ぬいぐるみ熱(フィーバー)

大石雅彦

第1話

きっかけは西暦2022年初頭に起こった、ユーラシア大陸における二国間戦争であった。

一向に進展しない戦況に業を煮やした一方の当事者・北方の大国が、かねてより試験運用中であったロボット兵を実戦に投入、相手国の領土内に侵攻を開始したのだ。


対するは、かつて北方の大国を中心とする勢力圏から分離・独立した小国家である。突然の敵の戦略転換にとまどい、彼らは一時、かなりのところまで追い詰められた。


しかし、小国側の指導者はメディアを使ってイメージを演出することに長けた人物であった。彼は西側諸国から技術と資源の供与を受け、遅ればせながらロボット兵の導入を決断した。そして部隊を編成するにあたり、ロボットの外観を大きく改変したのだ。


すなわち、"ぬいぐるみ"に。


クマやウサギ、ネコなどの動物を愛らしい姿にディフォルメした、身長1mに満たないロボットたちが、続々と戦場に投入された。ぬいぐるみたちは大国側の禍々しく凶悪な戦闘機械に立ち向かい、蹂躙され、大破し、戦場に散っていく。その様子はドローンで撮影され、世界中に広まった。

実際にはぬいぐるみ軍団も敵に同程度の被害をもたらしていたのだが、見た目の印象から大国の「悪」のイメージだけがクローズアップされ、可愛らしいぬいぐるみが健気に戦う姿には、逆に世界から同情が集まっていった。


やがて、「ぬいぐるみは本来、子供たちが成長する段階で、かけがえのない友となる存在だ。そのぬいぐるみを戦争に駆り出すのは、あまりに耐え難い」という世論の圧力が各地で巻き起こり始めた。

動画配信サイトに自作のぬいぐるみアニメを投稿したり、着ぐるみ姿でダンスを踊ってSNSに流す「ヌイグルマー」が台頭し、戦争反対を訴える。その勢いに乗じて日本の橅森市公式キャラクター「ブナっしー」が、「ぬいぐるみにも人権を」というスローガンを掲げて県知事選に出馬、見事当選を果たした。


機を見るに敏な小国の指導者は、ここが引き際と悟り、敵国の大統領に停戦を呼びかけた。大統領は国際社会における孤立を憂慮し、またこれ以上のイメージ悪化を避けるためこの提案を受け入れ、戦争は終結した。

停戦協定の調印式では、大国のシンボルとしてクマのぬいぐるみが、もう一方からはヒマワリの花のぬいぐるみが用意され、互いに交換し合うパフォーマンスが執り行われた。


ぬいぐるみが戦争を終わらせた……


これが契機となって、世界中にぬいぐるみのブームが訪れる。

日本では赤いリボンをつけた愛すべき白猫のキャラクターが、アメリカでは世界一有名なネズミのカップルが、ぬいぐるみ売上額過去最高を更新していった。

過剰在庫を抱えながらも、大量生産のビジネスモデルから脱せずにいたアパレル会社は、在庫のほとんどをぬいぐるみにリサイクルすることで、業績の回復とブランド力の向上に成功した。

日本のクラフト作家たちが持つ高い技術は発展途上国に伝授され、伝統工芸を継承した手作りのぬいぐるみ製作事業が、地域の自立を促すようになっていった。


やがて「カワイイは正義」という言葉のもと、世界ぬいぐるみサミットが行われ、世界中からぬいぐるみの代表が一堂に集結し、平和を祈念することとなった。記念すべき第一回の開催地は、日本の秋葉原だ。人々はいつしか、ぬいぐるみに心の平穏を託すようになっていった。


誰も彼もぬいぐるみを買い求め、また自分でも作り始めた。ペットショップはぬいぐるみショップに商売替えをし、ぬいぐるみ教室は異常な活況を呈した。

生きた動物を展示する動物園はアニマルウェルフェアの観点から批判が高まり、数を減らしていったが、「カワイイ」と「アニマトロニクス」を融合させた日本のベンチャーが、実物大のぬいぐるみ動物園を開業するや、瞬く間に人気を博し、世界主要都市でライセンス展開されていった。


各国の軍隊でさえ、あの世界最初のぬいぐるみ戦争の教訓を活かし、軍艦や潜水艦、航空機をぬいぐるみで覆い隠し始めた。少しでもハードな印象を和らげて親しみを持ってもらうと共に、ミニチュアのぬいぐるみを販売して予算の原資にするという狙いもあったようだ。海には巨大なクジラのぬいぐるみが浮かんだ。空には鳩や鷹のぬいぐるみが飛び、ミサイルもふわふわの綿と布で覆われてその凶暴さを失った。馬鹿馬鹿しくも微笑ましい場所と化した軍事基地を見て、人々はますます戦争を起こす気を無くしていったのだった。


欧州のある国では、ついに国の議会をすべてぬいぐるみの議員のみで招集する、と発表した。もともとデジタル化が進み、リアルに集まって討議することの非効率性が指摘されており、その国では以前より議会をメタバース空間に移行する実験が進められていた。

世の趨勢を受けて、カメラとマイクを仕込んだぬいぐるみが、アバターに成り代わって議会で討議するようになった。試みは成功し、追随する国がいくつも現れた。


さすがに、ちょっとこれは異常じゃないか、と疑問に思う人々もいた。そしてある研究者が「これは新種の感染症なのではないか」という仮説を立てて調べた結果、未知のウイルスが見つかった。

しかし彼はその結果を公表しなかった。「幻覚を見るなんて、私は疲れているんだ……」とつぶやいて。


いまでは、我が国の首相は「日本カワイイ党」党首となったブナっしーだ。

地上にはモルモットのぬいぐるみを被ったクルマが走り回り、宅配便のトラックはネコ型を象ったバスになっている。空を行くドローンで、耳の大きな子象や鳥の姿をしていないものを探すのは至難の業だ。


「どうやら、今回もうまくいったようだな」

航空機も及ばないはるかな上空、宇宙空間にUFOのぬいぐるみが静止している。

いや、正確にはUFOのぬいぐるみの形をした、外宇宙人のUFOだ。


「ああ。これまでのどの星も、ぬいぐるみの魅力に勝てはしなかった。我々の開発した『ぬいぐるみウィルス』に感染したが最後、カワイイに抗うことはできなくなる」

「しかし地球の科学者は優秀だったな。まさか『ぬいぐるみウィルス』を特定されるとは」


UFOの中で会話を交わしているのは、地球のレッサーパンダに似た感じの二体のぬいぐるみだ。本来エネルギー生命体である彼らは、その長い寿命が尽きるまでぬいぐるみに憑依して物理世界を生きる。そして宇宙を旅して強い闘争心を持つ種族の住む星を見つけては、そこにぬいぐるみウィルスを送り込んで戦う気を奪い取り、可愛くも穏やかな星にしてしまうのだ。なんともお節介この上ないことであった。


彼らの前には、小さな装置が置かれている。中に格納されているのは、感染するとぬいぐるみに異常に愛着を感じてしまうようになる「ぬいぐるみウイルス」だ。

接続されたモニターに映る映像の中で、ナノメートルサイズの微細な"テディベア"がゆらゆらと優雅に漂っていた。


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ぬいぐるみ熱(フィーバー) 大石雅彦 @Masahiko-Oishi

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