一緒に遊ぼう?

ナカ

そこに在る? いつの間に?

 私はぬいぐるみが苦手だ。

 と言うよりも、人形と呼ばれるものが苦手である。

 何故なら、それが常に私の事を見ているような気がして怖いと感じるからだ。


 元々、私も普通にぬいぐるみが好きだった頃はある。

 いつの頃からかそれがとても恐ろしいと感じるようになったのは何故だろう。

 ……………………。

 ああ。そうだ。思い出した。

 確か、小学生の頃に買って貰ったぬいぐるみがきっかけだったんだっけ。


 そのぬいぐるみは、見た目はとても可愛らしい兎のぬいぐるみだった。

 兎は女の子だったようで、花柄のワンピースを着ていた様に記憶している。

 真っ白でふわふわの毛と、真っ赤なガラスのお目々。透明な糸で現した髭がピンと伸び、少し本物の動物に近い造形をしていた。

 サイズは小学生の私が両手で抱きかかえて持ち上げないと移動出来ないくらいの大きさで、お値段はそれなりにしていたと祖母から聞いたことがある。

 当然ぬいぐるみだから喋ることはなかったけれど、私はその兎が大好きだった。


 でも、いつからか…………

 私は兎のぬいぐるみがとても苦しくて仕方なくなってしまったのだ。


 その兎が家に来てからと言うもの、私の周りでは不思議な事が起こるようになった。

 私以外の家族が怪我をしたり、物が勝手に落ちたり壊れたり。

 時々耳障りで小さな弾けるような音が聞こえてきたり、トトトトッという何かが走り回るような音が廊下から聞こえてくることもあった。

 幼い私は霊障という言葉を知らなかったが、それでも起こる異変は敏感に感じ取っていたことは確かだ。

 そしてある日。

 私は兎のぬいぐるみが大の苦手になった。


 その日は朝から家のに誰も居なかった。

 学校から帰宅して勝手口から家の中に入ると、真っ直ぐへと向かったのは台所である。

 外から聞こえてくるのは煩いくらいの蝉の鳴き声で、開けっぱなしの窓に掛けられた風鈴が、風に揺られて軽やかな音色を響かせている。

 普段なら家に居るはずの祖母は出掛けているらしく、かけっぱなしの扇風機がカラカラと音を立てながら首を振っていた。

 それを横目に見ながら緑色の大きな扉を開くと、中から麦茶を取りだしグラスに注ぐ。

 冷えた麦茶を入れたグラスに付く水滴。それは重力に引っ張られるようにして机の上を濡らしていく。手に取ると私の手の平の汗と混ざり、腕を伝って床に落ちた。

 乾いた喉を麦茶を一気にあおることで潤すと、ふと後ろを振り返り言葉を失う。

「え?」

 そこにあるのは大きな兎。

「なんで?」

 この兎は仏間の隅に置かれていた子供用の椅子の上に座らせて置いてあったはずだった。

「おばあちゃんかなぁ?」

 そう言葉にしながらも、それは考えられないと首を振る。

「どうしよう」

 不気味さを感じながらもそこに大きなぬいぐるみがあるのは気持ちが悪い。意を決して腕を伸ばしそれを抱きかかえると、耳元で小さな笑い声が聞こえてきて悲鳴を上げた。

「きゃあっ!」

 放り出された白い兎。それは廊下の上に倒れ小さくバウンドする。

「な…………なん…………」

 付いた尻餅のせいか腰が抜け上手く動くことが出来ない。這うように後ずさりながら兎から離れると、それはゆっくりと起き上がり小さく首を振った後で、私の事を見て両手を広げて見せた。

『ねぇ、おねえちゃん』

 無機質な赤い硝子球が鈍く光る。

『一緒に遊ぼうヨ』

 そう言って兎が突然駆け寄って来たと思った次の瞬間、私の上に覆い被さり狂ったように笑い声を上げる。

「やだっ! 離して!!」

『アハハハハハハハハハハハッッッッ!!』

 大きな白い兎のぬいぐるみの下で、苦しさから逃れようと必死に藻掻く幼い私。ふわふわの両手が私の口元を押さえ、呼吸するという事を奪おうと重くのし掛かってくる。

「んーっっ! んーっっっ!!」

 このままではいけないと本能的に悟ると、必死に両手足を動かし兎を引き剥がそうと身体を揺らす。しかし、私と変わらないサイズの兎は段々と重くなり、益々息苦しさが強く視界が涙で滲み始めた。


 酸素が脳に供給されなくなると、視界は徐々に黒く染まっていく。


 そうやって意識を失った私が目覚めたときは、床の間に敷かれた布団の上で、祖母が心配そうに目に涙を溜めながら私の事を覗き込んでいたのだ。


 あの日以来、私はあの兎のぬいぐるみを見た事が無い。

 いつの間にか姿を消してしまっていたぬいぐるみは、家族の誰かが処分したのだろう。

 そしていつしか私の記憶からも、あのぬいぐるみの存在は薄れ消えかけていたのだ。


 だが、今、私は、その時の恐ろしさを如実に思い出すことが出来る。

 何故なら…………あの時に姿を消してしまったぬいぐるみが、再び私の目の前に姿を現したからである。


『ねぇ、お姉ちゃん』


 相変わらず無機質な赤い硝子球がこちらをじっと見つめている。


『一緒に遊ぼうヨ』


 コツ、コツ、と。ヒールが床を蹴る音が小さく響き後ずさる距離。


『アハハハハハハハハハハハッッッッ!!』


 踵を返して飛び出したマンションのエントランスからは、狂ったように響く笑い声。

 アレは一体何なのだろう。

 そんなことを考えながら、私は必死に呼び止めたタクシーに飛び乗り、急いでこの場を離れるよう運転手へと指示を出したのだった。

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