第18話 平和失格

『人を傷つけないお笑い』


 そんなもの、幻想だった。

 それを悟った張本は楽屋で抜け殻のようになってしまった。

 ホセ・メンドーサとの試合を終えた、矢吹丈のように……



 かつて菅原は張本のような同級生に傷つけられた経験をした。


 菅原が学校で授業中、脱糞をしてしまった際庇ってくれたあの子。


『大丈夫!?』


『コラ!笑うな!皆笑うな!』


『ぼ、僕が漏らしました!菅原くんは放屁しただけです!脱糞は僕がしました!』



 ────惨めだった


 どうせなら笑って欲しかった。


 ────アイツのせいで、教室が地獄みてえな雰囲気に……。


 ────許せねぇ


 張本はソイツにそっくりだった。

 顔も、そして考え方も。

『人を傷つけちゃいけない』だって?


 どの立場でもの語ってんだと菅原は思った。


 そして菅原は決意した。

 捏造でもいい。

 どれだけ配慮しても傷つく人が居ることを想定しろ。

 そうすればもう2度と『人を傷つけないお笑い』なんて出来なくなるぞ────



 ラブアンドピースは解散────



 ────はしない


 ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


「コンビ名を『マッドマックス』に改名します」


 公式ツイッターで発表した。


 そして「マッドマックス」の記念すべき初回ネタが始まる。


 切り出すのはいつも通り平谷だ。

 だが、テイストが180度違う。

「おい」

「あ?」

 張本の返しもテイストが違う。愛と平和の要素は全くない。

「前から思ってたけどよ……テメエの顔キモイわ」


 バリィン!!!


 平谷が倒れ込む。

 張本が、一升瓶で平谷を殴りつけたのだ。

 これは台本に無い行為……というか、マッドマックスのネタには最初から台本が無い。全てアドリブだ。


 まさか平谷も張本が、一升瓶で殴りつけてくるなんて思いもしなかっただろう。


 倒れ込む平谷。

 悲鳴をあげる観客。


 張本は心の底から楽しかった。

 そして昔自分をいじめてきた人間の気持ちが分かった。

「人を傷つけるのって、なんて楽しいんだろう!!!」


 張本は満面の笑みを浮かべていた。


 脇幕では菅原も張本の豹変ぶりを嬉しそうに見ているのだった。







『弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我するんです。幸福に傷つけられる事もあるんです』────────太宰治

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