ぬいぐるみバブル1912【KAC20232】

天野橋立

ぬいぐるみバブル1912【KAC20232】

 20世紀の初頭、ヴェントミューレ王国で発生した「ぬいぐるみバブル」についてはご存じだろうか?

 突如高騰を始めたぬいぐるみの価格が、場合によっては数千倍にまで上がりし、毛並みの良い熊のぬいぐるみ一体と引き換えに豪邸を手に入れることができたという、あの異常事態のことだ。


 ことの初めは、王妃ハラヘルスが幼少期からかわいがってきた愛猫・タンゴノアールを喪ったことだった。

 悲しみにくれ、カーテンを締め切った真っ暗な部屋で喪に服す彼女。

 そんなある日、暗闇でシュトーレンをむしゃむしゃ食べていた王妃の脳裏に、ある一言が電撃のごとく走った。大先輩王妃である、メアリー=アントニオが放ったと言われる一言だ。

「猫がいなければ、ぬいぐるみを抱けばいいじゃない」


 いや、実のところ王妃メアリー先輩はそんなこと一度も言ってないのだが、暗い部屋でスイーツばかり貪り食っていれば、少々妙なことを考えても仕方がない。

 天啓を得た彼女は廊下に飛び出し、高らかな声で従卒に命じた。「国中のぬいぐるみを、直ちに我が王宮にお招きするように」と。


 最初のうちは、王宮に差し上げるのだからと、当時人気のシュタイフ社製テディーベアなど高級な品が集められた。

 しかし、「天はぬいぐるみの上にも下にもぬいぐるみを作らず」などと口走る王妃は、どんなボロボロどろどろのぬいぐるみでも抱きしめてほおずりする有様。

「ぬいぐるみ、何でも高く買います」と宣伝する王宮には、国中のぬいぐるみが山のように積み上げられるようになった。


 そして、国内に流通するぬいぐるみはあっという間に枯渇するようになった。泣きわめく子供が抱きしめているものを取り上げて、ぬいぐるみ取引所で売りに出せば、金貨一枚にもなるという事態になってしまう。

 粗悪なものでも値段がつくからと、破損した数体のぬいぐるみを寄せ集めて作られたキメラ――頭はうさぎ、胴体はクマ、脚はカエル――といった無茶な品さえ流通した。


 価格を吊り上げるために、わざとぬいぐるみを集めて焼いてしまうという蛮行も横行した。

 お護摩焚きのごとく、山積みで焼かれるぬいぐるみたちの目は恨みに満ち、その事実を知った王妃は捕らえた首謀者たちを山積みにしてウォッカをかけて焼き払ったという。


 こうして最高潮に達した狂騒曲ラプソディは、ある庶民の子供の一言で突如終わる。

「たったひとつのぬいぐるみを心から愛することができるなら、山と積まれたぬいぐるみになぞ一体何の意味があろうか」

 その言葉は、王妃ハラヘルスの耳にも届いた。そして彼女は思い出した。この世でたったひとりの愛猫、タンゴノアールを愛していた頃の自分の気持ちを。


 王宮によるぬいぐるみの買い入れは終わり、相場は一瞬で崩れた。たった数時間で、その平均取引価格は約2677分の1にまで暴落したという。

 多くの投機家が破産し、路頭に迷った。

 その哀れな姿を、通りで投げ売りされるに至ったぬいぐるみたちは、物言わぬ黒い目で冷たく見つめていたと記録にはある。


 なお、実はこの「庶民の子供」というのが、後に世界的投資家として知られることになる、あのバジェットである。

 若干10歳の彼は、この暴落時に売りショートポジションを取って大儲けし、これが投資家としてのデビューとなった。

 良く知られている通り、彼が創設した投資会社ハンプシャー・ランナウェイの紋章には左右で向かい合うテディベアが象られている。

 あの紋章には、このようなルーツがあるのだとお伝えして、ペンを置くこととしたい。

(終わり)

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ぬいぐるみバブル1912【KAC20232】 天野橋立 @hashidateamano

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