夢、競走馬、いま。
美治夫みちお
夢、競走馬、いま。
私が物心つくよりも前から、我が家にはミホノブルボンの大きなぬいぐるみがあった。
父が昔、競馬場で買ったものだそうだ。
まだジョッキーという職業も知らない私がその背に乗り、パカパカと家中駆け回っていたことを、今でも覚えている。
私が競馬を好きになったのも、やはり父の影響だった。
休日は父と競馬番組を見ながら1着の馬を予想したり、競走馬ごとに特集されたVHSをいっしょに見たりした。
まさしく早期教育である。
そのビデオテープを再生するブラウン管テレビに、先頭を走る馬が映った。
私はなぜかその姿に見せられた。
92年、日本ダービー。
実馬のミホノブルボンを知ったのは、ちょうどその時だった。
最初から最後までつねにトップを駆ける姿は、動物園で見る他の生きものとはまったく異なり、美しく屈強な姿が幼心に憧憬を刻み込んだ。
かっこいい。
あの日あの時、私は確かに競馬の世界への第一歩を踏み出し、そして逃げ馬に恋をした。
高校の授業で読んだ生物の教科書に「生存競争」という言葉があった。
サラブレッドにはこの言葉が驚くほど当てはまる。
強く、速く走ることのみを追求し続けたしなやかで合理的な体躯。
階級制という厳格なサバイバルレースに身を置きながら、勝ち上がれるのはほんの一握り。
そうして強者の馬から脈々と受け継がれていく血統。
すべてが生き残るための進化だった。
それは人為的にしろ、絶対的に美しい秩序の姿だと、当時思った。
いまは、すこし違う。
頂点に立った馬はもちろん、篩にかけられてきた幾千の馬すべてにもドラマがあると思う。
強さは非情である。その意味が、年月を重ねてすこし分かったためかもしれない。
種の壁を超えて私たちがその走り、その生涯に共感してしまうのは、強さと儚さの両方をサラブレッドが持ってるからだ。
ツインターボ、カブラヤオー、メジロパーマー、マヤノトップガン、サイレンススズカ。
ミホノブルボン……。まだまだ、たくさんいる。
逃げ馬は鮮烈で、ほんとうにカッコいい。
社会競争から降り落とされないよう、小さな頃から勉強だけして、必死で先頭を維持する私たちは、どことなく逃げ馬に似ている。
一度も抜かれないことは、たしかに強い。
けれど、たえず苦しい。
抜き去られる恐怖をいつも感じながら、ひたすらゴールまで走るしかない。
そして大人になるにつれ、磨耗し、競争に疲れていく。
自分を押さえ込み、建前を使いながら本音とは別の行動を取って、うまくやり過ごす。
器用と言っても、どこか苦しい。
やがて、上には上があると知って、ついに一番になることも諦める。
波風立たない生き方を選び始めてから、もう何年も経っていることに気づいた。
先頭から離れた。
競争から背を向けた。
そのはずなのに、恐怖は拭えない。
逃げても、集団の中でも、どちらも苦しいのは同じだった。
走る限り、ずっと苦しかった。
それならば、みじめでも走りたいと思った。
苦しさを飲み込んで、それでも走り続けたいと思ったとき、逃げ馬がより一層好きになった。本当に好きになった。
彼らは私の諦めた一番前を、今もずっと走っているから。
私は競馬に感動した。
夢を託した。
その数はもう分からない。数え切れない。
競走馬一頭一頭と、自分のこれまでの人生の出来事が重なる。
芽生えたばかりの夢、豊かな夢、追いかけている夢、叶えられなかった夢。
競走馬と人のあいだに何か特別なつながりが、直接あるわけじゃない。
それでも人と馬のつながりを、私は求めたい。
大きな勝負があった夜、眠るときの興奮冷めやらぬ瞼の裏には、夢を託した馬の姿が鮮明に写る。負けた悔しさも半分ある。
ただ、その熱は明日への、今を頑張る気力になるものだ。
競走馬には、ロマンがある。
サラブレッドに、これからも夢をかける。
逃げ馬がいれば迷わず購入する。
「逃げ」は不器用な走りだ。
融通が利かない。
しかし、誰よりも前へと進むその姿は、個性的で記憶に残る。
どうしようもなく好きなのだ。
私が諦めた一番をまだ走り続ける彼らが、この目に今も映っている。
昔と変わらない憧憬をともなって。
夢、競走馬、いま。 美治夫みちお @jawtkr21
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