第3話 後悔

 今では『ゲーセンのロビン・フッド』なんて呼び名までついて……こんなにもいとも簡単に獲れるようになってしまった。

 甘酸っぱくも苦々しいものを噛み締めるように苦笑しながら、落ちてきたちくわんマンを取り出した。

 そのときだった。


「乃木くん……?」

「……!?」


 それはあまりに聞き覚えのある声だった――。


 ぎょっとして振り返れば、


「やっぱり……乃木くんだ」


 久しぶり、と微笑む口許から覗く八重歯は相変わらず。でも、真っ白なニットのセーターの胸元には全く見慣れぬ膨らみがあって、ミニスカートからはきゅっと引き締まった太ももが覗いている。長い黒髪はざっくりと編み込みにして横に垂らし、僕を見つめる眼差しにも、その表情にも落ち着きが宿り、グッと大人びて見えた。蠱惑的……とでも言えばいいのか。まるで、ふわりと漂う甘い香りが桃色のオーラとなって目に見えるような……。

 だから、言葉が出なかった。

 久しぶり――の一言で片付けられるような変化には思えなかったから。


「変わらないね」と彼女は遠慮がちに言って歩み寄ってきた。「遠目でもすぐに分かっちゃった」

「そ……そう、かな?」


 まあ、確かに。僕の方はといえば、大した変化はないだろう。

 あるとすれば、背くらいかな――と、いつの間にか頭一つ分追い越していた彼女を見下ろしながら思った。


「ああ、でも……乃木くんを見上げるのは新鮮だな」

「高校に入ってから一気に伸びた」

「伸びすぎ」


 ふふ、と彼女は笑った。


「よくここ来るの? 乃木くん、ゲーセンのイメージ無かったかも」

「たまに……来るんだ。土日とか、息抜きに……」

「そっか。もう受験だしね。息抜き大事だよね」


 うんうん、と彼女はしみじみ頷き、


「私も今日は友達とパーッとカラオケしてたの。帰る前にプリクラ撮ろう、て寄ったんだ。今、友達はお金崩しに行ってて……」


 言いかけ、彼女はハッと何かに気づいたように目を見張った。


「あ、それ……」と僕の手元を指差し、「懐かしい。ちくわんマン」


 ぎくりとした。

 かあっと顔が熱くなるのが分かって、「あ、いや、これは……」と言葉だけが勝手に考え無しに飛び出していた。


 言えるわけもない。

 未練がましく、まだあのときの――もう四年も前の失態を引きずって、なけなしのお小遣いと青春の貴重な時間を浪費しながら、ひたすらクレーンゲームの腕を磨いていたなんて。


「偶然、通りがかって……」


 必死に、そんな苦し紛れの嘘を吐こうとした瞬間だった。


「ちゃんと……獲ってくれたんだね」


 どこか悪戯っぽく彼女は言って、はにかむように微笑んだ。

 ぶわっと胸の奥から熱いものが一気に込み上げてくるのを感じた。

 ぎゅっとちくわんマンを握り締め、「そ……そう!」と力強く応えていた。


「あのときの……約束! 四年もかかっちゃったけど……これ、良かったら」


 ずいっと差し出すと、


「え!? 本当に!? 冗談だったのに……もらっていいの?」

 

 え、冗談だったんだ!?


「いや、ごめん……要らなかったらいいんだけど!」

「要らなくないよ!」と慌てて彼女は言って、僕の手からちくわんマンを取った。「ありがとう。――嬉しいよ、葉くん」


 葉くん――噛み締めるように彼女が口にしたその言葉に、またきゅうっと胸が締め付けられた。四年前みたいに。


 それは念願叶った瞬間……のはずで。四年越しに、約束のぬいぐるみを渡せた……のに。

 何か物足りなさを感じていた。全然、スッキリしない。

 達成感よりも違和感が残った。


 なんだろう、何かが……違う感じがした。


「このみ〜、お待たせ〜」


 ふと、そんな甲高い声が聞こえて、彼女は弾かれたように振り返る。その先には、明るい髪色の派手な見た目の女子がいた。

 ひょいひょいと手を振るその子に、彼女は小さく手を振り返し、


「じゃあ……もう行くね?」


 こちらに向き直ると、彼女はぎこちない間を空けてから、「これ、ありがとう」とちくわんマンを胸元に抱き締めておっとりと微笑んだ。

 

「また……ね」

「あ、うん……じゃあ、また……」


 ふわりと編み込んだ黒髪を靡かせ、身を翻す彼女。その背中を見送りながら、違和感が増していくのを感じていた。


 本当に……? 本当に……この瞬間のために、僕はずっとクレーンゲームに勤しんでいたのだろうか――?


 それなら、なぜ……後悔が消えない? これで『終わり』のはずだろう? 四年越しの未練も断ち切れるはずなのに。この胸のわだかまりはなんなんだ?

 僕が後悔していたことって……何だったんだろう?

 一体、僕は何を取り返そうとしていたんだろう? あのときの失敗? あのとき、獲り損ねたちくわんマン? それを……後悔していただけ? それを彼女に渡し損ねたことをこんなにも引きずってた? 『ロビン・フッド』と呼ばれるほどになるまでに。


 いや――とふと、冷静な声が頭の中でした気がした。


 いや……きっと、違う。僕が後悔していたのは、そこじゃない。ずっと悔やんでいたのは、そんな失敗じゃない。ちくわんマンを渡せたかどうかなんて、どうでもいいことだったんだ。僕が本当に悔やんでいたのは、――。


「このちゃん……!」


 いったい、何年ぶりだろう――というその呼び名を、僕は大声で叫んでいた。

 このちゃんは驚いたようにびくんとして振り返る。目をまん丸にして驚くその顔に、僕は我に返ったようにハッとして、「あ、ごめん!」と謝っていた。


「望月……さん……」


 言い直すと、このちゃんはしばらくきょとんとしてからクスリと笑った。


「『このちゃん』でいいよ」

「え……いいの?」


 いいんだ……。


「じゃあ……その、このちゃん……」と僕は今更ながらに照れながら、頭を掻きつつ、「多分、ずっと言いたかったことがあって……」

「『多分』なんだ?」

「今度……で良ければ、また会えたらいいな、て……」


 ぶわあっと全身が燃えるように熱くなる。 

 気のせいか、周りの視線も集まってる気がする。

 しかし、もう……ここまできたら、躊躇っている場合でもあるまい。もう後悔はしたくない――!


「なんでも……このちゃんの好きなもの獲るから!」と僕はビシッとクレーンゲームを指差し、やけくそ気味に言い放っていた。「僕に落とせないものはないから!」


 なんじゃそりゃあ!? と我ながら思いつつも、言ってしまったものは仕方ない。

 これでダメなら……それでもスッキリするだろう、と思えた。

 ドッキドキと今にも飛び出してきそうな心臓の鼓動を感じながら、固唾を呑んで見つめる先で、このちゃんはパチクリと眼を瞬かせてから、


「うん。――知ってる」


 ちくわんマンをぎゅうっと胸に抱き、へへっと八重歯を見せて笑う無邪気な笑顔は昔のままで。僕のよく知る――大好きだったこのちゃんのままで。どうしようもなく胸が締め付けられて……そして、ようやく満たされた心地がした。


「楽しみにしてるね、葉くん」


 僕を見上げながら、このちゃんはほんのりと頬を染め、はにかむように言った。

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四年ぶりに再会した幼馴染に、ようやく約束のぬいぐるみを渡せたけれど……!? 立川マナ @Tachikawa

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