第29話断罪
馬車が王都に到着してしばらくすると、窓から一際大きな建物が見えるようになった。
王城。この国で最も身分の高い者たちの集う場所。陰謀渦巻く不夜城。私が少し前まで戦っていた場所だ。
無意識に、体を固くする。ラインハルトに追い出された日。その時の胸の痛みは、今でも鮮明に思い出せる。
「エレノア、不安か?」
ギルバートが私に少しだけ近寄り、そっと手を握ってくれる。彼の温かくて大きな手の感覚は、私のざわついた心を落ち着かせてくれた。
「大丈夫です。未来視には悪い結果は視えませんでした。……全部、上手くいきます」
王城に入ると、中に通されて舞踏会の会場である二階の大広間へと案内される。
そこにいたのは色とりどりの豪奢な服に身を包んだ貴族たちだ。
ギルバートは見慣れない光景だろうそれにわずかに身じろぎをしたが、やがて私の手をキュッと握るとその中心へと歩き出した。
「……あのお二人はどなた?」
「分からない。あんな目立つ容姿していたら噂になっていそうなものだがな」
「あの赤い瞳はエレノア様ですか? 随分と様子が変わったように見えますが……」
「エレノア様は野蛮で礼儀を知らない辺境伯に嫁がされたと聞きます。別人ではないでしょうか?」
漏れ聞こえてくる会話は、私たちに関するものだ。着飾ったギルバート様をホークアイ辺境伯だと認識できる人はいないらしい。
ギルバートがこっそりと私に話しかけてくれる。
「エレノアは大丈夫か? 王城にあまりいい思い出はないと聞いたが」
「ええ。この程度のプレッシャー今更どうってことありません。ギルバート様こそ、こういうところは苦手なのではありませんか?」
「ああ、こういうのは嫌いだな。ただエレノアのためになるのなら悪い気はしない」
堂々と歩く彼は、美麗に身を包んだ上級貴族の中にあっても全く見劣りしていなかった。堂々たる立ち姿で睥睨する姿は、一国の王のようですらあった。
私たちが向かう先には、にこやかにこちらを見つめるお兄様、バージル・ブラッドストーン公爵がいた。
「エレノア、良く似合っていますね。私はあなたの晴れ姿をまた見られて嬉しいですよ」
「お兄様、ありがとうございます」
彼は自身もまた華美な服装に身を包んでいた。けれど色は抑えめ。主催であるにも関わらず、彼は自身は主役ではないと言っているようだった。
「ホークアイ辺境伯。落ち着いた様子で安心しました。私の大事な妹のために今日はよろしくお願いします」
「言われるまでもありません」
言葉少なく答えるギルバート。しかしその瞳は真っ直ぐにお兄様を見つめていた。
「本日の参加者で最も身分の高い方がお待ちですよ。しきたり通り、最初に挨拶に行くといいでしょう」
「はい。しっかりと挨拶させていただきます」
三人で頷き合い、会場の奥へ。
そこで待ち構えていたのは、私の元婚約者、ラインハルト第一王子とその傍らに控えるアイリス男爵令嬢だ。
◇
「お初にお目にかかります、ラインハルト殿下。私はギルバート・ホークアイと申します」
ギルバートがラインハルトに挨拶する。そつがない、感情を感じさせない挨拶だった。
しかし、ラインハルトは彼に全く目を合わさず、私を見て顔に驚愕を浮かべていた。
「な、なぜ! なぜエレノアがここにいる! こいつは死んだんじゃないのか? 説明しろ!」
顔を真っ赤にして叫ぶ彼は、とても高貴な身分のものに見えなかった。周囲でこちらの様子を伺う貴族の数人が眉をひそめる。
「あら、元婚約者の私に対して随分な物言いですね、ラインハルト様。何かそういった根拠が?」
私の問いかけに対して答えたのは、彼ではなく隣に控えるアイリス嬢だった。
「あらあら、エレノア様。そのような邪推はひどいです。ラインハルト様は治安の悪い場所に送り出さずにはいられなかったあなたのことを毎日心配していらっしゃったんですよ?」
真っ赤な嘘を吐いたアイリスはにっこりと笑った。
彼女の顔を見たギルバートが、目を細めた。
二人を中心にして、不穏な空気がその場を支配し始めた。
アイリスのにこやかな目と、ギルバートの射抜くような視線が交錯する。
「エレノアのを正しく評価できなかった殿下がそのように思っていらっしゃったとはあまり想像できませんね」
「とんでもございません。殿下はエレノア様の働きを正しく評価し、その上で断腸の思いで彼女に別れを告げたのです」
「そうでしょうか?」
首を傾げたギルバートは、そこでラインハルトの顔をじっと見つめた。
「彼がエレノアを正しく評価できていたなら、彼女を追放などするわけがないと思いますが」
ギルバートが緩く唇を上げて皮肉気に笑う。
その顔を見た途端ラインハルトは顔を真っ赤にして何事か言おうとした。
しかし、そんな彼の様子を見たアイリスがそっと彼の袖を引っ張り何事か訴えかける。
ラインハルトは深呼吸をして気を静めると、咳払いをしてから話を始めた。
「辺境伯。今日は私たちの晴れの場に来てくれたこと感謝する」
今日の舞踏会は、ラインハルトとアイリスが正式に婚約者になったことを発表する場である、というのが表に宣伝された内容である。
彼の認識では、この場は晴れ舞台なのだ。
「晴れの場、ですか。私が聞いた話とは違いますね」
ラインハルトの言葉を聞いたギルバートは、挑戦的にニヤリと笑った。
「私が聞いた話では、殿下がその罪を暴かれ失脚する場だと聞きましたが」
「……何を言っている?」
ラインハルトが動揺を見せた時、人混みを掻き分けてこちらに近づいてくる一団があった。この場にはそぐわない剣を携えた騎士たち。それを先頭で率いているのはお兄様、ブラッドストーン公爵だ。
彼は厳かな表情で、ラインハルトとアイリスに告げた。
「ラインハルト王子。陛下より許可を頂き、あなたとアイリスを王国への反逆を図った容疑で拘束させていただきます」
お兄様の言葉を聞いたラインハルトの顔は、先ほどの比ではないほどに真っ赤になっていた。
「ふっ、ふざけるな! たかが公爵風情が俺を拘束だと!? エレノアのせいで荒れ果てた王城を改善しようとしてたのは俺たちだろ!」
「いいえ。あなたがやったのは、民からいたずらに税を集め数多の人を苦しませただけです」
お兄様の冷静な言葉に、ラインハルトはさらにヒートアップした。
「何を見ていた! 賊の退治には金がいる。騎士を集め、さらに魔道具を使える貴族を働かすのなら金がいるに決まっているだろ!」
「そのために賊を増やしては本末転倒です。ラインハルト様による前代未聞の重税の結果、王族領の多くの民が生計を立てられず賊に身を堕としました。さらに、王都で盗みが頻発し、傷害や殺人、人身売買が日常的に起こるのはすべてあなたの愚かな施策からです」
「なっ……そ、そんなはずがないだろ! 俺はただこの国をよくしようとして……」
「ラインハルト様」
久しぶりに、私は彼に話しかけた。
振り返った彼は、ひどく焦燥していた。
「私は婚約者だった頃よりご指摘しておりました。あなたの思い込みで突き進んでしまう悪癖は王族として治した方がいい、と。いつか間違いを起こすと申し上げておりました」
私の言葉を聞いたラインハルトは、目をぎろりと開くと激しく喚いた。
「き、貴様はいつもいつもいつも、うるさいんだよっ! 俺のやることなすことに文句をつけやがって! それで俺より全部うまくやるのは当てつけか? 魔法が使えない俺を見下していたんだろ!」
「ッ……」
ラインハルトにこういうことを言われるのは初めてじゃない。
たしかに、私は他人の行動にうるさくしてしまうところがある。
しかしそれはラインハルトが将来的に国王になろうとしていたからだ。王たる者の責務は私たちが想像できるよりずっと大きく、重い。今のままのラインハルトではとても務まらないと思ったのだ。
「お前みたいに他人を見下してる奴が伝説にある魔法使いのわけがないだろ! そもそも――」
「王子」
冷たく、重たい響きを持った声がラインハルトを襲った。彼は勢い良くギルバートに向き直り、怯えた視線を向けた。
「自身のために尽くしてくれる人を遠ざける様はとても名君には見えませんよ。それに、感情豊かなのは結構なことですが自身の憤り一つ隠せない方に国政は無理かと存じます」
「き、貴様あああああ!」
ラインハルトは拳を振り上げてギルバートに襲い掛かろうとしたが、横から手を伸ばしたお兄様にがっちりと手首を掴まれた。
かなりの力を籠められているらしく、ラインハルトは痛みに悲鳴を上げた。
「ラインハルト様。大人しくしていただかないと手荒な連行になります。私は一向に構いませんが王家に忠義を誓った騎士たちにそんな仕事をさせないでください」
お兄様が熱を感じさせない声でラインハルトに話しかける。
それを聞くと、彼は大きく体を震わせた。既にお兄様に恐怖を感じるような何かを植え付けられたらしい。
蛇に睨まれた蛙のような様子は、既に彼に抵抗する心がないことが見て取れた。
ラインハルトが俯いて黙ったために、その場には沈黙が下りた。
次に口を開いたのは、状況を静観していたアイリスだった。
彼女は自分が捕まろうとしていることなど全く感じさせない、能天気な声を出した。
「バージル様。ラインハルトをあまり悪く言わないでください。彼は誤解されることも多いけれど、熱心で真面目な人なんです」
「アイリス嬢。熱心で真面目な人間はこんな不正をしませんよ」
お兄様が突き出した書類には、何かの報告書のようだった。それを直視したラインハルトは、急に顔を青くして体の震えを一層大きくした。
「恐喝。殺人教唆。犯罪組織との繋がり。もちろん、ラインハルト様だけでなくアイリス嬢の名前も出てきましたよ。国王陛下には既に報告済みです」
「あらあら。公爵様は冗談がお好きなんですね」
緊迫した場にあっても、アイリスは穏やかな笑みを崩さなかった。
その様子を不審に思ったらしいお兄様が目を細める。数多くの修羅場を潜ったその目は凄まじい威圧感だったが、アイリスはそのことに気づいていないようにニコニコと笑うだけだった。
「話はあとでじっくりと聞きましょう。皆さん、二人を連れて行ってください」
お兄様が指示を出すと、剣を携えた騎士が前に出て二人に近づいて行った。
ぐったりと項垂れるラインハルトには抵抗の意思が見えない。
しかしアイリスは、穏やかな笑みを深めたかと思うと右目を見開いた。
彼女の瞳の中にある紫色が、ひどく不気味に光った。
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