第24話 牧師、残業する
「カインさん帰って来ませんねぇ……」
毎度喧騒渦巻く酒場。グラタンをつつくゼゼル。牧師の帰りが遅い。もう夜も暮れているのに。
「どうでもいいわ、あのアホがどこをほっつき歩こうが……」
ぐびりとヤケ気味にラライが酒杯を飲み干した。安ワインしかないと最初はブツブツいっていたが、最近はわりと気に入ってきたようだ。
「あと三日で大仕事だってのに、なにやってんのかしらねぇあの牧師様は」
ダンジョン新領域発見の公式発表まであと三日。すでにあちこちでは水面下でチームメンバーの勧誘合戦が勃発している。先ほどもラライに声をかけてくる冒険者が何人かいた。無論無視したが。
──超大型の魔石を破壊して魔力を得るには、魔力の売買自体が目的のやつらと組む理由がないしね……それにどいつが教会派でギルド派なのか、わかったもんじゃない。
「おや飲ってるねぇ。美人が一人飲みかい? あの坊やはいないの?」
気安い声。長い杖を持つクォーターエルフの魔術師が、ラライの横にことわりなく腰掛ける。手には火酒が入った酒杯。
「アルソミュ、あんたと呑む気はないわよ」
「あらつれないねぇ。……で、
「どっちも興味がないのよ。独立独歩の精神が冒険者には必要だってギルド長のトカゲもいってたでしょ?」
アルソミュとザイルドに呼び出されたその日、ラライはどちらにもつかないことを宣言した。教会はもちろんギルドのゴタゴタにも付き合うつもりはない。
そもそも、どちらかを宣言すればどちらかの暗殺者から狙われる可能性が高くなる。どちらでもない、ただの浮動票と思わせておけば優先的に狙われる可能性は低くなる。
「まあいいさ。あんたの正体から教会につくことは絶対にないからね。敵にならなきゃそれでいい。それにわりとあたしはあんたが気に入ってる」
「女にモテて嬉しいと思う趣味はないわ」
「はは、この街は自由主義の街だからねぇ。愛することに垣根がないのも売りなのさ。まああたしは違うけど」
アルソミュの視線が横に動く。
釣られてラライも見ると、妙に距離が近い男同士や女同士がいた。友情というよりは、恋人に近い距離感。
「え、なにこれそういうの表に出すのもアリなのこの街……?」
冷たかったラライの表情に困惑。四百年前の常識が崩壊していく衝撃を必死にこらえる。
「それが気に入らないと教会もお冠でねぇ。やたらギルドに干渉しようとしてくる理由の一つさぁ。他人がベッドでなにやってるかなんてほっとくのが粋ってもんなのにねぇ」
「ま、まぁ他人がなにやってても私の知ったことじゃ」
「あの牧師の坊やもひょっとしたら誰かに今頃口説かれてるのかもねえ。相手は男か女知らんけど」
「ゼゼル、あのバカ探しにいくわ」
立ち上がる吸血姫、名残惜しそうにグラタンを抱えながらゼゼルが呟く。
「探しにいくもなにもどこにいったかわからないんですが……」
△ △ △
「う、産まれそうって」
「破水っス! 産まれそうは産まれそうっスよ! それ以外なにがあるんでスか!」
「オイマジで産気づいてんじゃねーか! どうすんだよ!」
魔獣を倒した安堵から一転。またも混乱する三人。
「う、うぅ……」
倒れる妊婦。脚の間から垂れる羊水と血。
「と、とりあえず奇跡で治療して出血を止めないと」
駆け寄るカインの腕をシャロムが掴む。
「止めるっス! 治療奇跡で傷を塞いだら産道も塞がれるっス! そうしたらお母さんも赤ちゃんも死ぬっスよ!」
「そ、そんな………じゃあ僕が担いで街の医者まで連れていきます、高速化する奇跡ならすぐに」
「途中の運ぶときの揺れが厳禁っス! 移動中に出産が進んだら最悪やっぱり母子が死ぬっス!」
「じゃあどうすればいいんですかこんなの!?」
どうにもならない状況に、思わずカインも叫ぶ。戦いという殺し合いを経験はしていても、まさかこんなことは全く想定していなかった。
「おい、おまえらギャアギャア騒ぐな! 兄ちゃん、大丈夫か」
ワシーリーに肩を貸され、腕に添え木をされた夫が妻に近づく。
ゆっくりと妻の横に座る。手を握り、額に押し付け、ゆっくりとつぶやく。
「……主よ私の妻をお救いください、主よ私の子供をお救いください」
震える声。自らの全てが失われる恐怖の前に、ただ祈ることしかできない男の姿。
どこまでも無力な、人間の姿。今まで幾度も繰り返され続けた、運命に膝を付く者達の姿。
三人の言葉が止む。自分達がなにをするべきか。なにができるのか。
カインの中に、焦燥があった。救うためになにかをせねばならない、しかしその何かがわからない。
「わ、ワシーリーさん、馬車から」
「あ?」
最初に口を開いたのは、シャロムだった。震える声で、しかしはっきりと。
「馬車からできるだけ清潔なシーツを出してくださいっス。あと火の用意をして大鍋で水を沢山沸かして」
「お、おい、おまえ……?」
「カインさんは浄化奇跡で周囲を清潔にして、それからロープとシーツで区切って出産部屋をつくって」
「しゃ、シャロムさん、あなた……まさか」
「私が」
眼鏡の少女が、顔を上げた。そばかすの浮かぶ顔は、今にも泣きそうで、それでも必死な覚悟があった。
「私が赤ちゃんを取り上げるっス」
△ △ △
「よっと」
ワシーリーの大剣が
「これで最後の一匹か……シャロムの嬢ちゃんはまだか?」
「まだ生まれないみたいですね……そろそろ三時間経ちますよ」
カインの足元には累々たる魔獣の死体。ゴブリンやトロールなどが全身を切断されて転がる。
妊婦を移動させられない。夜の森という危険地帯の近くで陣取る以上は、ロバや妊婦の血の匂いに誘われて出てくる魔獣を排除していく必要があった。
「あ、あの、妻は……子供は……」
オロオロとした様子でクワを抱えた夫がカインに近づく。少しでも妻を守るために戦うといっていたが、傷を追ったばかりの人間に無理はさせられないとカインが止めていた。
「……今はシャロムさんを信じましょう。彼女は全力を尽くしてくれています」
「しかしまさかあの小娘が産婆の真似事ができるたあな。怪我の巧妙というか」
疲れが見えながらも空元気で笑うワシーリー。
「本当に……シャロムさんがいて良かったと思います」
『自分がいた教会の司祭長は村の医者も兼ねてたっス。自分も多少の医術と出産の手伝いをやったことがあるから、やるだけやってみるっス』
そう彼女はいって、カインとワシーリーに指示を始めた。
横倒しになった馬車をバリケードに、ロープとシーツで簡易に区切った出産室に今二人はいる。
「こういう時は男は無力だからなあ。せいぜい肉の壁にでもなっとくしかねぇわ」
「ええ、僕もそのつもりです。なんとしても魔獣を止めましょう」
カインの表情に険しさがあった。絶対にあのシャロムと、母と子を守らねばならない。
「ありがとう……本当にありがとうございます」
頭を下げる夫。目に涙。
「礼をいうのは早いぜ兄ちゃん! まあ、冒険者な以上は依頼を受けたら最後までやるのが筋ってもんよ!」
ワシーリーが夫の背を叩く。本当ならば夫妻を見捨て逃げてもおかしくない状況で、それでも男は踏みとどまっている。
冒険者の矜持か。ただ人間としての善性ゆえか。あるいはカインをあてにしているのか。
「それにしても奇妙ですね。いくら外れの場所でも、人里も近いのにこんなに魔獣がでるものなんですか……?」
「まぁそりゃあ魔獣だしなあ。いろいろ向こうも事情が……!?」
殺気に身構える二人。森の方角。暗闇の中に光る無数の目。
まとうは雷。闇を照らす雷鳴。稲妻と炎の中に、犬の集団がいる。
「
新たな魔獣が、疾走を開始。
カイン達へと挑む。
△ △ △
「あああああああなんであんな啖呵きっちやったんスかぁ……こんなのやるんじゃなかったスぅ」
シーツの出産室でシャロムがしゃがみこむ。服は僧衣から白衣へ。
「産婆さんの手伝いとか何回かやったことしかないのにぃ……怖い怖い怖いぃ……」
自分がやるしかないと思った。この妊婦を救いたいと思ったのは本当だ。ただこうしていざ出産をするとなると、不安でどうしようも無くなってきた。
「失敗したらどうしよう……やだやだやだ……あああ」
「あの……シャロムさん」
妊婦が、声を出した。
「え、ええ、あ、はいぃ!!」
「どんな、ことになっても、私は後悔、しません」
陣痛に必死に耐えながら、妊婦は言葉を繋げる。
「絶対に、後悔しません、だから、どんなことになっていい。お腹を裂いて、私が死んでも構わない」
これだけは、絶対に伝えなければいけないから。
「この子だけは、生まれさせてあげて下さい……この子だけは」
「あ、ああ……」
彼女の手がシャロムに伸びる。握りしめながら、シャロムは立ち上がった。
救いたいと、もう一度強く思った。目の前にある、全てを。そのために、力が欲しいと願った。
「お願いします……この子だけは」
「──そう、やればいいのでしょう。世話が焼ける娘ですね」
シャロムは冷たく呟く。その声に、その眼差しに、その表情に、普段の
ザコメンタル吸血姫と無能牧師のタイラントブレイク!~チート吸血鬼ですが魔力ゼロの裸一貫からやり直します!~ 上屋/パイルバンカー串山 @Kamiy-Kushiyama
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