第2話 このちゃん

望月もちづきさん……どうしたの?」

 

 言葉を交わすのも何年振り、てくらいだったから、ソワソワするのを必死に隠して笑みを取り繕って訊ねた。


 それは体育祭の打ち上げだった。

 このちゃんと同じクラスになって……でも、やっぱりこのちゃんの周りは眩すぎて近づくことも憚られて。相変わらず、クラスメイトになっても自然と距離を置いてしまっていた。

 昔は――同じ社宅のアパートに暮らしていた頃は――毎日のようにお互いの家に行き来して、近くのスーパーまで一緒にお菓子を買いに行っていたのに。そんなことがまるで、全部、僕の妄想だったんじゃないか、と思えるほどにこのちゃんは遠い存在になっていた。

 なんとなく……だけど。その気まずさは彼女にも伝わっていたんだろう。気づいたときには、このちゃんも僕を『乃木くん』と呼ぶようになっていた。『ようくん』じゃなく……。


「姿、見えなくなってたから……。どうかした?」


 ちらりとこのちゃんは背後を――真っ直ぐに伸びるカラオケ店の廊下を振り返った。その奥には、クラスの皆がウェーイと大盛り上がりしている部屋がある。あまりの場違いさに居た堪れなくなって、僕がこっそり抜け出した打ち上げ会場だ……。 

 そもそも……最初から乗り気ではなかった。カラオケ自体苦手だし、そういうイベントに僕がいる必要もないだろう、と思ったし。ただ、それでも来たのは、ひとえにこのちゃんが学級委員だったからで。その打ち上げが、学級委員長としてこのちゃんが一生懸命に企画したイベントだったからで。『誰も来なかったらどうしよう?』なんておこがましい心配をしてしまったのだ。

 結局、来てみたら、陽キャの群れの中に彷徨い込んだ茶坊主のようになっていた。空気読んでない感丸出しで、逆にこのちゃんに申し訳ないくらいだった。


「ちょっと……気分悪くなっちゃって」と咄嗟に嘘を吐いた。

「え、大丈夫!?」

「あ、全然。もう大丈夫……」

「そう? 良かった」


 このちゃんと会話するのはあまりに久々で、ぎこちなくなりながらも、やっぱり懐かしくて……嬉しかった。

 雰囲気はすっかり大人びてしまったけど、ニコリと笑むと八重歯が覗き、かつての無邪気さが蘇ってくるようで。向かい合って、しばらく話している間に居心地の良さが戻ってくるのを感じた。『このちゃん』『葉くん』と呼び合っていた頃みたいに……。

 

「そういえば……」不意に、このちゃんは思い出したように切り出して、「これ、懐かしいね」


 ちらりとこのちゃんが視線を向けたのは、すぐ傍にあったクレーンゲームだった。

 エレベーターの横にポンと唐突に置かれた一台のクレーンゲーム。『おでんマン』のぬいぐるみが中にどっさりと積まれていた。


「覚えてる?」とこのちゃんは懐かしむように微笑みながら、そのクレーンゲームに歩み寄って中を覗いた。「小さい頃、葉くんが獲ってくれたよね。おでんマンのぬいぐるみ……」


 葉くん――つい、ぽろりと零れてしまったみたいに、このちゃんはあまりに自然にそう口にした。

 郷愁というものなのか、それとも、他の何かなのか……。たちまち、かあっと胸の奥が熱くなって、一気に『ウェーイ』と全身が良く分からないテンションに沸くのを感じた。


「すごいよね。初めてだったのに一発で獲っちゃって。しかも、私のお願い通り、おでんマンをちゃんと獲ってくれて……」

「また獲ってあげるよ!」

「え……?」


 なんで……あんなことを僕は口走ったのだろうか?

 未だに理解できないし、思い出すたび枕に顔を埋めて奇声を発したくなる衝動に駆られる。


 まあ、きっと調子に乗ってしまったのだ。浮かれたのだ。有頂天になってしまったのだ。テンションが暴走してしまったのだ。

 このちゃんに久しぶりに『葉くん』と呼ばれて。このちゃんがあまりに嬉しそうにあの日のことを――純然たるビギナーズラッグで、このちゃんのリクエスト通りの景品を獲得したときのことを――語るから。


 あのあとのことは……あの気まずさは、もう思い出したくもない。

 

 何も掴まずにおいそれと戻ってくるアーム。

 わいわいと騒がしいカラオケ店の廊下で、しんと静まり返るその場。

 もう一回――とポケットの財布に手を伸ばすや、「あ、このみ〜、何してんの? このみの入れた曲、始まってるけど」と甲高い声が聞こえてきて、申し訳なさそうに僕を見つめるこのちゃんの顔。


 去り際、このちゃんは『乃木くんも一緒に戻ろう?』と誘ってくれたけど、僕は思わず断ってしまった。あまりの恥ずかしさと惨めさに、中二の僕はすっかり心を折られた。

 それからまた、このちゃんとの距離は開いた。

 あのときの失態を……己の格好悪さと向き合う勇気が無くて、余計にこのちゃんを避け始めたところもあった気がする。

 それなのに、だ。その一方で、もし、あのとき、あのぬいぐるみを獲れていたら――と未練がましく考えてしまう自分もいて。溢れ落とした青春の残骸でも拾い集めるように、クレーンゲームを見かければ、コインを入れるようになっていた。

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