第30話想いの行く末

 罪を暴かれて、庇護者であるラインハルトは既に絶体絶命。

 周囲には武装した騎士たちが詰めている。

 

 それでもなお穏やかな笑顔を絶やさないアイリスは、どこまでも不気味だった。

 

 騎士の手が彼女を捕えようとする。

 アイリスは、穏やかな笑みのままそっと顔に手をやり、右目を強引に広げた。

 彼女の瞳の中の紫色が、不気味に、不自然に、不穏に光った。

 

「っ……」


 信じがたい光景に一瞬思考が停止する。それは、魔眼が発動する前兆だった。

 

 私も未来視を発動し、アイリスが何をしようとしているのか読み取ろうとする。

 しかしアイリスは、それよりも早く言葉を紡いだ。


「強制開眼!」


 私が未来視を使う時と同じ、魔眼の秘めた力を無理やり引き出す言葉。それを唱えたアイリスの右目から紫色の光が放たれる。

 光は凄まじい閃光を放ち、その場にいる全ての人を包んだ。広い王城の一室すべてが、光で埋め尽くされる。


「な、なにが……」


 光に視界が奪われてからしばらくすると、目の前の景色が見えるようになる。

 

 貴族も、騎士も、男も、女も、皆等しくその場で動きを止めて呆然と立ち尽くしていた。

 彼らの虚ろな視線は、すべてアイリスに注がれている。

 まるでアイリスが神であるかのような態度だった。

 

 そしてアイリスは――激しく咳き込み、勢いよく血を吐いていた。


「ゴホッ……ゴボッ……」


 手を口で押えて尚赤い液体がぼとぼとと床に落ちる。

 血を吐きながらも、彼女は見たこともないほど嬉しそうな笑顔を浮かべていた。


「ハハ……アッハハハハ! 魅力の魔眼をここまで解放したのは初めて! でも……でもこれでようやくあなたの上に立てる! 全部持っていたあなたの上に! 全部持っていなかった私がつ!」


 爛々と輝く紫色の瞳は、真っ直ぐに私を見つめていた。吐血した彼女の顔は真っ青だったが、それでもなお熱気は衰えていなかった。


「私が、憎いの?」


 いつも穏やかに笑って、冗談なんだか本気なんだか分からない言葉ばかり吐いていたアイリス。

 その内面に初めて触れた気がして、私は驚愕と共に問いかけた。

 彼女は狂気的な笑顔を浮かべて私の言葉に応えた。

 

「ええ! ええ! 私はずぅっと! ここに来るよりも前から! あなたが憎くて仕方なかったの!」

「でも、王城に来るまであなたには会ったことが……」

「会ったことなんてなくても十分よ! その真っ赤な瞳! 未来を見通す魔法使いの証! 私の家族を地獄に堕とした憎いブラッドストーン家の秘宝! 私は、その瞳の持ち主に復讐するために生きてきたのだから」

 

 彼女は幸せの絶頂にいるような表情で再び吐血をした。


「ゴボッ……私のおばあ様は魅力の魔眼の力を使って私の一族に繁栄をもたらした。私たち家族は裕福な暮らしをしていて、全部を持っていた。――でも! あなたの祖母が私たちの全部を奪った!」

「その話……もしかしてあなたはパープルアロウ伯爵家の末裔……?」


 かなり昔、おばあ様に聞いたことがある。ブラッドストーン家と同じく、魔眼を継承していた家。人を魅了し、自らの言いなりにすることでどんどんと権力を拡大していた貴族の名前。

 しかしその家は、おばあ様の指示のもと悪事を暴かれ爵位を剥奪され、当時の魔眼の持ち主は目を潰されたはずだ。


 魔眼が子どもに遺伝しなかったことが確認されるとパープルアロウ家は監視の目を外され、ただの平民家としての生活を送っていたはずだが。

 ……まさか、私と同じく魔眼の隔世遺伝だろうか。


「そう! そうよ! かつて栄華を誇り、あなたの家族に潰された私の家! 貴族家から転落して平民生活を強制された私の家族! でも、何も持ってない貧乏な暮らしも今日で終わり。ここにいる高位の貴族すべてに魔眼で暗示を刷り込んで、私はこの国で最も権力を持つ女になる。ふふ、公爵が敵対的な有力貴族をすべてこの場に集めてくれてよかったわ。この場の全員を私の下僕にすれば、王国なんてどうとでもできる」


 アイリスが私の周りにいる人に目をやる。

 先ほどまでラインハルトとアイリスを捕えようとしていた騎士たちは、今は虚ろな目をしてこちらによろよろと近づいて来ていた。

 

「これ、は……」

「私の力を受けた人は私の言いなりになる。彼らにとって私は家族より大切な愛しい人だからね。奴隷みたいなものよ。もちろん、ラインハルトもね」


 ちらり、と彼女は茫然自失としている己の恋人を見た。

 

「なるほど、ラインハルトの変貌はあなたのせいだったのね」

「いえ、彼にかけた魅了は今のほど強くないの。もとから不安定な精神の人だったから、簡単な暗示で面白いくらい私の思う通り動いてくれた」


 アイリスはひどく面白そうに笑った。嘲りと、少しの同情の混ざった笑いだった。

 

「自慢じゃないけれど、劣等感を持っている人間の心理はよく知っているの。私がそうだからね。あなたみたいに優秀な人がいると、人は気が狂うのよ? 私みたいにね」

 

 彼女の言葉には、自虐的な響きが混ざっていた。

 

「さっきも言ったけど、私とあなたはほとんど接点がなかったはずよ?」


 彼女の並々ならぬ私への憎悪は、単に家族が私のおばあ様に追放された憎しみだけではないように見えた。


「ええ、そうね。でも私は、ここに来てからも、来る前も、あなたの話を聞いていたわ。現代に残った唯一の魔法使い。偉大な魔眼の継承者。王家の次に尊い身分の者。頭脳明晰。己の責務に真摯で、下の者にも平等に接する――どうして、私じゃないの? 私も魔眼を受け継いだ。でも魅了の魔眼を持った私たちは傾国の女として迫害されるばかり。近づけば魅了されると誰も助けてくれない。平民の差別なんていうのは、貴族のそれよりずっと品がなくて、容赦がなくて、致命的なの。良い暮らしをしてきたあなたは知らないでしょうけどね」

「……」 


 アイリスがどうして私にこんなにも執着しているのか分かってきた。彼女は、私の立場が欲しくて、妬ましくて、憎かったのだ。

 私と同じように魔眼を持って生まれて、同じように貴族の血筋で、けれども彼女が生まれてくる前に彼女の人生は決まっていた。


「でも、私は今日この国で最も多くのものを持っている女になるの。この舞踏会を境に、私は王国を完全に手中に収められる。血を吐いて魔眼を完全解放したかいがあったわ」


 彼女が合図をするように手を上げる。


「さあ、私の下僕たち。その見るのも不快な女を殺して、私を玉座につけて」


 虚ろな目をした騎士たちが私を包囲するように迫りくる。その後ろからは、礼服に身を包んだ貴族たちまで包囲網を敷いている。

 未来視で攻撃を避けても無駄だろう。数が多すぎて、逃げる隙がない。


「……ッ」


 唇を噛む。

 お兄様の力を借りて有利を取り、ラインハルトとアイリスを完璧に追い詰めたはずだった。

 けれども、アイリスの隠していた力で状況は完全に逆転だ。

 

 魔眼の力は魔眼を持つものに対しては影響できない。

 私の未来視は、魅了の魔眼を持つアイリスの行動を読み切れなかったのだ。

 

 私は死に、アイリスはこの国を手に入れる。

 

 そのことを考えた時、最初に私が考えたのはギルバートはどうなるのだろうということだった。

 彼もまた、アイリスに魅了されたのだろうか。彼女を愛しい人と思い、彼女のために働くのだろうか。

 

「いやだな」


 それは、嫌だ。

 アイリスが幸せになろうと、私が死のうと別に構わないが、ギルバートが誰かを好きになるのは嫌だ。

 心からの願い。それは、ブラッドストーン家の責務の全く外で生まれた、私の初めての願いだった。


「――たすけて、ギルバート」


 そんな言葉に意味はない。

 私を都合よく助けるヒーローなんていない。私は持って生まれた人間だから、私を救うのは私だけだ。

 

 だから。

 

 だから、私はその光景を見た時、幻覚か何かだと思った。


「当たり前だ」


 鈍色の風が走り、私に迫っていた騎士たちがその場に倒れた。

 私の正面には、とても大きくて頼もしい背中があった。

 

「遅れてすまない。目を覚ますのに時間がかかった」

「ギルバート様……!」


 いつもと変わらない彼の顔が心強い。泣きそうになるのをグッとこらえて、私は状況の把握に努めた。

 

「な、なぜっ! なぜ魔眼が効いていない!?」


 アイリスが大声で叫んだ。驚愕に目が大きく開いていて、唇がわなわなと震えている。

 それは、いつも穏やかな表情で本心を隠していた彼女が初めて見せた心からの動揺だった。


「魅了の魔眼、だったか。我が家が受け継いできた秘宝は、すべてを見通す目だ。ホークアイ家の人間が目を曇らせる、ましてや自分の愛する人間を間違えることなど絶対にない……!」

「ッ!」


 ギルバートの鋭く、戦意の籠った目がアイリスを貫いた。彼の飛ばす気迫に、彼女は動揺しながらも操っている人間に指示を出した。 

 騎士とは別の、ただの貴族たちが襲い掛かってくる。それを見たギルバートは、剣すら抜かずに素手で彼らを制圧し始めた。拳を振り、投げ飛ばし、遠心力を使った回し蹴りで吹き飛ばす。

 お上品な剣の戦い方しか知らない騎士には決してできない動きだ。ギルバートの戦う技術は、訓練ではなく実践で培われてきた。

 あっという間に襲撃者が地面に倒れ込むと、アイリスはさらに顔を青くした。

 

「ぁ……お、おかしいじゃない! なんでエレノアの時だけ助けが来るのよ! 私が困っていても誰も助けてくれなかったのに! 蔑まれても、殴られても、殺されかけても、王子様は現れなかった! 自分から手に入れるしかなかったのに! なのになんで、なんでエレノアだけ!?」

「簡単だ」


 ギルバートがアイリスに向き合う。魔眼の力も限界が近いらしい。魅了した人たちの動きが明らかに鈍くなり、こちらに襲い掛かってこない。元々、複数人を支配するのは無理があったのだろう。強制開眼の際に血を吐いていたのがいい証拠だ。


 ギルバートは毅然とアイリスに告げた。

 

「お前は、誰かのためじゃなく自分のためだけに力を振るった。そうやって他人を傷つけた。エレノアと決定的に違ったのは、その一点だ」

「っ……あ、ああああああ!」


 絶叫したアイリスが、限界まで開いた目に手を添える。


「きょうせい――」

「遅い」


 一瞬で駆けよったギルバートは、アイリスの背後に回ると首筋を叩いた。

 紫色の瞳は輝きを止め、アイリスはその場に崩れ落ちた。

 その様子を見て、ギルバートは大きく息をついた。

 

「危なかったな」

「ギルバート様っ!」


 何も考えずに彼の元に駆け寄って、私は衝動のままに彼に抱き着いた。


「エレノア!?」


 彼の珍しい動揺した声が聞こえる。私はそれに構わず、彼の体を強く抱きしめた。


「良かった……あなたも魅了されなくて」


 彼がアイリスの言うことを聞く下僕になっているところなんて、絶対に見たくなかった。

 戸惑っていたギルバートは、やがて躊躇いがちに私の背中に手を回した。


「俺も、エレノアが無事で安心した」


 初めてちゃんと抱きしめ合ったな、なんて考えて体を熱くする。

 お互いの体温と吐息を感じながら、私たちは言葉を紡いだ。

 

「アイリスがこの国を手に入れるって聞いた時、私は真っ先にあなたのことを考えていました。ずっと尽くしてきたこの国のことよりも、私はあなたのことを考えてしまいました」

「……俺も、エレノアのことを真っ先に心配していた。おかしくなりそう声が頭に響いて、自分の意思とは違う行動をしそうになっていた。でも、エレノアが殺されそうになってるって分かったら体を動かせるようになった。領地のためでも家族のためでも友人のためでもなく、お前のためだったから俺は正気に戻れたんだ」


 お互いの身を大事に思っていることが今までになく伝わってくる、激しい熱を含んだ声だった。

 

 密着したギルバートの体が熱を伝えてくる。

 私はそれに、自分の体を預けていた。


 どちらからともなく、私たちはお互いの想いを確信した。

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