第8話 賑やかな暮らしも悪くないかもしれない



「がはっ……」



 痛みがジルバートの正常な思考を戻させる。いくら魔力を流されていても、痛覚はある。



「に、いさんっ」



 力なく倒れこんでくるアルバートを受け止めながら、ジルバートは後方へ倒れる。

 二度目の他人の血。死が近くにあるという感覚。忘れかけていた恐怖がジルバートを支配する。



「うわああああああ!」



 動かないアルバートをゆする。だが、虚ろな目のままだ。



「兄さん、兄さんっ!」



 兄を助けたかった。それなのに死なせてしまうことになるなんて。

 赤かった瞳が本来の蒼へと戻っていく。



「この駄目な王を利用してやろうと思いましたが、まあいいでしょウ。これからは私がこの国を支配するのですかラ。さて、王の血は絶やすとしましょうカ」



 リーディッヒは再び銃をジルバートへ向けたときだった。



「絶えるのはお前の方ぞ?」


「何?!」



 カツカツとヒールの音を鳴らしながら、リーディッヒに近寄るテラの姿があった。

 ジルバートに魔力を注ぎつつも、自らの傷を癒やしながら隙を伺っていたのだ。

 兄弟に向けた銃口をテラに向けたときには時すでに遅し。リーディッヒの足元がぐにゃりと歪み、そのまま球状に穴を作ったかと思えばリーディッヒの体を包み込んで閉じ込めた。


 港では檻のような作りだったが、今回は違う。光りも入らないような球体だ。中の様子をうかがうことはできない。

 それじゃゆっくりと空中に浮かぶ。



「懺悔の言葉を送る時間をやろう」


「何に懺悔しろというのでス? するわけがないでしょウ! この化け物――」



 声をはったわけではないにもかかわらず、テラの声は内部のリーディッヒに聞こえているようであった。

 リーディッヒの返事も聞こえてきたが、最後まで聞くことなく球体はどんどん小さくなっていき、中に人がいるにも関わらず縮み、最後は粉のような粒になって消えた。



「ふっ……あの悪魔、逃げたか……」



 手ごたえがないまま姿を消したリーディッヒを探す様子はなかった。



「テラ、さんっ! 兄さんがっ……!」


「ん? ああ、さっき弾が通り抜けたんだったな。お前も当たっていただろう? 見せてみろ」



 二人の傷口を見たテラは、そっと患部に手を当てる。するとみるみるうちに血は止まり、傷口はふさがった。

 アルバートの胸に耳を当てて、確かに心臓が動いていることを確認したジルバートは安堵から涙を流し始める。



「何度も繰り返せばできてくるものだな、回復魔法も」


「ありがとう、ございますっ……本当に……」



 礼を伝えると、ジルバートは疲労を感じ始めた。体を動かすことも辛いそれに、瞼が閉じ始める。



「私の魔力で体力を使ったのと、体内の治癒力を高めたのが相まったのだろう。ゆっくり眠るといい、ジルバート」


「名、前……」



 出会ってから呼ばれなかった自分の名前。それをテラに呼ばれて驚いたのに、声を出すほどの体力もなく、すぐに意識を手放した。


 寝息を立てはじめたジルバートの横へ、テラは腰を下ろす。



「私の魔力を受け入れられたのは流石だよ、ジルバート」



 愛する兄の手を握ったまま眠るジルバートにかけた言葉は誰も聴いていない。




 ☆



「そろそろ起きるんだ」


「ん……んん? あ、テラ、さん……」



 ゆすられて目を開けたジルバートの視界に映ったのはテラの姿。

 変わりなく、どこか煩わしそうに見える。

 体を起こし、大きく伸びをして頭へ酸素を送る。だんだんはっきりしてきた頭が、少し前におきた出来事を思い起こさせた。



「そうだ、兄さん!」


「うん? ここにいるよ」



 返事をしたのは、ティーカップを運ぶ兄・アルバートだった。

 玉座で虚ろな目をしていた姿からかけ離れ、優しい蒼の目がジルバートをうつす。

 いつもの優しい兄が戻ってきた。ジルバートはベッドから飛び出して、兄へ抱き付く。



「よかった、本当によかった……! 兄さんが戻ってきてくれてよかったっ!」


「ふふふ、ありがとうジル。君のおかげだよ。ごめんね、不甲斐ない兄で……」


「ううん。兄さんは兄さんだ。なんでもできて、かっこいい兄さんだよ……」


「ありがとう」



 頭をなでるアルバートの手は優しい。それでかつての兄が戻ってきたことを肌身で感じられたジルバートは大粒の涙を流し続けている。

 その様子をテラはただ見ていた。

 過去にテラはジルバートの話を興味なく聞き流していたことがある。その時と違い、今回は二人から目を離すことなく興味を抱いたかのように見つめた。



「テラさんも、ありがとうございます。弟を助けていただき……なんとお礼をしたらいいか」


「別に構わぬ。私も気になることがあったしな。私の因縁を辿る機会にもなったわけだし」


「よろしければその因縁についてお伺いしてもよろしいですか? 我が国の執政官、いや元執政官が関わっていると思いまして」


「ふむ……それもそうか。いいだろう、話してやろう」



 二人がそろって近くの椅子に座る。

 テラは最も高価そうなソファーに腰を下ろしてから語った。

 人間として生まれたテラは、生き埋めにされて殺された。

 ヴァルツの国において、先々代の王の時代から仕えてきた執政官・リーディッヒは、テラを殺した張本人であり、人間ではなく、魔女でもない、悪魔の血を持つ者であると。

 魔女と違い、魔法を自由に使えるわけではないが、際限のない命を持っていて人間を襲い続けていること。

 魔女はそもそも人間であることや、悪魔の存在などジルバート達が知らない話ばかりであった。



「まあ、そんなわけであのリーディッヒという者はもしかしたら姿を変えてここに来る可能性もあるだろうが、体の修復には時間がかかるから当分先になるだろうな」


「そうでしたか……お話いただき、ありがとうございます」



 アルバートは深々と頭を下げてから、会話が途切れてしまい、沈黙がやってきた。



「そうだ。こちらの手記、お渡しいたします。僕らには到底解読もできなさそうでしたので」



 アルバートが取り出したのは一冊のボロボロな本。表紙に描かれている文字はヴァルツの文字ではないため、解読が困難を極めている。



「うん? これは、そうか私のことを書いていたやつの記録か。お前は解読できなかったわけではないだろう?」


「あれ、ばれました? 少しだけ読んでみました。おかげで何とか助かったところがありますね」


「兄さん?」



 テラとアルバートの会話が理解できなかったためにジルバートが入る。疑問に答えてくれたのはテラだった。



「お前も見ただろう? 生気を失った目で座らされていたのを。あそこまでされれば、大半の人間は心を砕かれて死に至る。だが、こやつは体に魔法陣を刻んで、悪魔の力に飲み込まれぬように精神を保っていた。それも限界に近かったようだけどな」


「そんなことしていたなんて……さすがだよ、兄さん!」


「ただの時間稼ぎだよ。ジルがいなかったら、父さんのようになっていたと思う」



 父のように。それが死を意味することはこの場にいる皆がわかった。



「ジルはいったいどうしていたんだい? しばらく姿を見なかったけど」


「僕は……国から追い出されて、それで死にかけて、テラさんに助けを求めて……」


「死にかけ?」



 何も知らないアルバートは首をかしげる。まさか弟が窮地に立たされていたことを事細かに説明すれば、今度はアルバートが心を痛めかねない。ただでさえ国のことで心労たたっているから、これ以上の心配をかけたくないというのがジルバートの気持ちだった。

 それをくんで、テラは余計なことを言わない。



「命の恩人なんだ、テラさんが。テラさんがいなかったら、僕はここに来られなかったんだ」


「そっか。テラさんは僕ら兄弟の恩人ですね。繰り返しになりますが、ありがとうございます。これから二人で恩返しができるように、国を繁栄させていきますね」



 いい話で締めに入る。これで解散、といかないのが、ジルバートとテラの関係だ。

 離れれば、魔力の供給が途絶えてしまう。そうなればジルバートが命を落としかねない。



「に、兄さん。僕、その……お願いが……」


「? なんだい?」



 優しい声でアルバートは聞く。



「僕、テラさんのところで勉強しようかと」


「勉強?」



 テラが魔女であることはアルバートも知っているため、魔女の元で何を学ぶかわからないようだ。

 実際の所、ジルバートもわかっていない。でも、テラから離れれば死ぬから共に暮らすという真実は伝えられないため、適当な口実が必要だった。


 いささか納得できていない様子のアルバート。背中を押したのはテラだった。



「魔法について知りたいらしい。今後王を支える立場になったときに、わずかでも魔法の知識があったほうが、リーディッヒのようなヤツを退けられるだろう」


「なるほど! ジルは優しいね。それなら僕は応援するよ。きっと大変だろうけど、立派になったジルを迎えられるような国にして待ってるからね!」



 目を輝かせて応援するアルバート。

 どうやら真実を伝えずに納得させることができたらしい。



「うん!」



 満面の笑みで返事をしたジルバート。

 似た顔つきの二人の笑顔を見ながら、テラの心はどこか安堵に満ちていた。




 ☆




 後日、アルバートに見送られながら、今度は船でテラが暮らしていた森へ戻ることになった。

 船に揺られながら、小さくなっていくヴァルツの国を見つめるジルバートにテラは問う。



「名残惜しいか? 母国と兄が」


「はい。でも、僕は国でいつまでも兄の影に隠れているだけじゃ駄目なんです。僕でもやれることをやらないと」



 出会ったときと違い、ジルバートの迷いない言葉にテラは自然と口角が上がる。



「私が魔力を注ぎ続ける必要はあるが、お前は強くなれるさ。国を守れるほどにはな」


「テラさん……」



 テラからそんな言葉をもらえるとはおもってもいなかったので、きょとんとした顔でテラを見る。



「何だ? 私に言いたいことでも?」


「はい。僕の名前、お前じゃなくてジルバートです。ジルって呼んでくれてもいいんですよ?」


「っ……人の名を呼ぶのは慣れてないんだ」


「ええ! だって呼んでくれましたよね? また呼んでくださいよ!」



 ねえねえ、としつこく言い続ける。



「ああ! もううるさい! 私は静なのがすきなのだ! 船から落とすぞ!」


「あー! テラさんが怒った!」



 きゃあきゃあとはしゃぐジルバートと、怒るテラ。

 賑やかな二人の声は、島に着くまで続くのだった。





 終わり

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大地の魔女は、静かに暮らしたかっただけなのに 夏木 @0_AR

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