朱色の鉄塔

高黄森哉

その日、塔は思い出した


 無生物が自我を持ちうるなど、あの日までは誰も考えることはなかった。そう、東京の街にそびえる赤い鉄塔、東京タワーが意志を持ち、人々を殺戮するまでは。


「一体、何が起こっているというのだ」


 政治家の野田は言った。


「分かりません。ただ無生物と生物の違いは非常にあいまいな物でして。考えれば、無生物が意志を持つというのはそれほど不自然なことでもないのです。例えばウイルスは無生物に分類されますが、あたかも生物のように振舞います」


 生物学者の後藤は説明する。


「だが脳みそを持たない東京タワーが生物のように破壊活動を開始したのはどういう理屈だ」

「脳みそを持たずとも一見すると意識を持つかのような活動を示すことはあります。例えば一定の条件を与え、手足を動かすようにプログラムしたラグドールは、学習させなくても自発的に寝返りを打つのです。単純なセンサーしか与えられていないロボットでも、物をいくつかに集積することはします。またライフゲームは、」

「とにかく東京タワーを殺す案が欲しい」

「私は彼らの生命のプロセスを理解していませんが、タワーの持つ特殊な共振が複雑にネジを緩ませ、あたかも自我を持つかのように鉄骨を崩壊させてると考えられます。ですから、その回路を断ち切るべく、破壊をする必要があるでしょう。自衛隊に機銃を打たせるのがいいでしょう」


 自衛隊が派遣され、マシンガンが打ち込まれた。タワーはスカスカのトラス構造なので打ち漏らしが多多生まれる。そうして抜けていった銃弾は、その奥に敷き詰められた、ウサギ小屋とも評される住宅街へ降り注いだ。運悪く通りに出ていた主婦、公園で遊ぶ子供達、ゲートボールを楽しむ老人、塔の破壊の見物人、その模様を伝えるマスメディアは、平等にハチの巣にされた。

 被害者の住人は、瀕死のニュースキャスターからマイクを突きつけられると、「その時、空から銃弾が降ってきたのです」と、どこかで聞いたようなコメントを残して死んだ。その後、番組では、生物学者でしかない彼がタワーへの銃撃を考え無しに推奨したことについて、科学者的万能感が専門外の助言に繋がったのではないかと考察した。そして、その考察をするのは放屁学者の後藤であった。


「あのような巨大な物体を消滅させるには核しかないでしょう」


 相変わらず生物学者は適当な、しかしもっともらしい助言で、事態を解決に導こうとする。


「なに、核だと。平和のために断固拒否する」


 提案は却下し、野田は代わりに監視カメラと自衛隊の観察で事態を収めることを宣言した。国民から不満が噴出したが、例えば民主主義のように国民の意見が国会に持ち込まれることはなかった。


 東京タワーは今日も朱色に染まっていた。


 といっても元から赤い。また夕日と合わさると地獄の唐紅に堕ちついている。人々は地獄からの死者ではないかと噂した。

 四つ足で地にそびえ、塔の先端は薬缶の注ぎ口のように曲げている。銃弾もミサイルもものともしない地獄の生き物は通りにて、足で人を踏みつぶして回った。人を殺すたび興奮したように、ガコンガコンという金属音を不気味に東京の空に響かせて、殺人を知らせた。また、だしぬけに巨大なビルを頭で一突きし、横に薙ぎ払って崩壊させたこともある。大変な量の死者が出たようだ。


「どうして東京タワーは人間を殺すんだ!」

「記憶ではありませんかね。東京タワーの材料は戦車なもので。人を殺すために作られた兵器の集合が、人を殺す集合意識を完成させることは、必然なのかもしれません」


 ある日、塔は人を殺すのをやめた。スカイツリーに恋をしたからだ。スカイツリーに寄り添い離れなかった。まるで人の字をしていた。朝になると東京タワーは完全に死んでいた。人々は沢山の死者を忘れてしまったかのように、いや本当に忘却して、その様子に心を打たれた。沢山の本や関連商品が発売されると、飛ぶように売れた。


「今後もこういうことがあるか」

「ええ、あるでしょう。一度起こってしまったのですから、そのプロセスが判明するまでは、ありとあらゆるものが人を襲う可能性があると考えて問題はありません。どうか私共、研究者に投資していただきたい」

「いや、それはできない。なぜならば、そのような予算は存在しないからだ」

「そうですか、それは残念です」


 国会はそのとき、音を立ててぺしゃんこになった。そして咀嚼するように体を伸ばしたり縮ませた。だから中にいる政治家や学者はみな、ミンチにされてしまった。国会が本来の役目を思い出したのだ。政治家でも科学者でもない、国民の声を届ける役目を。

 

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朱色の鉄塔 高黄森哉 @kamikawa2001

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