ぬいぐるみが繋いだひと夏の思い出を、僕は生涯忘れない
高峠美那
第1話
「これ、あげる!」
朝顔で作った緑のカーテンの日陰で君は笑う。
「ユニコーンの角には、どんな毒も消しちゃう力があるんだって!」
太陽の光が、葉と葉の隙間から細く伸びて君の笑顔を照らす。
「私、今日調子いいの。だから、あげる。きっとお母さんも良くなるよ!」
そう言って、彼女は僕にメルヘンチックな、一角獣のぬいぐるみがついたキーホルダーをくれた。
あれから…、また三度目の夏が来る――。
「じゃあ、予選突破を祝って…カンパ〜イ!」
「カンパ〜イ! ジュースだけどなー」
高校生活最後の夏。僕は全日本吹奏楽コンクール出場を目指して、仲間たちと青春の汗をながしている。
外を歩けばギラつく太陽が肌を焼くし、アスファルトからの陽炎が揺れて熱波が襲う。
空と地面とで、サンドイッチ状態だ。
それでも、泣いても笑っても、この仲間たちで目指す最後のコンクール。
気合が入って、吹奏楽の走り込みが運動部並みになり、朝練と放課後の練習でかなりハイペースで合奏も仕上げていた。
「一年の頃は、全日コンの出場なんて夢みたいなもんだと思ってたんだけどな」
「わかるー。毎年開催だし、アマチュア吹奏楽団体を対象とした音楽コンクールってだけで、どんだけ出場するんだよって思ったよ」
練習漬けの毎日だが、今日は仲間のみんなと、久しぶりに焼肉屋で喜びを分かち合う。
一緒に演奏する仲間がいるのは幸せだ。
幸せだけど…。
「これ、
僕の楽器ケースにぶら下がるユニコーンのぬいぐるみ。
フリフリさせながら隣に座る女子に、少し距離をとってから、僕はウーロン茶を喉に流し込んだ。
「…女って、すぐそういうこと言うよな」
確かに自覚はあるから、ほっといてほしいんだけど。
面倒くさそうな口調に、中学から吹奏楽で一緒の
「そういえば、お前、それ中学の頃からつけてるよな」
「ん。まぁ、捨てれなくて…」
「ウソ―。まさか、元カノとかからもらった物とかぁ? きゃあ♡ 一途!」
肉をがっつく男子と違い、女子達の輝いた目が、一斉に向けられると居心地悪くて、なんとなくぬいぐるみを後ろに隠す。
「そんなんじゃ、ないし…」
「えぇーっ。楽器ケースに男子がメルヘンなぬいぐるみとか絶対訳あり! 中学からつけてるって言うとー、やっぱり〜」
中学と言うフレーズに、島津の箸がピタッと、止まった。
「――っ。やべっ! ごめん! 櫻井の母親、確か中学の時亡くなってるんだよな」
「えっ!」
途端、あれだけ騒がしかった女子たちが口を閉じた。肉汁の香ばしい臭いと、ジュウジュウいう音だけが気まずそうな雰囲気に響く。
だいたい楽器を演奏する部員は、親に楽器を買ってもらっている。なかにはレンタルの部員もいるが。
親に買ってもらった楽器ケースにつけたぬいぐるみとこれば…、もらった相手を想像するのは容易いだろう。
ましてや、母親が死んだ時期とぬいぐるみをつけた時期が重なれば…。
「っ。な、なあ! 今日のお前の音、キレッ、キレッだったよな!」
「ん…」
「私も思った! 出だしのソロ、あのトランペットの音はヤバイよー」
「そう、そう、あの音は惚れちゃうね!」
溜息をついた僕とは対象的に、ゲラゲラと、場を盛り上げようとする島津に、流し目を向けるくらいは許されるだろう。
「…悪い。僕、用事思い出したから帰る」
「え?」
「ちょい、待てよ! ごめん、俺も帰るわっ」
似合わないと言われたユニコーンのぬいぐるみがついたケースを持って外に出ると、島津もトロンボーンが入ったでかいケースを抱え、慌てて追いかけてくる。
「島津、ちょっとお前もつきあってよ」
驚く島津をタクシーに押し込んで、行き先を告げる。
「そんで…。なんで夜中の墓場なんだよ〜。俺、こーゆうの、苦手なの知ってるだろぅ」
情けない声は、いつも出す重低音とは程遠い。
「今日、これくれた子の命日なんだ。約束したから…」
「……」
「少しだけ、そこで待ってて」
島津を墓地の入口に待たせ、僕は一直線に目的の場所に向かった。
…あの日、このぬいぐるみが必要だったのは、君だったんじゃないかな…。
母は、君が逝った同じ年の秋に、亡くなったよ。
あの夏を乗り越えたのは、君がくれたこのぬいぐるみのおかげかもしれない。
あの日…、もう一度トランペットを聞きたいと言った母の願いを叶えたくて…病室に持って行った。
母に買ってもらったトランペット…。
でも、さすがに病院で吹くわけにもいかず、見せただけで帰ろうとした時、君に会ったね。
日に焼けた事がない、真っ白な肌に、屈託なく笑う君が、眩しかった。
「私、病院から出たら、ユニコーンを探す旅に出たいの」
「…本当にいると思ってるんだ」
「えー。いるよ! 絶対いる! ユニコーンは処女の娘に近寄って来るんだって。だから、私には捕まえるチャンスがあるんだよ」
「……そう言うの、男に言うのやめて」
「ふふ。櫻井くんも、一緒に行く? その時、そのトランペット私に聞かせてよ!」
「……うん」
…あの時は聞かせてあげれなかったけど、今日は、君だけの為に吹くからね。
……♪♪♪♪―――。
「お前、墓場で聖者の行進って、やばすぎだぞ」
「ん? そうかなぁ。もともとは、旅立った故人の魂が、天国に行く時に演奏していたんだからいいんじゃないの?」
墓場の入口で律儀に待っていた島津が、くしゃりと僕の頭を撫でてきた。
「……そうだな。でも、騒音被害で警察が来ないうちに帰ろうぜ」
二人で表道りを目指して歩く。
「島津…」
「あん?」
「僕の音、透ってた?」
島津は、ニヤリと笑って親指を立てた。
「ああ。とくに高音がな!」
「そっかー」
君にも、届いているといいな…。
あの日の思い出とともに、このぬいぐるみも、そろそろ思い出として外そうと思うんだ。
ぬいぐるみが繋いだひと夏の思い出を、僕は生涯忘れない 高峠美那 @98seimei
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