注文の多い家

よもぎ望

注文の多い家

 深夜0時。過度な労働でふらついた足をなんとか動かして家路を辿る。

 家で待つ明人と絵里はもう寝ているだろうか。愛らしい息子と妻の寝顔を想像して思わずにやけてしまう。早く帰ってその頭を撫でてやりたい。


 赤い屋根の一軒家。見慣れた我が家の玄関扉を開けると、息子の描いた家族の似顔絵が飾られた廊下がおで迎え……してくれなかった。


 玄関と廊下を区切るように上から吊り下げられた白いカーテン。模様替えでもしたのか?と上から下までじっくり見たところで、カーテンの足元に紙切れが落ちていることに気が付いた。

 拾ってみれば、そこには『ここで髪をきちんとして、それからはきものの泥を落してください』と拙い文字で書かれている。


「こんな文章、前にどこかで……」


 そう口にしたところで思い出し、外へ出て玄関扉を見た。さっきは目に入らなかったが、扉の足元には『どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません』の紙が貼ってある。


 間違いない。これは『注文の多い料理店』だ。


 明人は本を読むのが好きで、気に入った話に影響されることが度々ある。話にでてきた動物を見に行きたいと言ったり、ごっこ遊びに取り入れたり。絵里もそういった遊びに協力的な性格だ。疲れた父親を巻き込み笑わせてやろうという可愛らしいドッキリだろう。

 仕方ない、ここは付き合ってやろう。扉の紙を剥がして再び家の中に入る。


 紙の指示通り、玄関で靴を脱いで軽く汚れを落とし、靴箱の上に用意されていたくしで髪をとく。


 カーテンを潜れば、すぐにまた同じカーテンが現れた。その足元には茶色の籠と『鞄をここに置いてください』と書かれた紙切れが1枚。

 なるほど。鉄砲も弾丸も持っていないから鞄を置く場所に変えたらしい。感心しつつ籠の中に鞄を置いた。


 次のカーテンには『どうか帽子とコートをおとり下さい』という紙切れがあった。右手の壁には見慣れぬ取り付け式のコート掛けができている。わざわざ作るなんて、想像以上に大掛かりなドッキリだな。


 帽子とコートを壁にかけてカーテンを潜る。次の瞬間、ガンッと右足に鈍い痛みが襲う。


「いっ……だぁ……なんだ!?」


 しゃがみこんで足を抑えながら目の前を見れば、そこには黒く大きな金庫があった。ご丁寧に扉は開いたまま。

 痛みを堪えつつ『ネクタイピン、時計、眼鏡、財布、その他金物類、尖とがったものは、みんなここに入れてください』の紙切れに従い、時計やネクタイピンを外して金庫へ入れる。


 ずいぶん軽装になったところでカーテンを潜った先は、カーテンではなく扉だった。リビングの前まで着いてしまったらしい。扉の前には『瓶のなかのクリームを顔や手足へ塗ってください』の紙が貼り付けられている。紙の端に小さく『洗面所で』と書き加えて。

 左手にある洗面所の扉を開くと、洗面台の前にはガラスの小瓶に入ったクリームが置いてあった。手と顔を軽く洗って小瓶の中身を顔と手足に塗りこむ。


 全身が牛乳臭くなったところで廊下へ出ようとドアノブに手をかけた。が、扉に紙が貼ってあることに気づいて動きを止める。紙には『クリームをよく塗りましたか、首にもよく塗りましたか』とある。そういえばそんな文章もあったなあと小瓶に残っていたクリームをまんべんなく首に塗る。


 リビングの扉には先程取ったはずの紙切れが再び付けてあった。『料理はもうすぐ。十五分とお待たせはいたしません。すぐたべられます。早くあなたの顔に瓶の中の香水を振りかけてください』と文字を変えて。

 俺が洗面所に行っている間に、リビングで待機していた2人が用意したのだろう。丸椅子の上に置かれた香水瓶を手に取ってサッと顔に振りかけた。甘ったるい香りが鼻を抜ける。


 さて、そろそろネタばらしかな?とニヤつきながらベタつく手でドアノブをひねる。


 物音一つしないリビング。妻子の姿は見当たらない。まだなにかあるのかと室内をきょろきょろ見回すと、机の上にA4サイズほどの紙があるのに気がついた。


『いろいろ注文が多くてうるさかっとたでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうか』


 そこまで読んだところで視界がぐらりと揺れた。眠い。頭がふわふわする。よっぽど疲れが溜まっていたのだろうか。傍にあったリビングチェアに座り込んで、そのまま机に張り付くようにして眠りについた。


 意識を手放す直前、大きな黒い手がこちらに伸びているような気がした。



「すごいすごい!こんなに簡単に捕まるなんて!」

「だから言っただろォ?この本の通りにすれば捕まるってよォ」

「捕まえるだけじゃなく味付けまでしちまうんですもの。こんな狩の方法があるんなら、暫く飯にゃあ困りませんねえ!」

「あァ。早速巣に持ち帰って兄弟たちに分けてやろう」


「それにしても……あーんなにわかりやすい罠に引っかかるなんて、人間は馬鹿ですねえ」

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