第2話 Promise
夕方になって窓から日が差し込まなくなると、紫苑はようやくカーテンを開ける。そして窓にもたれかかって家の前の通りを眺めるのが日課だった。夕日は赤く空を染めている。紫苑は赤く燃えるような夕焼け空の方が青い空より世界に似合っていると思っている。
視線を下に向けると、閑静な住宅街の通りは、スーツを着た仕事帰りのサラリーマン風の男や私立中学校の学生服に身を包んだ女の子が歩いていくのが見える。
「今日は来ないのね」
紫苑は通り過ぎていく人々の頭を見下ろしながら、窓の縁に両肘をついて首を傾げた。
もうどれほど待っていただろう。空は夕焼けの茜色から少しずつ黒が混じり始めていた。諦めて窓を閉じようとした紫苑の目に満月のように光る銀髪が入ってきた。
紫苑は慌てて窓を閉じると、普段はつけない部屋の灯りを全部つけていく。天井のライトはもちろん間接照明やぬいぐるみ用のライトアップ用の照明スタンドも二つとも最大まで明るくした。
机の上にひしめくぬいぐるみたちを一つ一つ丁寧にベッドの上に移して片付ける。お気に入りのクッションをイスに置き、それから埃一つないように机を拭いた後、お気に入りのテディベアを中央に飾った。
同時に部屋のドアが三度ノックされる。
「紫苑さん。いらっしゃいますか?」
「はい。どうぞ」
紫苑は待ちきれなくてドアを自分で開くと、そこにはスーツを着た銀髪の男が優しい微笑みを浮かべながら立っていた。
「
「すみませんね。年度末が近づくと、先生は忙しくなってくるんですよ」
紫苑はうっとりとした目で白烏の青い瞳を見た。真っ黒なドレスに身を固めた紫苑とは正反対で、白烏は明るく、よく笑い、子供のような無邪気な声で話す。
紫苑はそんな白烏が訪ねてくる瞬間が唯一の楽しみだった。
「先生はそんなに忙しいの? まだ期末テストには遠いし」
「もうすぐ一年で一番大切な行事があるんだ」
そう言いながら、白烏は白い封筒をカバンの中から取り出した。
「それには君にも参加してほしい」
「もちろん。先生がそう言うなら。開けてもいいの?」
「あぁ、見てほしい」
紫苑はペーパーナイフで封筒を開ける。中には薄赤色の紙が一枚だけ入っていた。
『貴殿を三年M組への編入を命じる。M組生は二月一日にC棟多目的教室に出席すること。なお、出席のない場合は当校を退学処分とし、貴殿の秘密は公に暴露される』
紫苑の手から手紙が落ちる。震えながら白烏の顔を見る。その瞳は少しも揺らがず、ただ紫苑を見つめていた。
「どうして? 誰にも言わないって。二人だけの秘密だって約束したのに」
「私は秘密の中身は教えていませんよ」
「こんなの、どうしたら。私はここから出られないって、先生も知ってるでしょ」
紫苑は机に両手を強く叩きつける。その反動で中央のテディベアが倒れ、そのまま床まで転がり落ちた。
「そうでしょうか? ここを抜け出す方法くらいあるでしょう。少なくともあなたは思いついているはずではないですか?」
紫苑が唇を噛んで何も言わないのを確認すると、白烏はそれ以上何も言わず、紫苑の部屋から出ていった。残されたのは、涙をこらえる紫苑とたくさんのぬいぐるみだけ。紫苑は転がり落ちたテディベアを拾い上げると力を込めて床に投げつけた。
「信じていたのに」
白烏からもらったテディベアが紫苑を見上げている。紫苑はそれを拾い上げると両腕で強く抱きしめた。
二月一日、紫苑は壁にかかっていた制服を手にとると、一年振りに袖を通した。あの日から白烏は一度も紫苑を尋ねてきていない。
来なければ秘密は暴露される。
どうして白烏は急にそんなことを言いだしたのか。それを確かめるためには約束通り、学校に行って、白烏に聞く以外に方法はない。
窓を開ける。紫苑は
うさぎのぬいぐるみに隠したカッターの刃もペーパーナイフもこうやって手に入れたのだ。
約束のC棟多目的教室には生徒は誰もいなかった。その代わり教壇には一人、白烏が立っている。
「先生、約束通り来たよ」
「ありがとうございます。きちんと登校してくれて嬉しいですよ」
そう言って紫苑に近づいたかと思うと、ポケットから取り出したハンカチで紫苑の口を覆った。
意識が遠のく。ぼんやりと映る白烏の顔はいつもと同じく穏やかで優しい微笑みを
「どうして?」
声にならない声は白烏に届くことなく、紫苑の意識は遠く薄れていった。
ぬいぐるみ一つだけ~僕たちが高校を卒業できない理由~ 神坂 理樹人 @rikito_kohsaka
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