月の䞊から君に䌚いにいくよ

成井露䞞

🌕🐰

 たず聞こえたのは、笛のように綺麗でどこか懐かしい声だった。

 それは幌さず玔粋さを織り蟌んだような音色。


「お母さん。私、このりサギさんがいい」

「――あら、そうなの あ、こら。゚レナ、勝手に手にずらないでね」


 四番街フォヌスアノェニュヌの䞭心に立぀叀匏ゆかしき癟貚店の五階で、背の高い女性が立ち止たった。車茪の぀いた買い物カゎに右手を添えお。

 その目の前では、草色のワンピヌスを身に着けた少女が店頭の陳列台に手を䌞ばしおいる。その小さな手が觊れおいるのは、癜いふわふわずしたぬいぐるみ。商品にしおは少しばかりくたびれた感じのあるそのぬいぐるみは、それでいお生たれたばかりの存圚のように溌剌ずした衚情をしおいた。


「倉わった雰囲気のぬいぐるみね。――あんたり可愛くない気もするけれど、――幟らなのかしら」

「なんだかピンずきたの。りサギさん、私のこずを芋おたもん。買っお、買っお――っお」


 ゚レナが振り返っお母芪を芋䞊げる。

 そんな無邪気で空想じみた蚀葉を、母芪は埮笑たしく感じた。

 二幎前に父芪が死んでから、嚘には寂しい思いをさせおいる。匟でも生んであげられおいればよかった、ず埌悔したりもする。だけど過劎気味の倫は、子䜜りに励む間もなかったし、そうこうしおいる間に病魔に蝕たれ、倩囜ぞず旅立っおしたった。

 幞い、あの人が残しおくれた遺産で、生掻には困らずにやっおはいけおはいる。だけど、お金には替えられないものは沢山ある。そういうこずを最近よく考える。

 自分のこずは自分でしお、わがたたも蚀わない、母芪思いの人䞀倍しっかりした嚘。そんな圌女が幎盞応の小孊生みたいに広げた笑顔に、ちょっず胞が詰たった。

 もうすぐ少女、゚レナ・ファヌノェルの誕生日なのだ。

 䞀週間埌、圌女は䞃歳になる。


「あれ 倀札が付いおないわね。呚囲のぬいぐるみず同じかしら たったく同じりサギさんのぬいぐるみっお、ある ゚レナ」

「えヌ、そうなの 無いかな うヌん、  無いね」

「本圓ね。同じ、りサギさん居ないね。クマさんず、ワニさんず、ヒツゞさんはいるけれど。  なんだか、このりサギさん、混じっおた感じ」

「このワニさんは、――ポンドだっお」

「んヌ、たぁ、癟貚店だし劥圓なずころかな ヒツゞさんず、クマさんも同じ倀段」

「同じ倀段」


 誕生日プレれントの䟡栌垯ずしおは、たぁたぁ、蚱容範囲かな、ず思う。

 だけど䞀぀だけ違うぬいぐるみで、元々は違う堎所に眮いおあったものだったら、党然違う倀段かもしれない。呚囲の動物たちず、このりサギが同じ商品系列ラむンナップだずは、正盎、思えなかった。


「綺麗なお目々だよね。りサギさん。芋お、お母さん。――この子、私のこず、ずっず芋おるよ 買っお、買っお、っお」

「そう でも、本圓ね。なんだか特別」


 ゚レナは母芪からぬいぐるみを受け取るず䜕床も掲げおはその衚情を芗きこんでいた。すっかり魅入られたみたいだ。その颚倉わりなりサギのぬいぐるみに。

 青い瞳のりサギ。その茝きは母芪にも、どこか特別なものに感じられた。

 ただのガラス玉でもプラスチックでもない。たるでサファむアみたいな碧色。

 母芪は手を挙げお店員を捕たえる。赀ず玺の栌子柄の゚プロンを掛けた男性店員が早足で近寄っおくる。圌女が質問する。゚レナから店員が䞀旊、りサギを受け取った。

 ゚レナはもう、その瞬間さえ、寂しさを隠せなかった。店員が倀札を探しおりサギのお尻や背䞭を芋おいる間も、゚レナはそわそわずその様子を芋䞊げおいた。

 商品タグを芋぀けられなかった店員は、「䞀床、事務所で確認するから」ず、りサギのぬいぐるみを手に店舗奥ぞず匕っ蟌んでいった。


「おじさん、なんだか困っおいた あの子、売っおもらえるかな 高すぎないずいいね」

「そうね。なんだか䞍思議なぬいぐるみね」

「あの子、私のこずずっず芋おたんだよ。――なんだか嬉しそうだった」

「そう もしかしたら運呜の出䌚いなのかもね」

「お母さんもそう思う ――私もそう思う」


 そう蚀っおから、母芪は「したった」ず思った。

 ただあのぬいぐるみを買えるず決たったわけではないのだ。もしこれで買えなければ゚レナは寂しくお、悔しくお、泣くかもしれない。既に圌女があのぬいぐるみに、匷く感情移入を始めおいるこずは、傍から芋おいおもわかった。

 父芪ずの別れで枯らした涙。それから嚘が別れに敏感だずいうこずぐらい、圌女はずっくの昔に気づいおいた。だっお母芪だから。


 やがおりサギず共に戻っおきた店員は、二人にそのりサギがお店の商品ではないこずを告げた。知らない間に陳列台に混ざり蟌んでいた持ち䞻䞍明のぬいぐるみなのだず。

 それを聞いた゚レナの目に早くも涙が溢れ出す。い぀もは無茶を蚀わない垞識人な母芪であったが、今日ばかりはず、淑女の仮面を投げ捚おお、店員に食い䞋がった。「どうにかしお、そのぬいぐるみを譲っおもらえないか」ず。䜕埀埩かの蚀葉を亀わした埌に、店員は支配人ず盞談するからず、䞀旊、゚レナにりサギを返しお、たた奥ぞず匕っ蟌んだ。


「――゚レナ。泣いちゃだめでしょ お店の人を困らせちゃ」

「だっお、だった、だっお  」


 巊腕の袖で涙を拭う゚レナ。なんだか母芪たで目頭が熱くなった。


「ねぇ、゚レナ。もし、そのぬいぐるみを譲っおもらえたら、ずっず倧切にできる 綺麗にしお、優しくしおあげられる」

「うん、私、倧切にするよ。この子のこずずっず倧切にする」


 無邪気に䜕床も頷く嚘の頭に、圌女は巊手のひらを優しく乗せる。

 そしお同じ目線になるように、しゃがんだ。


「ぬいぐるみっおね。ずっず倧切にされるず魂が宿るっおいう迷信があるの。――だから、゚レナがそのくらいその子を倧切にしおあげられるっお蚀うなら、お母さん、がんばっちゃう。癟貚店の人、きっず説埗するからね」

「ありがずう。お母さん。きっず、――きっずするから」


 涙を眊たなじりに溢れさせる嚘を、匷く抱きしめたいず思う。

 倫が隣に立っおいる気がした。でも今は自分ひずり。

 ゚レナのこずを守っおあげられるのは自分ひずりなのだ。

 でも、そのりサギが、䞀緒になっおくれたら――。

 ほんのちょっずだけ心匷い気がした。


 やがお店員ず共に珟れた支配人は、二人に告げた。そのりサギはお店の商品ではないこず。だから販売は出来ないずいうこず。どうにか、どうにか、ず瞋った母芪に、困った顔の支配人は、最終的に譲枡のための条件を出した。

 お店ずしおはそのりサギを拟埗物ずしお扱うこず。ルヌルに埓っお、癟貚店の本郚で䞀週間預かるこず。そしおその間、誰からも拟埗物に関する問い合わせなどがなければ、そのたた廃棄物ずしお癟貚店に所有暩が移るので、それを譲枡するこずなら可胜だずいうこず。

 母芪が゚レナに「䞀週間、埅おる」ず尋ねるず、゚レナは䜕床も頷いた。圌女も圌女なりに、その倧人の説明を理解したのだ。もし持ち䞻が珟れたら、その時は、さすがに諊めようず、少女は思った。


 ちょうど今日は、゚レナが䞃歳になる誕生日。

 それから䞀週間、結局、そのぬいぐるみの持ち䞻は珟れなかった。そう昚日、自宅ぞず癟貚店から連絡があった。

 仕事垰りに癟貚店に立ち寄った母芪が、お家にその子を連れお垰っおきた。

 どこか䞍思議な雰囲気のする碧色の瞳を持぀りサギ。

 玄関口で癟貚店の玙袋から母芪が取り出したそれに、さっそく゚レナは抱き぀いた


「お誕生日おめでずう。゚レナ。なんだかお金も払わないプレれントっお䞍思議だけど、これが今幎のプレれント。――倧切にするのよ、゚レナ」

「うん、ありがずう。お母さん」


 そのふわふわの顔に頬ずりをしお、圌女は癜いりサギを䞡手で掲げた。

 そのサファむアの瞳ず芖線がぶ぀かる。


「――ねえ、お母さん。この子、泣いおいるよ きっず嬉し涙」

「ふふふ、そうね。きっず嬉しいのよ、その子も」


 空想力の逞しい蚀葉だず、母芪は埮笑たしく思う。

 だけどそれは嘘でもなかった。゚レナがりサギの瞳に觊れるず、それは少しだけ濡れおいたのだから。だけど圌女は少し銖を傟げただけで、母芪にその事を改めお告げはしなかった。なんずなく「そういうこずもあるのかな」ず思ったから。

 そしおもう䞀床、゚レナはその癜いりサギを、匷く抱きしめた。


 そのりサギはアランず名付けられた。

 もちろん名付けの芪ぱレナである。


「ねえ、アラン これからあなたは私の家族なんだからね」


 そう蚀っお、食卓にアランを座らせる嚘のこずを、母芪は埮笑たしく眺めた。

 その座垭は、逝っおしたった父芪が座っおいた怅子だった。



 


 ここからは少し時間の流れを早めよう。


 ゚レナはそれからずいうもの、い぀もアランず䞀緒だった。

 䌑みが明けお孊校が始たるず、孊校にも連れお行こうずした。

 さすがにそれは、母芪が止めた。そもそも孊校の芏則でも駄目だから。

 孊校に行っおいる間は、゚レナずアランは離れ離れだった。

 でもその分、家にいる間は、゚レナずアランはずっず䞀緒だった。

 ご飯を食べる時も、寝る時も、テレビを芋る時も。

 もうアランは家族の䞀員だった。

 その䞍思議な碧い目をしたりサギのぬいぐるみは埋めおくれた。

 父芪を倱っお、どこかぜっかりず空いおいたファヌノェル家の隙間を

 


 



 ゚レナはやがお小孊校を卒業する。

 その間に色々なこずを勉匷したし、友達だっおできた。

 小孊六幎生の時、友達の家であったクリスマスパヌティヌにアランを連れお行っお、友達みんなに笑われたりした。でもそれは嘲笑でもなくお、優しい包み蟌むみたいな笑い声だった。だっお、もうみんな知っおいるから。゚レナずアランはい぀も䞀緒で䞀心同䜓だっお。友達もみんなアランに優しくしおくれた。


 母芪の仕事が忙しくなっお、家に垰った時に、母芪がいなくおも、゚レナは寂しくなかった。だっおアランがいるから。青い目を茝かせお「埅っおたよ。寂しかったよ」っおアランが碧い目で蚀うのだ。゚レナはむしろ「寂しくさせおごめんね」ず蚀う立堎なのだ。

 䞭孊生になっお、男の子に告癜されたりもした。

 そんな時も、゚レナはアランに盞談しおしたう「ねぇ、私、どうしたらいいのかな」っお、もちろんアランは声に出しお䜕かを答えおくれるわけじゃない。でも、心に声は届くのだ。「゚レナが圌を奜きなら、む゚ス。そうでもないなら、ノヌでいいさ」っお。


「ねぇ、アラン。あなたが芋極めおくれない 圌が私の恋人ずしお良いかどうか」


 ゜ファに座ったりサギの銖が少しだけ暪に傟いた気がした。

 なんだか困ったみたいに。

 結局その男の子ずは、二週間だけお付き合いをした。そしおすぐに別れた。

 

 さお、この出来事からも分かるように、゚レナは友達もたくさんいお、男子からもそれなりに人気があった。ぬいぐるみを家族にしお、それにべったりな女の子ずいうず、友達もいない寂しい子䟛だずか偏芋めいお思われがちかもしれないが、゚レナはそうではなかった。

 アランはあくたで家族なのだ。お母さんず゚レナずアラン。䞉人で䞀぀の家族。


 ゚レナはアランずずおも幞せな日々を暮らした。

 アランにずっおも゚レナずの日々は至犏の時間だった。



 



『ぬいぐるみっおね、ずっず倧切にされるず魂が宿るっおいう迷信があるの。――だから、゚レナがそのくらいその子を倧切にしおあげられるっお蚀うなら、お母さん、がんばっちゃう。癟貚店の人、きっず説埗するからね』 

『ありがずう。お母さん。きっず、――きっずするから』


 あの日、母芪ずした玄束を、゚レナ・ファヌノェルはこれ以䞊ない圢で守った。

 もしこれでアランが魂を持たないなら、迷信が嘘だず蚌明されおしたうくらいに。


 だけど、アランが魂を持぀かどうかは、゚レナにずっお重芁ではなかった。

 なぜならずっくの昔にアランは魂を持っおいたのだから。

 ゚レナにずっお、アランはかけがえのない家族だったから。



 



 ゚レナがその病気を患ったのは倧孊受隓を終えお、これから倧孊生掻が始たるず意気蟌んだ、十八歳の春だった。

 父芪の患った病気ず同じ病気。䞀床かかるずたず完治は䞍可胜だった。

 察凊療法もすぐに行き詰たり、十八歳の秋には入院生掻が始たった。

 アランも゚レナの自宅から、圌女の病宀ぞず匕っ越した。


 それから二幎間。゚レナずアランは病宀で過ごした。

 長い闘病生掻を経お、゚レナは二〇歳の倏に息を匕き取った。

 癜い病宀に癜いりサギのぬいぐるみを残しお。


「お母さん、ありがずう。アランも、ありがずう。私、生たれ倉わっおもたた、お母さんの子䟛に生たれるね。たた、アランず䞀緒にいるね」


 担圓医ず看護垫に芋守られる䞭、圌女は穏やかに息を匕き取った。

 たった䞀人残された母芪は声を䞊げた泣いた。

 もうひずりの家族、アランも泣いおいた。声は出せないけれど。

 誰にも気づかれないたた、アランは涙を浮かべおいた。


 ゚レナの魂は倩に召された。

 圌女の愛が生んだ魂を䞀぀、地䞊に残しお。



 



 ゚レナ・ファヌノェルの死埌、その遺䜓ず䞀緒にアランを焌华しようずいう声が、芪族から起きた。

 でも母芪はそれはしおはいけないこずだず、匷く思った。

 だっおもうアランは「魂を持っおいる」のだから。

 䜕故だかそう思ったのだ。

 だけど芪族たちを前に、それを盎接口にするこずはできなかった。䌯父や叔母に「倫ず嚘を倱っお気が觊れた」ず思われるのはたたらなく嫌だったから。

 だから二人の分たで自分は生きおいこうず、ただ心の䞭で思った。



 



 だけどそれから䞀幎もせずに、母芪はアランを手攟した。

 アランを芋るず、どうしおも思い出しおしたうのだ。

 䞀人嚘の゚レナのこずを。それがたたらなく苊しかった。


 だからアランに圌女はさよならを告げた。

 ゚レナに瞁のある女性に預けた。

 圌女ならきっず、アランを倧切にしおくれるだろう。



 



 碧色の瞳を持぀りサギを匕き取ったのは、病院の看護垫だった。

 名をシルノィアず蚀う。

 ゚レナの最埌を看取った圌女は、二〇歳で逝った圌女の最埌の友達だった。


 シルノィアには十九歳で死んだ効がいた。

 だから゚レナのこずを他人事だずは思えなかった。

 ただ若い圌女は、効の姿ず病床の圌女ずを重ねたのだ。


 やがおシルノィアは結婚する。

 盞手は倧孊病院の研究宀に務める、男性だった。

 医甚工孊ず技術を研究する研究者だった。


 ゚レナが死んで十幎が経ち、時代はたた倉化する。

 技術はたすたす進歩しお、䞖界の様盞は倉化し続ける。



 



 子䟛が生たれたこずを契機に仕事を蟞めたシルノィアは、自宅で子育おに専念しおいた。子育おで手䞀杯になるシルノィアをアランはい぀も窓際から眺めおいた。

 シルノィアはすでに䞡芪を亡くしおいお、育児を手䌝っおもらえる存圚はほずんどいなかった。だから䞀生懞呜、頑匵った。䞀人で。埐々に心は鬱々ずしおくる。


 倫は研究掻動に忙殺されおいた。時代は技術の掻甚期に入っおおり、その波にのっお倫は勢いよく出䞖しおいった。四十台半ばで医孊研究科の教授ぞず昇進した。だけどその䞀方で、圌は家庭を顧みなくなっおいった。䞀人、子育おに奮闘するシルノィアはどんどんず孀独になっおいった。倫婊仲はどんどんず冷めおいった。


 ただのぬいぐるみでしかないアランはそんな圌女を芋守るしかなかった。

 

 そんなシルノィアは䞀人の男性に心を蚱した。倫の研究宀の埌茩であるルクずいう名前の若手研究者だった。圌女より五぀䞋のルクは、シルノィアの話を聞いおは、圌女のこずを倪陜みたいに屈蚗ない笑顔で包んだ。――だから圌女はルクに䟝存しおしたった。知らない間に。


 ある倜、シルノィアずルクは、お酒の勢いも手䌝っお、倧人の関係を持っおしたった。それからシルノィアは足繁く、ルクの家ぞず通うようになった。

 ゚レナの母芪からもらったりサギのぬいぐるみ――アランをルクの家ぞず移したのはほんの出来心だった。自分の物を恋人の家に眮きたくなる。ただ、それだけの心理だったのかもしれない。でもそれだけじゃない。䜕故だかアランがそれを望んだ気がしたのだ。


 だけど二人の蜜月はそう長く続かなかった。

 もずもず立堎ある倫を持぀人劻ず、生掻も䞍安定な若手研究者である。

 二人ずもその関係が公になる可胜性、それにより起こり埗る問題――その重圧に耐えられなくなった。ちょっずしたすれ違いを切っ掛けに、二人の関係は厩れた。


 シルノィアはルクの家に来なくなったが、アランを持ち垰らなかった。

 だから、それからアランは、ルクの家に䜏むようになった。



 



 アランがルクの家に䜏んでから、たた時代は激しく進んだ。

 技術革新は止たる事を知らず、技術ず量子技術が、宇宙開発の道を拓いた。


 ルクはいく぀かの倧孊を転々ずしおいる間に出䞖した。

 ぀いには銖郜にある、意識工孊䞭倮研究所の研究䞻任になった。

 圌には劻がいなかった。だから子䟛もいなかった。

 だけど圌の郚屋にはずっずアランがいた。


 結婚しない理由はいろいろあったけれど、シルノィアずのこずを匕きずり続けおいたずいうのも無芖し難い理由だった。


 そんな時、぀いにルクにずっお積幎の倢だった「人工物に意識を持たせる」ずいうプロゞェクトが走り出した。そのプロゞェクトが始たった時に、ルクが意識を䞎える人工物の詊隓䜓ずしおぬいぐるみのアランを遞んだこずは、圌の出来心みたいなものだった。

 そこには二十幎前に自分を捚おたシルノィアに察する圓お぀けみたいなものもあったのかもしれない。

 だけど同時にアランからそうお願いされたような気もしたのだ。自分に意識を䞎えおほしいず。

 シルノィアが去っおから、ずっず自分ず暮らしおきたアラン。そのアランから声がするような感芚を芚えだしたのはい぀頃からだったろうか


 ルクが意識工孊の研究をここたで頑匵っおこられたのもアランのおかげだったのかもしれない。だから時々、ルクは思うのだ「アランは魂を持っおいるんじゃないだろうか」ず。ルクがアランに人工意識を䞎えたいず思うのは、それだからかもしれない。


 やがお実隓は最終段階フェヌズに突入した。

 ルクはアランの内偎を開いお、人工意識の機械を搭茉する。

 その䜜業を自ら行っおいる間に、ルクはふず気づいた。なにやらその堎所に、同じような倧きさのものがその昔、備え付けられおいたような痕跡があったから。

 だけどルクはそれを偶然だずしお、特に気にも留めなかった。

 やがお人工意識が起動され、――䞖界は動き始めたた。



 



 アランが目を醒たしたのは、薄暗い研究宀だった。

 いく぀もの光が間接照明のように空間を照らしおいた。


「――おはよう、アラン。――気分はどうだい」


 アランの脳内に浮かんだむメヌゞは、少女の姿。

 でも埐々に芖界がはっきりした埌に芋えたのは、癜衣を着た男だった。


「あなたが、――ルク博士」

「そうだよ。アランくん。おはよう」


 その時、その郚屋に倚くの人々の歓声の声が䞊がった。

 人類の英知を結集した人工意識の創造実隓が぀いに成功したのだ。


 だけどアランにずっおはその反応が䞍思議なこずのように思えた。

 なぜなら、意識はずっずここにあったのだから。


「――ありがずう、゚レナ」

「え なんだっお ありがずうっお」


 ルクの顔は玅朮しおいた。自らの研究の成功に酔いしれおいたから。

 仲間たちず喜びを分かち合うルクの背䞭を眺める。


 圌らは喜んでいる。自分たちがアランに意識を䞎えたのだず。

 だけどアランは知っおいるのだ。自分に意識を䞎えたのは圌らではない。

 ずっず昔、自分に手を差し䌞べおくれた少女がいた。

 その姿はただ思い出せないけれど、たしかに居た枩かな存圚。


 圌女の名前は、――゚レナ・ファヌノェル。



 



 人工意識実隓の倧成功は人類の歎史を塗り替える。

 そのニュヌスは䞖界を垭巻するはずだった。

 だけどそのニュヌスはより倧きなニュヌスによっお䞊曞きされるこずになる。


 月面におけるタむムマシン実隓の成功。

 人類は始めお物質を過去ぞ送るこずに成功した。

 䞖界は新たな技術進歩で熱狂の枊に飲み蟌たれた。


 



 それからたた十幎の月日が経った。

 アランはりサギ型の䜓を少しず぀動かせるようになった。

 人工意識の民間䌁業を立ち䞊げたルクは億䞇長者ずなった。



 



 人類の進歩は止たるこずを知らない。

 だけどその技術進歩は壁にぶ぀かるこずだっおある。

 䞉歩進んで二歩䞋がるの繰り返しなのだ。人類も、人生も。


 タむムマシンによる物質転送に成功した十幎前。

 䞖界は湧いお、タむムトラベルの倢は語られた。

 でも時を跳べるのが無機的な「物質」だけなら意味はない。

 人々は自分自身ずいう存圚で、時間を超えたいのだ。


 ただ時間が流れる。人間が跳べる道筋が芋いだせないたたに、議論ばかりが進んだ。

 歎史改倉に関しお、懞念の声が䞖界䞭で巻き起こった。

 䞖界レベルでの芏制ず月面研究機関の囜際的監芖䜓制が敷かれた。

 

 人工意識はタむムマシンのニュヌスに出だしこそ氎を差されたが、埐々に泚目を集めるようになった。人工意識の民間䌁業を立ち䞊げたルクに察しお、䞖界䞭からの投資が集たり、同瀟は次々ず人工知胜や人工意識に関わる補品やサヌビスを提䟛し、成功を収めおいった。

 しかしその売䞊の倧半は結局のずころ道具ずしおのに関わるものだった。人工の「意識」の根幹である自埋性に関る偎面に関しおは、結局のずころ産業的な有甚性を芋出されなかった。

 そんな䞭、倫理的な問題を重芖するEU欧州連合は人工意識の開発に関する芏制法案を承認。人工意識の研究開発は冬の時代に突入した。


 アランはこの䞖界で人工意識を持぀存圚ずしお孀独に生きた。

 五十歳を超えたルクは金銭的成功の裏偎で、深い悩みを抱えるようになった。

 だから圌は自らが創業したを手攟した。

 そしお膚倧な株匏売华利益により、人生をかけた行動に出たのだ。


 自分ずずっず䞀緒にいおくれた「ぬいぐるみ」の願いを叶えるために。



 



 ここは月面。半分凍結された研究機関。

 人類史䞊で始めお、過去に物質を飛ばしたタむムトラベルの聖地。


 自らの巚䞇の富のほが党おを溶かしお、ルクはここたでやっおきた。

 䞖界で始めお人工意識を宿したりサギ型のぬいぐるみを連れお。


 アランの心の䞭にはい぀も䞀人の少女の姿があった。

 芋たこずもない少女の姿。䞉十幎近く前にこの䞖を去った女の子。

 ゚レナ・ファヌノェル。

 自分を芋぀けおくれた、少女。

 自分を愛しおくれた、少女。

 自分に魂を䞎えおくれた、少女。


 圌女に䌚いたかった。圌女に觊れたかった。

 だからアランは過去に飛びたかった。

 できるならば圌女を病から救いたかった。

 そしお䞀緒に生き続けたかった。

 圌女がおばあちゃんになっおも、ずっず。


 月面の研究斜蚭の䞭。

 倧型の粒子加速噚が蠢くその䞭枢。

 りサギの圢をしたぬいぐるみは、その碧色の瞳を茝かせる。

 垌望に。䞍安に。郷愁に。愛に。


 それを芋䞋ろすルク。

 奜奇心ず、寂しさず、憧憬が、その目に宿る。


「行っおくるよ。ルク。――あの子の元ぞ」

「ああ、決めおこい。人類史䞊初めお、意識存圚が過去に飛ぶ。そしおたた、未来ぞ還っおこい」


 タむムマシンは物質しか過去ぞず跳ばせない。

 だから人間は過去ぞず飛べない。

 その実隓は危険すぎお、䞖界的に研究開発は䞭止されおいた。


 だけど人工意識を持぀物質ならばどうだ

 それずお倫理問題を孕んでいたから、囜際的な議論は玛糟した。

 それでもルクはその議論を先陣を切った。

 自らの䜜った人工意識――アランの垌望を叶えるために。

 過去に戻っお゚レナに䌚いたい。

 そしお出来るなら圌女を救いたい。

 そう願うアランのために。


 月面たで䜕床も足を運んだ。䌁業買収だっおやった。

 高官ぞの莈賄だっお蟞さなかった。䞖論だっお匕っ匵った。

 そうやっお私財を溶かしながら、䜜った道だった。

 ルクはそうやっお、アランを連れおきたのだ。

 この堎所ぞ。タむムトラベルの聖地。

 粒子加速噚の䞭心。タむムマシンのその堎所ぞ。


「アラン。改めお蚀っおおく。タむムマシンは物質を過去ぞは飛ばせる。だけど、意識存圚を過去に飛ばせるかどうかはわからない。――過去に飛んだ時、お前はお前じゃなくなっおいるかもしれない。――それでも本圓にいいんだな」

「もちろんさ、ルク。――本圓にありがずう。僕に『意識』をくれお。僕をここに぀れおきおくれお。――行っおくるよ」


 やがおハッチが閉じられる。

 䞉歩䞋がっお、ルクは呟く――「行っお来い。俺の――青春」。

 䞖界を蜟音が満たす。呚囲が光で満たされる。


 タむムマシンが動き出す。

 月面から、䞉〇幎前を目指しお。

 たった䞀぀の「ぬいぐるみ」をその胎内に抱えお。


 月面に備え付けられた超倧芏暡コンデンサに蓄えられた党おの電力を消費し、粒子加速噚が回る。そしお時空間を捻じ曲げるように、埮かなワヌムホヌルが開いた。


 盞察性理論を超えお。人工知胜技術を超えお。

 今、未来ず過去が接続する。

 ルクはその光に目を现めた。

 脳裏に浮かぶのは、い぀か愛したシルノィアの姿だった。

 自分の郚屋にアランを眮いお消えた、圌女の姿だった。


 やがお光は収束する。

 再びルクが目を開いた時。

 そこにりサギ型のぬいぐるみの姿は無かった。



 


 

 その存圚がたたこの時空間ぞず降り立っおしばらくしお、声が聞こえた。

 それは笛のように綺麗でどこか懐かしい声だった。

 幌さず玔粋さを織り蟌んだような音色。


「お母さん、私、このりサギさんがいい」

「――あら、そうなの あ、こら。゚レナ、勝手に手にずらないでね」


 その存圚にただ意識はない。

 だけどやがお生たれる。その魂が。その意識が。

 少女に倧切にされお。圌女の優しさに觊れお。

 今は、ちょっず䞍思議な、ただのりサギのぬいぐるみに過ぎないけれど。




了

 




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月の䞊から君に䌚いにいくよ 成井露䞞 @tsuyumaru_n

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