『迷える森の庄司くんと神のような渕上さん』

小田舵木

『迷える森の庄司くんと神のような渕上さん』

 庄司しょうじくんは今日も渕上ふちかみさんを目で追って。

 何か創作のネタにならないかとねめつける。

 ここはひかり差す書店。

 そこには過去の者どもが背を並べていて。

 白く淡い光の中に埃が舞い。

 そこに妙にボーイッシュな渕上さんが映えるのだ。


「いや。仕事してよね」と彼女が言えば。

「いやあ。頭がぼやっとね…花粉症のせいすかね」と俺は言うのだけど。

 そうじゃない。頭が痺れているのは君のせいだよ…渕上さん。


                ◆


 渕上さんは一言で言えばで。

 物書きって共通点だけで俺達は友人であり。

 これ以上の感情を抱くことは危険ですらあるのだが。

 まあ、俺もオスである。メスをみたら惹かれるのは寂しいさがではある。

 しかし。物書きという薄いよすがで繋がる俺達の微妙な関係を崩すのは…俺が嫌で。

 こういう微妙な関係で終わっていくのかな。

 勇気のない俺じゃ。


                ◆


 昼休み。

 バックヤードでタブレットにワイヤレスキーボードでモノを書けば。

「新作どうよ」と入ってくる渕上ふちかみさんが居り。

「相変わらず進まないよ…資料が増えるばかりさ」

「君の作品は衒学げんがく的に過ぎないかい?」と短い髪をかき上げる渕上さん。

「…ってもね。キャラメイキングが苦手で。衒学させて―ちょっとでも厚みをだそうって腹」俺は言い訳し。

「…借り物の思想を語らせてる限り、君のキャラにはならなくない?」

「痛いトコをどーも」と俺は煙草を取り出し吸う。そう、この個人経営の本屋では休憩室で煙草が吸えるという利点がある。いちいち野外の喫煙所に行くわずらわしさがない。

「ま、私も人の事言えんけどさ」と彼女も細身の煙草に火を付け。紫煙がくゆるその様はミステリアスで、曖昧で。

ふちさんの作品はキャラがしっかりしてるよな」

「私は劇団まわしてるようなもんだから」と煙を吐きながら言う彼女。

「ストックキャラに演技付けして、回してる?」

「そ。だから…どうしてもが出てね」

「やらされてる感ねえ…んな事言ったらフィクションみんなそうじゃんよ」

「その中でも―自然さは出せる…と信じてるかな」

「自然さねえ。作為とは程遠い言葉だ」と俺は思う。物を騙る以上自然さというのは最初から存在していない。それを求めるのは矛盾というよりないものねだりで。

「なんていうかなあ…心のそこから演じてるような」

「渕さんは―か」と俺は言う。自分はとかく自分に寄せすぎる嫌いがあり。

「庄司くんは…っぽいね。君の個性ではあるな」

「その個性のせいで作品が似たりよったりになるのは反省点」

「…私にはないものだ。羨ましい」

「そうかい?」

「そんなもんかね―っと時間か。行ってきますわ」


                  ◆


 白銀のような太陽光。

 その下には書架しょかが広がり。

 その森を俺達は管理する。

 読まれる本があれば、読まれない本も存在し。

 一生をかけても読み尽くせない知識の山に俺は圧倒される。

 ここに俺や渕上さんは―ここに加われるのだろうか?そう思うと憂鬱だ。

 昨今の書籍界は決して明るいものではないと俺達は知っている。

 それでもなお。どうしても紙の媒体に憧れる俺達も居て。

 今日も今日とて―時間を盗み見ながら書いてる訳だが。

 どうにも日の目を見るイメージが湧かないのも事実であり。

「あーあ。もう止めちまうかな」と独りごちる言葉が深閑とした森に吸い込まれていき。


                  ◆



 森には―何かが潜んでいる。

 古来、人はそう信じてきた。今ざっと浮かぶはシェイクスピア、『マクベス』の魔女。

 しかし。我が書籍の森には―が居る。

 そう俺は感じていて。その妖精にうて居るのだけど。

「この好意を伝えたら」

「君は森から出るはめになる」

「彼女は―個人で閉じている」

 ああ。森の小人という俺のイマジナリーがうるさい。


「何見てんのさ」と彼女が問う。

「…想像力の先?」と俺は言い。

「トリップするのは執筆中だけにしてよね」

「…悪い」


               ◆


 森の中では―方向を見失う事があると聞く。

 まさしく俺はその状況にあるのかも知れない。

 木立こだちを成すは万字ばんじの連なり。その情報の海の中で俺は溺れる。

 

 字が俺の体を包み込み―その中に埋没させようとしているのが分かる。

 その中に居る限り。


 俺の作品もまた―ここで溺れかかっているのが見えて。

 何とか引き上げようとするのだけど、手は届かない。何故か。

 何時も俺の近くにあった作品なのに…こういう時には分離していて。

 それが滑稽で笑いがこみ上げてくる。


「へい。庄司くん」と俺のに割り込みたるは、かの女性。

「へい」と呑気のんきに応える俺は滑稽だ。

「少しは休みなよ、書くの」と棚を整理しながら言う渕上さん。

おれ?」と思わず言ってしまう。フリーターという曖昧な身分。書くのを止めたら名分めいぶんが無くなるじゃないか。

「君の価値は作品なの?」

「…と思わんでもない」

「そういうゼロサム思考はしんどいよ」

「とは言え。夢を掲げて自由人だ…」

「別にいいじゃんよ…夢なんて叶えないで」

「渕さんはドライよね」

「…降りてるからね。人生。ただ死ななきゃそれで偉いとは思ってるよ」

「俺はそこまで割り切れん。男だからかなあ」

「つまんないセクシャル論は嫌いだけど…まあそこは無くはないだろうね」

「名誉欲ってのもあるしな」

「私はひっそり作品を残せれば」

「ひっそりと、ねえ。この森の中で―埋没しそうだな」と俺は書架に収まる本達を見、

「その内誰かが見つけてくれるさ」と彼女は遠い目をして天井を見る。

「待てない男」

「待ち続ける女」


 俺達には―茫漠ぼうばくたるモノが間に横たわっているのだ。


                   ◆


 森は古来こらい境界であったという、人と神の。

 そこ住むは神の類な訳だけど。俺はそういう境地には至って居ない。

 一方でかのおんなは。

 何処か現実離れした雰囲気が彼女にはある。俗に塗れた俺とは良い対比。


「神は人を寄せ付けず」と俺は森で呟き。

「…またやってる」と彼女は書架でこたえる。

「…お恥ずかしいトコロを」と俺が言えば。

「…マジでってきたじゃんね」と彼女は呆れる。

「…書けねえ」と俺は懺悔ざんげする。この神に。

「書こうとするから」と神はのたまい。

「書かないという選択肢はないっ!!」と俺は叫ぶ。暇なのを良いことに。

「選択する勇気ってのはあると思うよ」

「勇気が出ねえ」と食い下がる俺。

「ないね」

「…これ以上支障ししょうが出るなら店長にチクって無理くり休ませるから」

「…それは止めて、食い扶持ぶちが」

「なら。仕事に集中してちょうだい」

「…スマン」


                   ◆



 冊子本コーデックスはなかなか燃やしにくい。

 圧縮されたページ間に酸素が入らないからである。

 そう、冊子本コーデックスの中は酸素が薄い。

 俺はその中に自分を埋没させたくて。

 今日も読まれることのない文章を書いて。

 精神の平衡を失って。

 こういう人生には『無価値』というレッテルを貼りたくなる欲求にかられ。

 それでも尚、心と体を削って書いて。

 意味のない文章を積み上げて。

 こうやって。俺は森の木の一部にさえなれず死んでいくのか?


 森の中の迷い子。それが俺だ。

 そんな俺に惹かれる人間なぞ居なくて。

 遠くに在る、を思いながら書いて。

「君は迷子なんだね」という言葉を待ち焦がれ。

「君が来たからそうでもない」という台詞を言い損ね。

 今日も森は静かに厳かに。人と神とを区切ってる―


「詩人だねえ」と声がすれば。

「口に出してたかい?」と僕は言う。

「出してたとも、迷子くん」

「うわ…そこ聞かれてたか」

「恥ずかしい事は言うな。そして―。ただの人だよ」と彼女は髪を撫でながら言い。

「いいや。僕に取っちゃ神ほど遠い存在さ」と目を付せながら言い。

「君は正直であるべきだね。態度には出すくせに言葉にはしないんだから」

「…シャイだと思うのよ」

「シャイは書店のバイト中に長広舌ちょうこうぜつの独りごと言わんて」

「…言えてんなあ。ああ。

「壊れてはない」

「それじゃあ?」

グリスが足りてないだけかもよ」

「油ねえ。生憎あいにく気分転換は全部試したよ」

「…?」

「いいのかい?」


                ◆


 今日も森は深閑としていて。

 そこに僕たちは迷い込む。

 道などない鬱蒼とした森林。止まった時を刻み込む冊子本コーデックスが林立し。

 そこに夢を見る僕たちは―今日も静かに書き続ける。


 でも、もう独りじゃない。

 神のような彼女が側に居るから。


                ◆


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『迷える森の庄司くんと神のような渕上さん』 小田舵木 @odakajiki

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