綿詰めの恋

縁代まと

綿詰めの恋

 人への感情もまた、綿のように少しずつ詰められていくものなのだろう。


 ――始まりはとある知る人ぞ知る心霊スポットでのことだ。

 子供の頃から目標にしてることがあるの、と彼女は染めた金髪を手で払って言った。


「そのためには除霊師になることが最短ルートだから、これからあなたは師匠、私は弟子ってことで宜しくね!」

「……えーと、僕そんな自信ないのでお断り――」

「もちろんタダで弟子入りさせてもらう気はないわ。日当3万でどうかしら!」


 自信の無さを上回ることがあるとすれば、それは金欠への不安感だ。それも「万年」が付くタイプの金欠である。

 この時点で悩んでいても僕の返答は決まっていた。

「……わ、わかり、ました」


 こうして有名ぬいぐるみクリエイターとして名を馳せるカリスマ女子高生、花槻はなつきケイが僕――除霊師である布伏武見ぬのふしたけみに弟子入りしたのだった。


     ***


 僕は人形が怖い。


 古今東西様々な人形だ。雛人形、指人形、テディベア、くるみ割り人形にマトリョーシカ、果ては埴輪や土偶なんかも怖い。

 これは単純にトラウマによるものだ。

 除霊師の名家に生まれ、幼い頃から特殊な力があった僕は人ならざるものに狙われやすく、ある日人形に取り憑いた悪霊に殺されそうになった。今でも夢に見る。

 その人形は父が悪霊を祓った後も自宅に飾られ、ぶっちゃけそれが怖くて予定より早く独立した。


 そうして東京まで出てきたのだが、やはり都会では除霊師など怪しく見えるらしく商売としては芳しくない。

 貧乏を極め、オフィス兼宿代わりに寝泊まりしているビルの一室の家賃を払うのでやっとだった。

 そんな時だ。

 調査に向かった心霊スポットで悪霊に襲われているケイを助けたのは。

 怯えるどころかいたく感激した様子を見せたケイはそれから僕の素性を訊ね、もしかしたらお客さんになってくれるかも、という甘い期待と共に名刺を差し出すと次の瞬間には決断していた。

 弟子にして、と。


 独り立ちしてすぐの僕は誰かの師匠にはなれない。自信がないからだ。

 それにそもそも僕の能力は偏ってるせいでまだ活かしきれていない上、それを人に教えることも感覚的すぎて難しい。

 しかし彼女はそれでもいいという。


「私はこれまで独学で除霊師を目指してきたの。でも失敗ばかりだった。やっぱり師として仰ぐ人が必要だったのよ」

「なにも僕でなくても……」

「私を助けてくれた、それだけで価値があるわ」


 そんなことを言われたのは初めてだった。

 自信のない僕に響いたことは言うまでもないが、しかし続けられた言葉に複雑な気持ちになったのもまた――言うまでもない。


「それにぬいぐるみを使って霊退治なんて最高じゃない!」


 そう、僕の除霊方法は想いを込めたぬいぐるみを操り、戦いの中でその想いを霊にぶつけ……もとい、対話させて説き伏せ天へ送ること。

 ぬいぐるみを含む人形が大の苦手なのに、である。


     ***


 特技っていうのは選べるものじゃない。


 僕とぬいぐるみとの相性が良いのも天の思し召しによるものであり、僕個人の意思でどうにかなるものじゃなかった。

 でもどうしてよりにもよってこれなんだ、という気持ちはいつも持っている。仕事道具が怖いなんて笑い種だ。

 そんな部分を褒められても申し訳なさや不安感が湧いてくる。本当は使いこなせていないなんて知られたら見下されるかも、馬鹿にされるかも、と。

 しかもケイはぬいぐるみクリエイターだ。弟子にしてからSNSでちらりと確認したが、それはもう高クオリティのぬいぐるみを作っていて、それだけで「ぬいぐるみが好きなんだな」と伝わってくる。


 その師匠がぬいぐるみ嫌いなんて知られたら……考えるだけで恐ろしい!


(な、なんとしてでもケイには知られないようにしないと)


 そう改めて決意していると依頼人が現れた。

 ケイを弟子にしてから一ヶ月。その中で来てくれた初めてのお客さんだ。もはや今の事務所はケイの『弟子代』でなんとかなっている状態で、それを申し訳なく思っていた僕は凄まじい歓迎の仕方をしてしまい依頼人にドン引きされた。申し訳ない。

 そうして受けたのは二ヶ月前に逃げた猫のミミコを探す依頼。

 しかし依頼人曰くミミコはすでに死んでいるのではないかと考えているらしい。


「毎日ボロボロの状態で夢の中に現れて何かを伝えようとしてるから、か……こういうのってやっぱり本当に死んでることって多いの?」

「ケースバイケースですね、夢は霊による意思疎通の触媒になりやすいものですけど、もちろんごく普通の夢も数多くあるので」


 僕が見るぬいぐるみの悪夢もそうだ。

 内容は当時の追体験、それが誇張されたもの、数多のぬいぐるみに襲われるもの、ぬいぐるみに食われるもの、乗っ取られて自我が消えていく疑似体験、助けてくれた父が死ぬもの、とにかく様々である。

 これを他人が聞けば霊障に思われることもあるだろうが、原因となった霊は父が完膚無きまでに祓ったので原因があるとすれば僕の心だろう。

 とりあえず夢だけじゃアテにならない。そう言うとケイは「そうなんだ」とメモを取った。勉強熱心なのは良いが喋ったことを逐一メモされると恥ずかしい。


 ひとまず今回の依頼はもう少し情報が欲しいということになり、僕は呼吸を整えて施錠してあった戸棚から箱を取り出した。そこから猫のぬいぐるみを取り出す。

 首輪を持つ手が震えたが、それを悟られる前にテーブルの上に座らせた。

「わ、かわいい! 隠してあったってことは特別な子なの?」

「あはは、まあそんなところです」

 そんなことはない。

 仕事に使うぬいぐるみは普段はすべてこうしてしまっていた。理由は簡単、怖いからだ。

 僕としては仕事用の拳銃を厳重に保管してあるような気持ちだった。が、そんなことをケイに言えるはずもなく、笑って誤魔化しながらぬいぐるみの額に手をやる。


 ぬいぐるみ占い。


 祓う以外にも情報収集に活かせる力のひとつだ。

 これも大分感覚的なもので、ケイが学べることはないと思っていたが――説明など皆無に等しいのに、ケイは熱心に観察している。


 猫のぬいぐるみは「この写真の猫について占え」という僕の命令を聞いてぴくりと動いたかと思うと、突如として天井まで跳ね上がった。そしてその身を重力に任せて落下する。

 テーブルの上には僕が作った占い用のマットが敷いてある。

 マットには様々な記号や数字が書いてあり、落ちたぬいぐるみが示した場所で占いの結果を僕側で推測するという形だ。

「……それって的中率100%?」

「まさか。あくまで関連キーワードや要素を絞れるくらいですよ。あまり古い事柄だとアテになりませんしね。ただ即調べられるので初動用としては重宝してます」

 さて、と僕はおそるおそるぬいぐるみを見下ろす。


 猫のぬいぐるみはワンバウンドしてから着地した。

 バウンド地点には車と五の数字、傘。着地地点には鉄塔と草花。

 それを覗き込んだケイは「抽象的……」と呟く。


「コックリさんみたいに文字ならわかりやすいのに……」

「降霊術形式は本当に霊が呼び寄せられてノイズが入りやすいから出来ないんですよ」


 占いの専門なら話は別だが、僕は特別占いが得意というわけではないので邪魔の入らない形式にしている。

 そこでケイはハッとした。

「ごめんなさい、つい質問以上のことを口にしがちだわ。改めないと」

「質問以上? あぁ、指示とかアドバイスに聞こえるってことですか。別にいいですよ、ただ……」

「ただ?」

「押しかけ弟子になったわりには謙虚というか何というか」

 あの押しの強さを考えたらこの程度問題にするほどでもないと思う。

 思わずそう言うとケイはけらけらと笑った。


「弟子になった以上、礼儀くらいは弁えるわよ。敬語も布伏さんが望むなら使うけれど……」

「いや、それはいいです。堅苦しいですし」

「そう言うわりにそっちは敬語よね」

「これは癖ですから」


 実家では父の弟子たちに敬語を使われていたが、僕は僕で母のしつけにより敬語を使っていたためこんな感じに仕上がったわけだ。

 が、自分が敬語を使うのはやりやすいが、人から使われるのはちょっと堅苦しい。弟子の人たちにも本当は気さくに喋ってほしかった。それもあり僕は弟子になったケイに「口調はそのままでいいです」と初めに伝えてある。

 呼び名だけは「師弟なんだし!」とケイから呼び捨てにするよう頼まれ、最近ようやく慣れてきたところだ。


(そういう理由ならそっちも呼び捨てにしてくれれば良……)


 僕の名前を呼ぶケイを想像する。

 ――なんだろう、不思議な感じだ。なのに高揚感がある。

 なぜか悪いことをしている気分になった僕は咳払いをすると、すぐにノートを広げて占い結果の情報と解釈をメモし始めた。


     ***


 結果から言うと猫は五号線で車に撥ねられた後、他の車の荷台に乗ってしまい隣の県まで移動していた。

 傘は行方不明になった当日に雨が降っていたからだろう。事故の血痕はこの雨で洗い流されたらしい。

 ただ、命の潰えた跡は僕の目には見えていた。ある程度の大きさのある動物且つ数ヶ月以内のものに限るが、墨のように黒い血痕として見えるのでわりと目立つ。


 移動先は追加の占いも挟んで範囲を特定し、候補地を虱潰しに探した。

 目印は鉄塔かそれに近いもの。

 そこで三ヵ所目にあった山の鉄塔――送電用鉄塔がビンゴだった。ここまで近くになると猫自身の霊がわざわざ迎えに来たのである。


「……そうか、乗っちゃったトラックの運転手がお前に気づいてわざわざ埋めてくれたのか」


 どこで乗ったかもわからない猫の死骸ならその場で埋めてもおかしくはない。むしろ良い人間の部類だろう。

 猫の霊は真っ黒な影のようで、しかし可愛い声でニャアと鳴くと近くの木の下まで僕とケイを案内する。その道すがら僕に様々なことを伝えてきた。

 人間の言葉ではないためはっきりとはわからないが、どうやら主人との縁を辿って夢の中に現れていたのは猫自身だったらしい。主人の居る家は猫にとっても『我が家』で、ずっとそこに帰りたかったようだ。

 掘り返された土はすでに雑草が生えて馴染んでいたが、展開を予想し持参したスコップで軽く掘ると――猫の骨が現れ、ケイが悲しげな声を漏らした。


「布伏さんと居ると薄ぼんやりと霊が見えるようになったけど……もしかしたらまだ生きてるかもってちょっと思ってたのよね」


 でもやっぱり死んでたんだ、と眉を下げ、ケイは手袋を付けるとタオルを広げてその上に骨を寝かせる。

「……ケイは優しいですね」

「布伏さんこそ。めちゃくちゃ申し訳なさそう」

「出来るなら生きた状態で主人と会わせてあげたかったので。それに死に目に会えないのも辛いことですから」

 しかしこういう仕事をしているとよく出くわすシチュエーションだ。父からはよく「慣れないとしんどいぞ」と言われていた。

 そこで不意にケイが手袋を外し、腕を伸ばして僕の頭を撫でた。


「嫌なら言ってね」

「――そんなキツそうでした?」

「でしたでした」

「……」


 嫌じゃないです、と言うと、ケイは笑みを浮かべて「この子を早く帰らせてあげよっか」と骨を見下ろす。猫の霊はいつの間にか消えていた。


     ***


 少し強引なところはあるが、ケイは良い子だ。


 そんな彼女に隠し事をしているのが嫌になってきた。

 その嫌悪感が「隠しておきたい」という陳腐な気持ちを上回るのにそう時間はかからず、僕は占いでこの日にすべしという日に狙いを定めて彼女にカミングアウトすることにした。


(もし失望されてもその時はその時だ、他の人に師事したいって言われたら……師匠に相応しい人を紹介してきちんとアフターケアしよう、……)


 そう、それが良い。

 むしろそうすべきだったんじゃないか。ケイの目標が何なのかはわからないが、僕のところで学ぶのは最短ルートは最短ルートでもかなり質の悪い最短ルートな気がする。

 もっと良質な最短ルートを僕が用意してあげるべきだった。


 ――と、それなのに実行に移せなかったのは、知らず知らずの内に僕が自分一人の事務所に耐えられなくなっていたからだ。


(これは一人が怖いとか寂しいからじゃない。彼女に去られたくないからだ)


 弟子に向けるには相応しくない感情だった。

 一応、事務所を構えて除霊師として独り立ちはしているが、僕は19歳の若造なので年齢的には法に触れない。年上に見られがちなので誤解は受けそうだが。

 ただ師弟という関係を考えると問題がある気がした。年の近い家庭教師が生徒に……だとか、塾講師が生徒に……という感覚に近い。

 今からカミングアウトをするというのに隠し事が増えてないか? と思いつつ、僕は事務所にケイを待たせていることを思い出すと頭を振って自分に喝を入れた。

 今は今やるべきことに集中しよう。


「ケイ、お待たせしました」

「あはは、時間通り時間通り。それで? 話したいことって?」


 もしかして私をクビにするつもりかしら、と茶化して言うケイに「そうじゃないですよ」と僕は笑う。すると彼女が随分大げさに安堵してみせたので少し緊張が解れた。

「とりあえずコンビニのですけどお茶とお団子をどう――」

「あっ、その前に布伏さん。さっき不在中に依頼人が来て「これのお祓いをお願いします」って置いてったの。見てもらえる?」

 そう言われて僕は初めてテーブルの上に何かが乗っていることに気がついた。


 カエル型の小さなぬいぐるみだ。


 ああ、うん、低級霊が憑いてる。夜な夜な動くとかでうちに持ち込んだんだろう。

 この程度なら祓うのは簡単だったが、不意打ちで間近に現れたぬいぐるみに僕は声にならない声を上げて後退し、ソファに足が引っかかって思い切り転んだ。

 ついでに放り出したコンビニ袋が宙を舞い、ペットボトルが額にヒットする。

「ちょっ!? そんなヤバい霊だった!? というかエグい音したんだけど!?」

「あの、いえ、その」

「わーっ! 額割れてる!」

 叫びながら駆け寄ったケイは僕の背中を支えて起こすとハンカチを額に当てた。良い香りがする。

 僕は慌てながら口を開いた。


「こ、これなんです! 伝えたかったことは!」

「へ?」

「僕は――に、人形が、心底怖いんですよ」


 ひっくり返った声になってしまったが言えた。言うことができた。後は野となれ山となれだ。

 そんなやけくそな気持ちでいるとケイはテーブルの上のぬいぐるみと僕を交互に見た後、僕の除霊方法を思い出したのか目をぱちくりさせて言った。


「……めちゃくちゃ茨の道じゃない!?」


 それは正直な感想で、僕は全力で同意した。


     ***


「なるほど、そんな経緯だったのね。それなのに、こう、なんというか……人形に愛された才能だなんて本当大変ね、布伏さん……」


 座り直したケイはしみじみとした様子で言う。

 彼女の用意してくれた保冷剤を額に当てながら僕はその様子を窺う。保冷材のおかげで眉がハの字になっているのは見えなかっただろう。

「その、ケイ」

「なに? あっ、やっぱり痛い? 手足が痺れるとか何か変ならすぐに病院に行くのよ」

「そ、それは大丈夫です。……僕がこんなので失望しなかったんですか?」

 恐る恐る問うとケイは目を丸くし、そして僕の言わんとしていることを察したのか肩を揺らして笑った。


「失望なんかしないわ。布伏さんは人形が怖くてもちゃんと仕事をしていたし、それに――前にも言ったけど、私を助けてくれたのはあなたよ」

「……」

「これで仕事に真摯に向き合ってないとか、私に酷く接してたなら話は別だけど、布伏さんはそんなことなかったでしょ。むしろ優しい人だもの」

「……」

「今の私は失望じゃなくって心配してる。今まで凄く大変だったでしょ? 大丈……ぅわっ! 泣いてる!? ホント大丈夫!?」


 大丈夫です、と言ったがすべてに濁音が付いてしまった。

 受け入れてもらう想像は数回だけしたことがある。しかし大罪でも犯したような気持ちになってしまい、それっきりだ。最後はもう二度と考えるまいと思っていた。

 しかし現実のケイは僕を受け入れてくれた。

 それが嬉しく、そして。


(僕はやっぱりこの子が好きだ)


 ――そんな確信を得てしまい、申し訳なくて泣かずにはおれなかった。



 カエルのぬいぐるみに憑いた霊は案の定あっという間に祓うことができ、依頼人に大層感謝された。怖がりのため夜中に小さな物音を立てられるだけでも寝付けなくなり連日寝不足だったそうだ。

 第三者から見ればそうでなくても、本人にとっては大きな悩みを解決してあげられるのは僕としてもやはり嬉しい。

 そこで僕の悩みを決してくれる人も現れないかなぁと思ってしまうのは現実逃避だった。


(カミングアウトが成功したのは良いけど、やっぱり隠し事がある状況は据え置きになっちゃったな……)


 困った。

 人を好きになった経験はあるが、意図的に諦めた経験はない。

 諦めるためにはまず好きな気持ちを封じ込めることから始めるべきだろうか。すでにこの段階で「どうやるんだそれ」状態だが、とりあえず意識して試してみよう。

 そう深呼吸して事務所内に入ると突然ケイが満面の笑みで僕を迎えた。開始一秒で白旗を上げたくなる。自覚してから弱すぎだ。

「おはよう! ほらほらこっち来て!」

「お、おはようございます。どうしました?」

 ケイは僕の腕を引っ張っていく。軽率な接触は控えてほしいが嬉しい。

 ……やっぱり封じ込めるなんて無理じゃないか?


「布伏さん、ぬいぐるみが苦手だけど克服したいんでしょ?」

「ええ、そりゃあもう」

「そこで私も考えたの、身近なものに似たぬいぐるみから少しずつ慣れていくのはどうかなって」

「身近なもの……ですか?」


 首を傾げているとケイは小さな紙袋を取り出した。

「……というわけで、作ってみたの」

「作ってみたの!?」

「ふふふ、ぬいぐるみクリエイター花槻ケイの最新作よ。それを布伏さんにプレゼント!」

 ぬいぐるみだ。中身はぬいぐるみだ。しかし本心を言うなら普通に欲しい。

 そもそも身近なものって何なんだろう?

 ケイのぬいぐるみ……はさすがにないだろう、もし僕のぬいぐるみだったらちょっと別の意味で複雑な気持ちになりそうだ。そんな迷いはさておき、気遣いに感謝しながら恐る恐る紙袋を受け取る。


 中に入っていたのは、小さな犬のぬいぐるみだった。

 目元にブチ模様のある雑種犬だ。尻尾はくるんと巻いている。

 僕がそれをそうっと手の平に乗せているのを見てケイはにっこりと笑った。


「机の写真立てに犬の写真が入ってたでしょ、飼い犬なのかなって思って」

「……」

「……あッ、も、もしかして嫌だった? そういやこれって無断になるのよね、あっちゃー……サプライズにしたいからって事前確認を怠ったわ……」

「そ、そうではなくて」


 我に返り、はっとした僕はケイに向かって首を横に振る。

「あの子はマシュまるっていうんです、尻尾がふわふわだったんで」

「あら、可愛い名前」

「でも、ええと……マシュ丸は去年死んだんです。……怖いというより懐かしくて、人形にこんな気持ちを抱けたのは久しぶりですよ」

 ――マシュ丸は家から連れてきた雑種犬だった。いつも一緒に寝起きして、僕が悪夢を見て怖がっていたら寄り添ってくれる優しい子だ。

 独り立ちした時も金銭に余裕はなかったが、癒しがないとやってられないと考え両親と話し合ってこちらへ連れてきたのだ。普段は事務所の隣にある準備室で暮らしていた。散歩も楽しかった。

 しかし去年の春頃に病気を患い、入院もさせたがあっという間に亡くなってしまった。


「早く生まれ変われることを祈ってたからですかね、霊としても見かけなかったんで良かったと思う反面、寂しくもあったんで……なんだかもう一度会えたみたいで嬉しいです」

「布伏さん……じゃあその子のこと、大切にしてね。布伏さんの幸せを願って作ったから!」

「ありがとうございます、大切にします」


 ぬいぐるみに触れた指先から広がる恐怖はある。

 しかしケイが作ってくれたこと、マシュ丸を模っていることは思いのほか僕に効いた。


 それを実感しながら思う。

 やっぱり諦めるのは無理じゃないかこれ? と。


     ***


 その依頼が舞い込んだのはそれから一ヶ月ほど経ってからだった。

 どうやら猫探しの依頼者が困っている友人にうちを紹介してくれたらしい。人の繋がりとは不思議なものだ。


 曰く、とある心霊スポットに肝試しに行ってから友人が一人行方不明になってしまったという。

 失踪する直前に電話で「帰る」とだけ言っていた。なんとなく「それは家じゃなくてあの心霊スポットな気がして……」と依頼人は落ち込み、そのスポットの確認をしてきてほしいと言った。

 なんとなくそんな気がするからってだけで再び心霊スポットに赴くのは怖いだろう。依頼に至る気持ちもわかる。よってその依頼を受けた僕とケイは件の心霊スポット――他県にある廃ビルを訪れていた。


 幸いにも管理会社は健在で、事前に中に入る許可も得ることができた。

 この辺りは可能な限りしっかりしておかないと商売にならない、とケイに語るとしっかりとメモしていたのでにやけそうになる自分の頬をつねっておく。油断も隙もない。

 廃ビルの廊下を歩きながらケイは辺りを見回した。


「それにしても雰囲気あるわね……怖くはないけど」

「怖くないんですか?」

「出会った時もソロだったでしょ。色んな心霊スポットを行脚してたから慣れちゃったの」


 ……ケイの目標は未だに知らない。なんとなく訊ねるのが憚られたのだ。訊くタイミングを逃したともいう。

 しかしこの流れなら訊ねられるだろうか。

 そう口を開きかけたところで、廊下の奥から気配がした。

 落描きだらけの壁に黒い人型のシルエットが見える。目を凝らしてみればそれは本当に人間の後ろ姿だった。

 失踪した人物の特徴として聞いていたニット帽を被っているのを確認し、声をかけようとしたところで――その男性がこちらを向いた。


 目が、右と左を同時に見ている。

 口は憤怒しているかのように引き結ばれ、山のようになった上唇に押し上げられた鼻には無数のしわが刻まれていた。

 だというのに眉は力なく下がっており、顔は土気色をしている。


 一目で異常だとわかるのに姿勢だけは常人のそれで、弾かれたように走り出すと一瞬で僕の目の前に迫った。


「ッ……こ、の野郎!」


 思わず声が出る。ケイの前では汚い言葉を使わないようにしていたのに最悪だ。

 その気持ちをぬいぐるみに込めてぶつけようとしたが、男性はがくんっと脱力してそれを避けると今度はケイに向かっていった。まるで操り人形のような動きだ。

 ケイの腕を引き、距離を取るべく手近な部屋へ入ろうとするがドアノブが動かない。

 直感でわかった。これは劣化や建付けの問題ではなく、この男性の中に居る何かの仕業だ。

「久しぶりに厄介な相手ですね……!」

「えっ、なに、もしかして閉じ込められたの!?」

「ケイも感じましたか。そのまさかです」

 これだけ強い力を持っているとなると分が悪い。少し作戦を練った方が良さそうだ。


 男性が再び迫ってくる前にケイの手を引いて走り、距離を稼ぐべく二階へと向かう。

 昼だというのに暗い室内は懐中電灯無しではちょっとした瓦礫にも躓いてしまいそうだった。一ヵ所だけ初めからドアの壊れている部屋を見つけた僕はそこへ飛び込む。

「霊は憑りついた人間を再びここへ呼び寄せて餓死させていたみたいですね」

 十年前、このビルでホームレスが餓死した。

 それが心霊スポットとして扱われるようになった理由であり、そして拍車をかけたのが数年おきに年齢も性別も出身地も異なる餓死者がここで見つかったことだ。

 それもあり来年には本格的に取り壊されることになっていた。

 その原因があの霊だったわけだ。


「道連れタイプはしつこい上に犠牲者が多いほど強力です。……予想はできたのに見誤りました。巻き込んですみません」

「いや、留守番しててって言われても無理やりついてっただろうし気にしないでよ」

「あっけらかんと……!」


 それより、とケイは僕を見上げる。


「あれって肉体に入ってるから壁を透けてきたりしないのよね? ここに罠張って待ち構えちゃう?」

「強かですね……ええ、そのつもりでした。出入口を見張る形でぬいぐるみたちを配置します」


 ケイは存外除霊師に向いているのかもしれない。

 彼女にこれだけ覚悟があるなら僕も応えなくては。

 ぬいぐるみを部屋に散開させ、壊れたドアを見張らせる。一斉にこれだけ動かすのは消耗が激しいが致し方ない。

 しばし待っていると周囲の空気がズンと重くなった。威圧感というよりは眠気を誘うタイプの圧だ。

「眠気で判断力を鈍らせるつもりみたいですね。小癪な……」

「眠いけど眠っちゃダメなんて室内なのに雪山遭難してるみたいね」

 ケイは頭を何度か振り、そして僕の袖を掴むと苦笑いした。


「で、じつは昨日深夜番組見てて夜更かししたせいかめちゃくちゃ効いてるのよね……」

「仕事の前日に何をしてるんです!?」

「昼間なら大丈夫なレベルだったのよ、ごめん!」


 そこまで過度に夜更かししていたわけでもないらしい。それでもわざわざ口にしたのは罪悪感があるのと、何か喋っていないと起きていられないからだろうか。

 僕はしばし考え、そしてケイをちらりと見て言った。

「……なら寝ないように話をしてもらえますか」

「話? うんうん、する」

「ケイの目標っていうのは何なんです?」

 ――訊ねるならここしかないと思った。少しズルいが、もし話したくないならはぐらかすのも頭を使うので眠気に抗う一手になる。

 ただちょっと嫌われちゃうかもな、と思っているとケイは何の迷いもなく話し始めた。


「私、子供の頃から人形を作るのが好きだったの」

「……ハイスペックですね」

「あはは、始めた頃は簡単なものばかりだったけどね。……それで、初めて作った女の子の人形を学校に持ってったんだけど、いじめっ子に取られちゃって」


 当時はまだここまで活発な性格ではなかったケイはなかなか返してと言えなかったという。

 そしてようやく勇気を出していじめっ子に直談判に行ったが、そこでとんでもないことを返された。なんと当時流行っていた『ひとりかくれんぼ』にぬいぐるみを使用したらどこかへ消えてしまったのだという。

 ひとりかくれんぼとは人形を使った呪術めいた遊びだ。

 僕たち除霊師の間でも一般人が行なうにはちょっと危険な儀式かも、と話題に上っていた。それを子供が見様見真似で行なうなんて恐ろしい。

 ケイは眉根を寄せる。


「そこでね、思ったの。きっとぬいぐるみは悪霊に取られたに違いない! 探してあげなきゃ! って。そこで探すには除霊師になって色んな霊に接する機会を増やすべきだと考えたわけ。そのために色々調べ回ったのよ」

「いやほんとハイスペックですね」

「そう一念発起して除霊師を目指したんだけど、どうしてもなり方がわからなくって心霊スポット行脚をしてたのよ。趣味の人形作りはしながら。ウチってそこそこ裕福だから今までのお小遣いも全部貯金してあったし、人形の売り上げもあったから色んなところへ行けたわ」

「ハイスペックでアグレッシブですね」


 そこで布伏さんに出会ったの、とケイは微笑む。

 話している間はずっと険しい表情だったが、その瞬間だけ目つきが柔らかくなりついつい見入ってしまった。警戒しなきゃいけないのにとんでもないことだが。

「こういうのって最初に話しておくべきだったんだろうけど、ごめんね、怒られるかなと思って」

「ああ……確かに一人でそういう場所を歩き回るのは感心しませんね。霊だけでなく生身の人間が居ても危ないですし」

「だよね……」

「あの時出会えて良かったですよ」

 そう思ったままを言うとケイが固まった。

 目線がこちらに向いた気配がしたが、すぐに下を向いてしまう。

「な、なんです?」

「いやその、別の意味に聞こえただけ」

「別の? ……!」


 その時だ。

 出入口の向こうから足音がした。


 ついに来たらしい。圧迫感も強まり、もはや蛇の腹の中にでも居るかのようだ。

 僕は呼吸を整えてケイを守るように立ちながら出入口を警戒する。そして――男性が部屋に入ってくるなり、待機させていたぬいぐるみを一斉にけしかけた。

 人の肉体から追い出す念をこれでもかと込めたぬいぐるみたちだ。

 全身に群がられた男性はたたらを踏んだが前へ進む。――それがまるでこちらへ向かってくるぬいぐるみの塊に見えてしまい、一瞬怖気づいた。失敗だ。自分の作り出したものに怯えてどうする。

 そう気を取り直したがニット帽に縋りついていたぬいぐるみが帽子ごと落ちてしまった。

 顔が露になる。

 目は両方とも僕を見ていた。

 視線が合った瞬間、男性は限界まで首を伸ばして僕に近寄る。


「布伏さん!」


 ケイの声が聞こえた瞬間、僕はこいつがこちらの肉体を奪おうとしていることに気がついた。

 次の犠牲者に決めたわけだ。視線を媒介にこちらの頭の中へ何かがずるりと入ってくる。その感覚はトラウマの記憶と――かつてぬいぐるみに取り憑いていた悪霊が入ってきた感覚とそっくりだった。

 吐き気がする。

 憑依のせいかトラウマのせいかもうわからない。

 僕の制御下から外れたぬいぐるみたちがばらばらと床に散らばる。ケイの声が遠い。このままでは全て僕の中に入ってしまう。


 そう思った時、犬の吠える声がした。


「マ、マシュ丸……」


 ケイが作ったマシュ丸のぬいぐるみだ。

 実戦には投入せず、カバンの中に潜ませていた。つまり御守り代わりだった。

 そんなマシュ丸のぬいぐるみが吠えながら悪霊に体当たりし、僕の中から引き抜く。咳き込みながらそれを見届け、僕は最後の力を振り絞ってぬいぐるみたちを操った。

 悪霊は憑依のためにほとんど外に出ている。

 今なら肉体の中に居る時よりダイレクトにぶつけることができるはず。


 精神を掻き回されたせいで視界が歪む。

 意識を手放す瞬間――マシュ丸のぬいぐるみに重なって、本物のマシュ丸の姿が見えた気がした。


     ***


「……僕が早く生まれ変わることを祈ったから、安心させようとずっと隠れてたみたいです」


 翌日、事務所にて。

 膝の上でケイが作ってくれた小さなボールにじゃれているマシュ丸のぬいぐるみを見ながら眉間を押さえる。

 あの後、僕は廃ビル内でケイに起こされた。悪霊には気を失う直前に打ち勝てたらしい。取り憑かれていた男性も栄養失調気味にはなっていたが命に別状はなかった。

 安堵していたところに当たり前の顔をして現れたのがぬいぐるみに入ったマシュ丸の霊である。

 主人想いの忠犬ではあるだろう。

 ただ凄まじい拍子抜け方をした。ちらっと姿を現すくらいしても良かったんだぞ……!


「マシュ丸がこの中に入ってるの? マジで? 動くぬいぐるみは沢山見てきたけど自分が作った子が動くのって凄い体験だわ……」

「その、ケイのぬいぐるみはこういう用途と相性が良いみたいですね。普段はここまで馴染まないので」

「! たっくさん想いを込めたからね! もしかして今後も布伏さんの役に立てるんじゃない?」


 そう笑いながら言ったケイに「結構真面目に役に立ちますよ、というかこちらから協力を依頼したいです」と伝えると再び「マジで?」と口にして固まってしまった。

 フリーズしてるなら重ねて色々伝えてしまおう、と僕は言葉を続ける。

「弟子として紹介してもいいレベルだと思うんですよ。そこでですね、ケイ。うちの実家に来ませんか」

「ほあ!?」

「奇声!?」

「いや、別の意味に聞こえただけ!」

 また不思議なことを言うなと思いつつ実家へ向かう約束を取り付ける。

 父からしたら孫弟子だ、今までは見習いどころじゃないほど形だけだったが、ケイのぬいぐるみの有用性がわかったからにはその使い方を話し合うためにも紹介しておいた方がいい。

 そう「父にも紹介します」と伝えると、ケイは再びおかしな声を発した。



 僕の実家は東京から三つほど県を跨いだところにある。

 それなりに大きい家だが田舎だからだろう。そうケイに説明すると「無自覚こわ!」と即座に返された。少し不服だ。


「まあそんなに緊張しないでください。……と言いつつ、僕は僕で緊張してるわけですが」

「怖いお父さんなの?」

「いや。でも仕事に関しては別でして……。今回の件を説明するのに僕のヘマを伝えることになるんで説教ルートかなと」


 ケイにも情けないところを見せてすみません、と言うと凄い勢いで首を横に振られた。

「布伏さんは情けなくなんかない。むしろ人として尊敬してるもの」

「そ、尊敬? 僕を?」

 そう、とケイは頷く。

「仕事で使うぬいぐるみは汚れもなくて綺麗だったでしょ。布伏さんは人形が怖いのに人形を丁寧に扱ってた。それだけでぬいぐるみ作家の目で見ても尊敬できる」

 すごいよと言い重ねられてむず痒い気持ちになった。

 好きな子にここまで言われて嬉しくないなんてことがあるだろうか。これから説教が待っていようが耐えられるくらいだ。


(やっぱり好きなんだよな……すごく好きなんだよなぁもう……)


 師匠失格だと思っているとケイがつんつんと袖を引いた。

「あのさ」

「はい?」

「門をくぐる時だけでいいから、手、掴んでていい?」

 緊張して、とか心細くて、などの理由は言わず、ケイはそれだけ短く伝えてこちらを見上げた。

 いやもう玄関の中に入っても掴んでていいですよと食い気味に言いたかったが、ぐっと堪えて「いいですよ」と笑みを浮かべる。

 するとケイは安堵した様子で笑みを返した。


 手を握られる。細くて柔らかい手だ。しかし確かに温かい。

 浮ついた気持ちで門をくぐり、名残惜しく思いながら手を離して玄関へ向かう。

 よし、ここからは師匠としてしっかりとしなくては。ケイに不安を与えてはならない。


 そう思っていたのだが、玄関の戸を開けるなりぬいぐるみが靴棚の上に飾られていて腰を抜かしそうになった。

 件の僕にトラウマを与えたぬいぐるみだ。


 前は居間にあったのにわざわざ玄関に移したのか!?

 しかもガラスケースに入れて!?

 背景に季節に合ったポスターまで貼って!?

 頭に乗ってる帽子は手作りか!?


 少し見ない間にオシャレになった女の子のぬいぐるみ。

 それを凝視していたケイが目をまん丸にして言った。


「こ、この子だ! 私の探してた子!!」

「――えっ!?」


 先ほどとは異なる驚きを込めてぬいぐるみを再度見る。

 ……合縁奇縁というのは人形相手にも使える言葉だったらしい。


     ***


 父に挨拶を済ませ、その後にぬいぐるみについて訊ねたところ、それを初めて見つけたのはケイの出身地と同じ場所だったと判明した。


 寂れた公園に霊の入れ物になった人形が落ちており、手作りだろうに酷い状態だったそれを不憫に思い父が祓って連れ帰ったそうだ。

 しかし家で他の霊の触媒にされ、そいつが僕を狙ったわけである。


 二度も取り憑かれたぬいぐるみ。

 今回の件で二度も取り憑かれかけた僕。


 まさかこのぬいぐるみに親近感を感じる日が来るとは思ってもいなかった、と帰るために再び向かった玄関で思う。

 父は忙しく見送りには来れなかったが、ケイのことは気に入った様子だった。特異な才能のため活かし方については後日改めて話し合おうという話になっている。それまでに知人や友人からも意見を聞いておいてくれるそうだ。

 こういったパイプは僕にはまだないので素直にありがたい。――案の定説教をされ、それ自体には耐えられたもののケイの前で子供のように叱られたこと自体に受けたダメージはそれなりだったが。


「……あ、でもこのぬいぐるみが目標だったなら弟子も終わりなのでは……、そ、その、この子、連れ帰りますか?」


 自分で言っておいて動揺してしまった。

 敢えて大きめの声で訊ねるとケイはきょとんとしてから微笑む。

「何年もこうして飾って可愛がってもらえてたなら、もうそれで十分だわ。ありがとう。……本当にありがとうね」

「わかりました、……あの……僕、短い間だけどケイと師弟になれてよかっ……」

「何言ってるの、まだ弟子は続けるわよ?」

 え、とケイを見る。

 彼女はにんまりと笑っていた。

「でも目標は達成しましたし、それに除霊師の師匠としてはまだまだ未熟だと今回の件でバレたと思うんですが……」

「布伏さんって心配性よね」

 ケイは「私はあなたの弟子を続けたいの」とはっきりした声で言った。


「それにね、私の成長を見てほしいし、あなたの成長も見たいもの」


 まだ師匠として未熟って言うなら見せてくれるんでしょ? とケイは僕の顔を覗き込む。

 その姿が眩しく感じられた。

 まだ人形は怖い。けれど好きな子の頼みなら頑張れる。心の中でそう即答できたことが、なんとなく成長のように感じられた。


「ええ、そうですね。成長か、……」


 今の僕ではこの子に気持ちを伝える気にはなれない。

 師匠として、ではなく人間として。

 だが成長した後なら、また違った心持ちで向き合えるのではないだろうか。

 気持ちを伝えた結果がどうなろうがすべて受け止められるくらい成長したい、そう思う。

 僕は今出せるなけなしの勇気を振り絞り、それでいて余裕を見せようと努力しながら袖を引いていたケイの手を軽く握った。


「除霊師や師匠としてだけでなく、僕の成長を見せられるように頑張りますね、ケイ」

「ひゃ!? あっ……うん! 楽しみにしてるわ!」

「じゃあ嫌じゃなければですけど――今から僕のことは武見って呼んでください」

「っえ!? な、なんで。いやその全然オッケーだけどっていうか嬉しいけど!」


 真っ赤な顔が可愛らしい。

 これもいつか正直に伝えられるようになろう。

「僕だけ呼び捨てはズルいじゃないですか、それに」

 そう思いながら笑みを浮かべ、決意を込めながら伝える。


「成長を見せるって言ったところなので」


 人への感情もまた、綿のように少しずつ詰められていくものなのだろう。彼女によって今の僕に成ったなら、それを少しずつ見せていきたい。

 小さな第一歩だが、僕としては上々ではないだろうか。


 その背を押してくれるように、懐に潜んでいたマシュ丸の小さな鳴き声がした。

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綿詰めの恋 縁代まと @enishiromato

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