最終話 幸せなキス

 舞踏会での大騒動の後、ラインハルトとアイリスは正式に罪人として拘束されて裁きを待つことになった。

 ラインハルトは王族としての地位を剥奪、王位継承権は彼の弟に譲ることになった。

 

 それを知って以来、彼は抜け殻のようになり言葉すらまともに発しなくなったらしい。

 元々魔道具が使えないというコンプレックスを王位継承者であるというプライドで辛うじて維持していた彼にとって、あまりに受け入れがたい現実だったのだろう。

 

 

 同時に捕まったアイリスの方はさらに罪が重かった。

 当時平民だった彼女が男爵に魅了の魔眼を使って取り入り、養子として拾い上げさせたこと。

 王族のラインハルトに魔眼を使ったことが主な罪状として挙げられた。

 彼女の場合極刑は免れないようだ。そもそも、王族に危害を与えて王国を支配しようとした時点でどんな人間でも生かしておいてはもらえないだろう。

 

 魅了の魔眼は危険すぎる。それを彼女のような人間に預けたままにはしておけない、というのが王国の結論だった。


 大きな政変を経て、王城は変わろうとしている。

 ラインハルトについて甘い蜜を吸おうとした貴族は一層された。

 

 言葉の通り、お兄様は王国内においてじっくりと毒に侵された患部をまとめて排除したらしい。

 

 そのことへの感謝を伝えると、お兄様はいつものような穏やかな笑みを浮かべて、「彼が為したほどのことはできなかったですがね」と呟いた。

 その言葉には、ギルバートへの敗北感がわずかに籠っていた。

 王族すら巻き込んだ政変を完全に制御してみせ、混乱を最小限に抑えて次の政治体制の基盤を作った。

 

 それでも、彼はギルバートに負けたのだと思っているらしかった。

 

 

 

 

 時が経ち、私が待ち望んでいた日がついに来た。

 

 鏡に映るのは、私の真身に纏う真っ白なウェディングドレスだ。

 清らかな白。あしらわれたフリル。キッチリと整えられた化粧と髪。

 それらすべてが、今この場所で私が主役であることを示していた。

 

 それを眺めているだけで、心が満たされていくのを感じる。

 単に可愛らしいとか美しいとか、それだけじゃなくて自分がそれを着ていると言う事実がひどく感慨深い。

 

「エレノア様……とても、とても似合ってうわあああああ!」

「ちょっとコレット、式が始まる前から泣かないでよ!」


 私の晴れ姿を見たメイドのコレットは、私の言葉など聞こえないようにわんわんと泣き出した。


「だっで……だっで王子の婚約者になってずっど苦しそうだったお嬢様が幸せそうでええええええ!」

「分かった分かった! あの頃から支えてくれていたあなたには感謝しているから泣き止んでちょうだい!」


 しかし彼女は泣き止むどころか一層涙をボロボロとこぼし始めた。

 彼女をどうやってなだめようかとおろおろしているうちに、式が始まる時間になってしまった。

 

 グズグズと泣き続けるコレットに手を振って見送られる。一度深呼吸をしてから、私は式場の中へと入った。

 式場内の豪華な装飾が目に入る。

 

 拍手と共に迎え入れられ、私はゆっくりと式場の前へと向かっていった。




 

 最初に見えたのは、招待席にいる私の家族だ。両親の本当に嬉しそうな笑顔に、私まで嬉しくなってきてしまう。

 お兄様は、私の姿を見ると嬉しそうに微笑んだ。そして正面に控える新郎を一瞬プレッシャーをかけるように睨みつけた。

 ……お兄様、大人げないですよ。ギルバートがちゃんと夫やるのか心配なのはもう分かりましたから。

 

 ……おばあ様にも、見てもらいたかったな。ふと、この場にいない人の姿を思う。

 いいや、きっと見てくれている。いつも厳しいくせに孫想いのおばあ様なら、きっと空から見守ってくれているはずだ。

 

 反対側の招待席にいるのは、綺麗な見た目をした女性だ。ギルバートの実の母親。

 

 彼の血のつながった家族は母親だけだ。既に挨拶に行ったので、そのあたりの事情はよく知っている。

 反対側の招待席にいる彼の家族はひとりだけ。

 それでも、彼に仕えている騎士や文官が大勢詰めかけているので、全然寂しそうには見えなかった。

 冷たく見える彼だが、領地では多くの人に好かれている。そのことが、私にはどこか誇らしかった。

 

 歩き続けると、ようやく彼の姿が見えてきた。

 その身には真っ黒なタキシード。あの人同じようにきっちり整えられたオールバックが彼の凛とした顔を引き立てている。

 

「エレノア、手を」

「ええ」


 彼の差し出した手を取って、私たちはともに式場の前へと進んでいった。



◇ 



「私は、自分が救われることなんてないのだろうと諦めていました」


 参列者の視線を一身に受けて、私はスピーチをしていた。

 大勢の前で自らの弱いところを曝け出すことができるようになったのも、最近のことだ。

 それもこれも、ギルバートのおかげだ。

 

「私は持って生まれた人間だから、みんなを救うために生きなければ。そう思って、そうやって気負っていたのだと思います」


 私は何か勘違いしていたのだ。ひとりで全部できる人間なんていない。何かに秀でている人でも、誰かの助けを得ながら生きているのだ。


「けれども、ギルバートと出会えました。――彼となら、辛い時でも支え合えると思いました」


 誰よりも人を見ている彼は、私のこともちゃんと見てくれた。

 それだけでも、王城での生活に疲弊した私には救いだったのだ。

 

 王城から追放される時、私の頑張りは全部自作自演だったと断じられた。

 褒められるためにやっていたわけではない。けれども、誰も自分のやったことを見てくれないというのはひどく悲しいことだった。

 

「彼はここにいる私を見てくれました。特別な目を持った私ではなく、王国を救う責務を負った私ではなく、等身大の私を見てくれました」


 ギルバートの長所は誰であろうと観察し、良いところや悪いところを見抜くことだ。私の弱いところまで含めて見て、その上で助けてくれた。

 

 ウェンディで私が失敗した時だって、彼は私を見捨てなかった。

 責務を果たせなくても、彼は私を受け入れてくれる。そう思うだけで、心が軽くなった。


「そして、私と同じような不器用さを持っている彼を支えたいと思いました。不真面目に見えて、自分の継いだ領のことを真剣に考えている彼を。弱さを見せるのがひどく苦手な彼を。彼が私にしてくれたように、私もまた彼を救いたいと思いました」


 ギルバートをちらりと見ると、彼は少し頬を赤くしながらも真剣な顔で私を見ていた。


「彼は私のヒーローです。現れるはずないと思っていた救いの手。けれど、それだけじゃない。私が救いたい人でもあるのです。だから今日、私は彼と結ばれます」


 救われるだけだなんて、私のプライドが許さない。私と一緒にいる彼には、幸せになって欲しい。私は自分が思っていたよりもずっと強欲だったらしい。


 スピーチを終えると、ギルバートは私からふい、と視線を逸らした。

 ああ、これは照れて顔を見れない時の反応だな。私は短いようで長い経験から推測してニヤニヤしてしまう。

 


 

 式は進み、壇上に立った神父が厳かに宣言する。

 

「それでは、新郎新婦のお二人はキスを」

 

 ギルバートの顔が近づいてきて、私の唇と交わる。

 これは多分、あの未来視からずっと私が望んでいたものなのだろう。


 

 その瞬間、私はかつて初めてギルバートと会った時の未来視を思い出した。

 

 彼と幸せなキスをする未来。

 あの時、自分が王城でやってきたことは全部無駄だったと絶望していた私に差し込んだ新しい光。

 信じられないけど信じたかった幸せな結末。

 

 いつしか熱望していた未来。

 

 顔がゆっくりと近づいていき、唇がそっと触れる。

 

 私も今、彼とキスをしている。

 あの時私は、そんな未来は信じられないと思った。

 

 けれど今、私はあの時視た未来よりもずっと幸せな未来を経験していた。


 ああ、未来は変えられないなんて私の思い込みだったのだ。

 未来なんて、今を生きている人間の意思で変えられる。未来視なんて、結局のところ不確かで曖昧なものだ。

 

 その証拠に、私は未来視で視た幸せなキスよりもずっと幸せなキスをしているのだから。


 彼とのこれからに未来視を使う必要はない。どういう形であれ、私は幸せなはずだからだ。 

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追放された私が幸せなキスをする未来なんて信じられません! 婚約破棄された未来視の公爵令嬢は、辺境伯に恋をする 恥谷きゆう @hazitani_kiyu

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