エピローグ:冥王と女王の夢

冥界にある、冥王夫妻の寝所。

その中央にある寝台ベッドに並んで腰掛け、湯浴みのあとの濡れ髪ごと愛しい夫の胸にしなだれかかりながら私は訊ねた。


「…ねぇ、ハデス。貴方は覚えている?私が貴方と出逢った日のこと。」


「ああ…確かアフロディテとヘパイストスの結婚式に参列するためにオリュンポスに出向いた時だったな…。今思えば、あの頃から既に其方は物事の核心に触れる、聡明で賢い子供だった。私も随分痛いところを突かれたものだ。…まぁ、当時から愛らしくはあったがな…。」


ハデスは笑みを浮かべ私の頬に触れる。その優しい手付きは私がまだ年端もゆかぬ少女であった頃から何も変わっていない。


「…あの頃は…まさか其方とこうして夫婦になるとは思っていなかった…」


「…あら、失礼ね。じゃあ意識していたのは私の方だけなの?私は貴方と出逢った時から、ずっと貴方だけを見ていたというのに」


私が頬を膨らますと、ハデスは少したじろいだ様子で言う。


「…いや、其方は当時から女神として十分に魅力的ではあったが…、なんせまだ幼く結婚を考えるような年齢としではなかった。当時の其方を恋愛対象として見る方が男としてどうかと思うが…」


「…ふふ、わかってるわよ。少しいじわるをしてみたかっただけ。」


私が笑うとハデスもつられて笑みを浮かべた。夫婦のスキンシップの一環としてにぎにぎとハデスの大きな手を握りながら、私は言う。


「…私ね、こうして貴方と夫婦になってから…ずっと考えていたの…。どうして一介の“花”の女神であった私が、冥界の王である貴方の妃に選ばれることができたのか…、何故“季節の変化”という大役を担うことになったのか…」


「…もしや、私との生活に何か不満があるのか…?」


私の言葉を聞いたハデスは少し不安そうな顔になった。普段冥王として仕事に勤しんでいる時のハデスはどちらかというと無愛想であまり感情を表に出さない。


しかし、こうして夫婦としてふたりだけでいる時は意外にもわかりやすく表情がコロコロ変わった。私はそれがたまらなく嬉しい。


私はハデスを安心させようと表情を和らげ、かぶりを振る。


「ちがうわ。私は貴方と一緒になれてとても幸せよ。たとえ1年のうち1/3でもね…。欲をいえばもっと一緒にいたいけれど…」


すると、ハデスはちょっぴり悲しそうな顔をして無言で私の髪を撫でた。優しい彼のことだから、1/3で手を打たねばならなかったのは自分のせいだとでも思っているのかもしれない…。そんなことはないのに。その優しい手付きに、私は胸のつまる思いがする…。こんなに愛し合っている夫婦なのに、一緒にいられるのがこんなに短いなんて…。


「でもね、きっと私たちがずっと一緒でないのには…私が地上と冥界を行き来して、季節を変えるのには…きっと意味があるのよ…。そしてそれを、私はこう考えているの…地上の女神であり、

冥界の女王である私がやるべきことは、地上と冥界の橋渡しなのだと。」


「橋渡し…?」


「そうよ。昔貴方が教えてくれたでしょう?地上と冥界には未だ隔たりがあるわ。貴方と結婚して、実際に他の神々や人間たちと関わる機会が増えて…痛い程わかったの。地上のひとたちが

冥界の女王”に向けてくる感情…同情、哀れみ、蔑み、嘲笑、諂媚てんび…。それに、ヒュプノスたち冥界神がまだ完全には私を信用してくれていないということも、中には憎悪すら抱いているものがいるということにも私は気付いているわ。彼らとも少しずつ距離を縮め、信頼してもらえるようにならなくちゃね…。」


私はきゅっと手を固く結んだ。“花と季節”の女神を名乗れるようにはなったが、私は“冥界の女王”としてはまだまだ半人前だ。力不足なことは自分でよくわかっている。だからこそ、精進していかなければならない。


「それに、これはきっと私にしかできない。地上と冥界を繋ぐ架け橋となり、隔たりをなくすこと。地上と冥界がいつか互いに偏見なく、手を取り合えるようにすることこそが私の"役割"…いいえ、私の“夢”なのよ」


「それはまた…途方もなく、壮大だな…。だが…、」


ハデスは目を細め、ゆっくりと呟いた。


「何故だろうな…其方ならきっといつか…成し遂げる気がする…」


ハデスの信頼に溢れた言葉に私は微笑んだ。このひととなら、きっと私は何でもできる。このひとと夫婦になれて、私は本当に幸せだ。


「…おいで、ペル。其方の夢を私は応援しているが、今はこの冥界で一番の“光”をこの腕に抱ける喜びを噛み締めながら眠りたい。」


その言葉を受けて私は愛しい夫の胸に飛び込む。 冷徹な冥王の暖かい腕に抱かれながら、私は確信するのだ。いくらこのひととの間に隔たりルールを設けられようと、1年の1/3という制限をされようと…私とハデスの愛は絶対に引き裂けない。


私たちはきっと最高の夫婦になれる、と。



fin.

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新約・冥界神話 -冥王の嫁取り物語- 藤田 一五郎斎 @F15-6-3-1

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