が消えた、空ばかりの世界を行く飛空艇エキンの書架ゾーン。いや、一部の居住区と機関部以外、ぜぇーんぶ本棚ばかりという少しばかり変わったこの船は、わりとかなり、整理整頓がされていない。


 理由は主に三つ。

 ごくまれに、回避できずに突っ込んでしまった嵐で船が大きく揺れ、見るも無残に棚から落ちる。転落防止処置をするにも棚の数が膨大すぎて、対策はできていない。


 次に、どんな仕組みかさっぱり分からないが、この船では棚から新しい本が生成されることがある。原料や生成の行程も不明だ。とにかく、ある日棚から本が生えてくる。そして古い本は押し出されて床に落ちる。可哀想に。

 そういうこともあって下手にガードをつけると、本と本が押されてぐちゃぐちゃになってしまう。本が折れたり破れたりするのは、もっと嫌だからね。


 そして最大の理由は、この船の船長である虎猫のアスランが、引っ張り出して読んだままほったらかしにするからだ。本人……いやいや、本猫いわく、「重たくて棚に戻せねぇんだもん」ということだ。引っ張り出せるくせに!


 で、副船長の僕が日常業務として、船内の本を整理して回っているという。

 乗組員がアスランと僕だけなのだから仕方がない。


 空を旅していると、他の船と遭遇することがままある。出会った人たちは新たな本を求め、お客さんとして本船に訪れる。ここまで品揃えの多い本屋はそうそうないから、たいていの人たちはとても喜んでくれるんだ。

 皆が本を求めに来た時に探しやすく、読みやすくしていた方がいいだろ? 僕だってどこに何があるのか把握していなければ、ご案内もできない。

 膨大すぎで探し出せない方が多いけど。


 細い、明かり取りの窓がある通路を歩きながら、僕は落ちている本を拾っては中身を確認していく。


「これは……歴史かな。となれば隣の区画か。あぁ……自然科学と文学が一緒になってる。こっちはエッセイみたいだ。いや……それとも自叙伝だろうか」


 一見、表紙を見ただけでは分類できない本もある。

 これはいったん居住区に持って行って、中身をゆっくり確認した方がいいな。面白そうな本なら少し読んでみたい。

 ……その中に、僕の失われた記憶に関するものもあるかもしれない。


     ◆


「それでまた、こんなに持って来たのかよ」


 居住区の居間のテーブルの上に積んだ本を見て、アスランはへにょりと淡いオレンジ色の耳を倒した。僕にしてみたら通路に置きっぱなしの方が呆れるんだけど。


「いいだろ。ちゃんと分類できるように僕だって勉強しているんだ」

「タネル君は、エライネー」

「何だよ。今日は朝から本棚の整理していたんだぞ」

「また直ぐにぐちゃぐちゃになっちまうのに」

「だからって、通路に転がしたままにはできないだろ」


 前脚で顔をこする虎猫が「几帳面だねぇ」と呟いている。

 アスランが適当すぎるんだよ。


「この船の本は全部オレが把握してるんだ、どこにあるか分からなければ聞けばいい。それに多少ぐちゃぐちゃな方が、思わぬところに発見があって面白いと思わないか?」

「面白くないよ」

「面白く無いヤツだな」

「僕が面白くてどうするんだ」


 軽い言い合いをしながら僕は一冊の本をめくった。

 地味な表紙で書名や著者の記載も無い。そうとう古い本なのだろうか……。そう思いながらページをめくっていくが何か変だ。

 誤字や脱字、乱丁ということもあるが、ページが進むに従って、何が書かれているのか全く分からなくなっていく。


「アスラン、これ何の本なんだ?」

「あん?」


 気怠そうに開いたページを覗き込む。

 覗いて、ひたり、と動きを止めてから大きな金の瞳を細めた。


「こいつは、やべぇかも知れないぜ」


 何が? いや、これはきっと不吉の予兆なんだ。

 アスランがそう呟いた時は、本当にろくでもないことが起る。


「この本はどこにあった?」

「案内するよ」


 僕は本を手にイスから立ち上がった。


     ◆


 手にした本が落ちていた場所は、居住区から少し離れた区画だった。複雑に入り組んだ本棚の通路を行った先、確かにここと見間違いは無いはずなのに、数時間前と棚の並びが変っている。


「おかしいな……この辺りの本棚だったはずなんだけれど」

「やっぱりな、棚の場所が入れ替わっている」

「はぁ!? 本棚って、移動するの?」


 ちょっと待ってよ。それじゃあ今まで整理してきた僕は何なんだ。

 呆然とする僕に、アスランが怪訝な顔で僕を見上げて言う。


「あぁん? 経験ないか? んー……前に通過したのは、まだタネルが拾われる前のことか」

「ちょっ、どういうこと?」

「この船が飛んでる空域の時空が、まるごとぐちゃぐちゃになってんだよ」

「く……?」


 空域の、ぐちゃぐちゃに?


「過去と未来が混在して空間が歪んでいる。本や棚が影響を受け始めているんだ」

「えっ……そ、それってこの船や僕たちは大丈夫なの?」

「大丈夫なワケ無いだろ。歪みの強い所を飛ばなければ書棚や本の位置が変わる程度ですむが、下手したらオレたちも影響受ける。気を付けろよ」


 何をどう気を付ければいいんだ!


「ちょっと待ってよ。それって僕も、あの本の文字みたいにぐちゃぐちゃになっちゃうってこと? 頭から腕が生えたり耳が生えたり」

「シュールだな。耳はもう生えてるだろうが。とにかくオレの側を離れるな」


 呆れた声で応えながら、小走りで通路を駆け始める。

 その後を追う僕。


「ひとまず早くこの空域を出るように進路を調整しよう。機関部に急げ」

「待ってアスラン! 本棚の場所がぐちゃぐちゃになってるってことは、機関部の場所も入れ替わったりしない?」


 ひたり、とアスランが立ち止まり僕を見上げる。

 引きつった顔で「ひにゃぁあ……」と声を漏らすと今度は全力で走り始めた。


「わぁああ、待ってよ!」

「急げタネル!」


 全力で走る猫を追いかけるとか無理なんですけど!

 アスランは僕に構わず船内を駆けまわる。けれど歪みの影響は船の構造にも及び始めているようだ。


「うわぁぁあ! 通路がねぇ!」

「どうするの行き止まりじゃないか!」

「戻れ戻れ戻れ戻れ! 閉じ込められるぞ!」

「怖いこと言わないでよぉおお!」


 もう泣きそうだ。

 あっちに曲がって階段を駆け上がり、飛び下り、穴をくぐって橋を越えて、どうにか機関部に到着した時にはもう、息が……切れて。

 けれどのんびりしていられない。

 アスランは、したっ、と機関部の制御盤に飛び乗ると、直ぐにあれこれボタンを押し始める。


 改めてみる機関部は、巨大な空洞内に様々な歯車やネジが組み合った、まるで時計の中身のような不思議な空間だった。

 所々で強く光っているのは、船を動かしているエネルギー源の鉱石らしい。ひどく冷たくて、うかつに近づくと皮膚が裂けるらしいから決して触ってはいけないと、先代の副船長から言いつけられていた。


「タネル! オレの言った通り、計器のボタンを押していけ!」

「わ、分かった!」


 次々と飛ぶ指示に合わせてボタンを押し、ハンドルを回してバルブを開ける。

 アスランの掛け声に合わせてレバーを動かすと、ぐいーんと船の重力方向が変った。急な方向転換で遠心力が働いたか!

 制御盤の上を虎猫が滑り落ちていく。吸い込まれていく先は機械の隙間だ。押しつぶされてしまう。


「アスラン!」


 とっさに腕を伸ばして抱え上げた。

 僕も床を滑り落ちそうになる。反対側の腕で手すりに摑まる。振り回され、振り落とされそうになるのを必死に堪えた。胸に抱えたアスランが爪を立ててしがみ付く。

 痛いなんて言ってられない。


「くっそぉぉお!」


 右に左に激しく飛行して、どれほどの時間が経っただろう。やがて、船はゆっくりと速度を落とした。

 重力の方向が正常に戻る。僕は痺れるほどに握りしめていた手すりから手を離して、機関部の床に座り込んだ。アスランはせわしなく耳と鼻先と髭を動かし、一息ついたのを見計らって僕の腕から下りた。

 そのまま計器盤に飛び乗り、船の状態を確認する。


「通常空域にもどったぞ」

「よかったぁぁあ……」


 あぁぁ……疲れた。死ぬかと思った。今日はもう何もしないぞ。


「お茶飲んで、ダラダラして寝たい」

「オレはミルクとカリカリだ」

「うん、おやつでもして今日はもうのんびりしよう」


 言って立ち上がる。

 なんかこう、すごい大仕事をした気分だ。今日はと言わず、二、三日のんびりしよう。……と思いながら機関部を出て僕は固まった。


 果てしなく続く通路。

 その両端に並ぶ書棚から、見事なまでに全ての本が床に散らばり落ちている。


 そうだよね。


 あれだけ激しい飛行をしたんだ、本だけが大人しく本棚に収まっているわけがない。むしろ棚まで外れたり壊れていないだけいいじゃないか。

 いいと思いたい。

 思いたいんだけれどね!


「ねぇ……アスラン、足の踏み場もないんだけれど」

「オレのせいかよ!?」


 あぁぁ……ったく、誰がぐちゃぐちゃな方がいいって?







© 2023 Tsukiko Kanno.

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