バースデー・マニア

言の葉綾

バースデー・マニア

 朝自習のチャイムが鳴っても、誰も席に着こうとしない。新たなクラスの興奮が絶えないのだろう、誰しもが新たなクラスメイトと楽しそうに談笑している。席に座って、一人本を読んでいるのは私だけだろう。

 新学期。今日から正式に、言の葉高校の2年生として学校に通うことになる。文理選択で理系の物理科目を選択した私は、2年1組在籍になった。だが、昨年同じクラスだった人はいたとしても、ほとんど話したことのない人。そして大半が、初めて同じクラスになる人どころか、初めて存在を認識した人。あまりにも交友関係が浅すぎて、少々自分が惨めに感じてしまう。

 とうとうショートホームルームの時間になり、さすがに生徒たちは席に着き始めた。私は読んでいた本に栞を挟み、静かな音を立てて閉じる。

「えー、皆さんおはようございます。今日から2年1組担任になった、物理担当の京極光です。京極の「極」と名前の「光」を合わせると「オーロラ」と読むので、オーロラ先生と呼んでくれると私は嬉しい」

 この先生を、私は知っている。金髪の若い物理の女の先生として、有名だった先生だ。昨年度は確か、学年の副担任だったような。記憶は不確かだが、習っていなかったにも関わらず、この先生を、私は知っている。

「では、始業式までまだ時間があるので、クラス総勢42名、自己紹介をしてもらおうか」

 自己紹介。私の苗字は「諸塚」なので、出席番号は最後の方の36番。自己紹介が回ってくるまで、少々時間がかかる。特に言うことも無いから、名前だけでいいような気もするけれど。

「こんにちは。4番の永平寺奏汰です」

 永平寺奏汰。聞き覚えのある名前に、私の背筋はピンと張る。永平寺奏汰。昨年度も同じクラスだった子だ。だが、出席番号も離れていたし、部活もちがうので、ほとんど話したことはない。

 でも、私が彼女の声に反応したのは、別な理由があったのだろう、と思う。

「部活は合唱部で、去年は3組でした。特技は・・・」

 その言葉を聞いて、ごくりと息を飲む。

「誕生日を覚えることです」


「お誕生日おめでとう!」

「これ、プレゼントだよ」

 そのようなクラスメイトの会話に、何度羨望のまなざしを向けたことか。友達はおらず、誕生日が4月6日というばっちり始業式に当たってしまう日ということから、家族以外の誰かに覚えてもらうことが一切なかった私。

 たとえ誕生日に日付が変わっても、何も変わらない。いつも見ている景色が変わることもなければ、誰かに話しかけられるという非日常が起こるわけでもない。1つ、年齢が大きくなっても、何も変わらない現状が、何だかやけに寂しく見えた。

 自分から誰かに話しかけに行こうともしないのに、現実がくるっと回るミラーボールのように変わって誰かが私の誕生日を覚えていてくれるのではないか、そうちっぽけで醜い期待を抱いていたからだろう。

「お誕生日おめでとう」、そう『友達』に囲まれてみたい。現状を打破し、友達ができないと無謀であるこの幻想は、ただの承認欲求に過ぎないだろう。その承認欲求のせいで、私は何度、誕生日を迎えるたびに苦虫を噛み潰したことだろうか。

「あとでクラスLINEで皆さんの誕生日を聞くので、ぜひ教えてください~」

 その永平寺さんの言葉に、私は拳をぎゅっと握りしめ、少しばかりの手汗を感じる。

 今日は、令和4年4月6日。言の葉高校の始業式。

 私、諸塚未来の誕生日だ。


 始業式も難なく過ぎ、入学式は、在校生は出席しないため私たちは午前中で下校となった。

 いつも通りで何も変わらない、無味乾燥な1日が終わった。

 お母さんが張り切って夕食を作ってくれると言っていたし、早く家に帰ろう。

 家族に恵まれているのに、自分から誰かに話しかけようともしていないのに、外部からの祝福を望むなんて、お門違いだ。

 そう思って、昇降口で外靴に履き替えた、その時だった。

「未来ちゃん~!」

 未来ちゃん。

 呼び慣れない名称に、私は瞼を目一杯開いて、声の主の方を振り向く。

 永平寺奏汰さんだった。

 随分と走ってきたのだろう、息が上がっている。

「未来ちゃん、お誕生日おめでとう!」

 お誕生日おめでとう。

 ああ、ここは空想の世界だ。きっとバーチャルの永平寺さんが、私の目の前に現れたんだ。私の前には、本来人はいない。頬をつねってみよう、痛くないはずだ。

 ・・・・・痛い。

「・・・・え」

「え、去年のクラスLINEで聞いた時、4月6日って反応してくれたよね? あーもう過ぎちゃったなって感じで覚えていたんだけど、記憶違いだったかな」

「・・・あってるけど」

「だよね! よかったあ」

 現状に追いつけず、処理が出来ない状態の中、永平寺さんは私の手を取った。

 体中に届き渡る、永平寺さんの温もり。今までの承認欲求と過去が一掃されるように、蟠りが溶けていく。

「私ね、もっと未来ちゃんと話してみたかったの、今年も同じクラスで嬉しい! 今年はいっぱいいっぱい話そう、未来ちゃん!」

 今まで、友達なんていなくて、『友達』に誕生日を祝われることなんて夢のまた夢だった私。

 でも、バースデー・マニアの彼女は、覚えていてくれた。

 そして、『私と話してみたかった』と言ってくれた。

 彼女とは、『友達』になれるような気がする。

 勇気を出して、私。幻想を抱いて、受け身体制の承認欲求に駆られている私でいちゃ、もうダメだ。

 君の一言で、私の未来は変わる。

「ありがとう、奏汰さん」

 花開いた笑顔、それは遥か彼方まで。


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バースデー・マニア 言の葉綾 @Kotonoha_Aya

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