さがさないでください。おにぎりより
あき伽耶
第1話
『さがさないでください』
ボクは、あやちゃんの水色の折り紙に、赤いクレヨンで、そう書いた。
誰が書いたかわからないと困るなあと思って、ボクの名前もちゃんと書いた。
『おにぎりより』
***
ボクは、あやちゃんが生まれた時にこのおうちにやってきた、モチフワのおにぎりのぬいぐるみだ。ふっくらした白い三角形の体、お腹と背中には、黒くて四角いフェルトがぺったんとついている。お腹のフェルトの少し上には、刺繍された目と鼻と口もちょこんとついてるよ。そして三角形の体には、ちょっと短くて細いけど、巾着紐の手足だってちゃあんとついてるんだ。
あやちゃんが生まれた時から、ボクはずっと、いつもあやちゃんと一緒だった。もちろん寝る時だってそうさ。
そう、あやちゃんの枕の横は、ボクの指定席!
……だったのに。
今、ボクの指定席で気持ちよさそうに寝てるのは、昨日このおうちにやってきたばかりの、真っ白でモフモフなウサギのモピーだ。
あやちゃんのおばあちゃんが、モピーをプレゼントしたんだ。あやちゃんたら、とっても喜んでね、夜寝る時モピーと一緒に寝ちゃったの。ボクのことなんかすっかり忘れちゃってさ。
ボクはお布団のすぐそばで待ってたんだけど、あやちゃんたちがお布団にもぐったときの勢いで、こんころりんっ、て転がっちゃったの。おにぎりだから仕方ないんだけどさ。それで、畳の上で一人ぼっちになっちゃった。
畳って、ひんやりしていたよ。
ボク、いつもね、あやちゃんと一緒におでかけしてるとみんなに言われるの。
『あらぁ、おにぎり? 変わったぬいぐるみを抱っこしてるのねえ』って。
ボクって、変わっているのかな。
そうだよね。あやちゃんのお友だちは、たいていモフモフの動物ぬいぐるみを抱っこしてるもんね。
そのことを思い出したら、なんだか鼻がツーンとしてきたけど、お腹のフェルトが濡れちゃうから、ぐっと我慢したよ。
そうか、わかった。
あやちゃんは、変わってないモピーが良くなっちゃったんだ。
もうボクは、いらない子になっちゃったんだ。
きっと、そうなんだ。
「……だからボク、このおうちを出て行きます!」
そうしてボクは、『さがさないでください。おにぎりより』って書いた水色折り紙を、モピーと一緒にすうすう寝ているあやちゃんのそばに置いた。
窓を開けると、冷たい夜の風がびゅうびゅう吹いていた。
いつもあやちゃんと一緒にお出かけしていたボクだけど、初めて一人だけで、お外へ一歩、踏み出した!
だけどボクは知らなかったんだ。
あやちゃんのおうちが、坂道のてっぺんにあったということを!
坂道だとボクは立っていられない。だってボクは、おにぎりだもん。
おにぎりころりん、こんころりん!
おにぎりは、どうしたってころがっちゃう。
「わーん、一体ボク、どこに行っちゃうの~!?」
おにぎりころりん、こんころりん!
ボクの体は、止まれない。
坂道をこんころりんところがって、道端に落ちていた石にポーンとはじかれて……。
ボクは排水溝に落ちちゃって、やっと体は止まったよ。
大丈夫、ぜんぜん痛くなかったよ? だってボクはぬいぐるみだもんね。
「おやおや、あなたはだあれ?」
ボクに話しかけてくれたのは、赤ちゃんをたくさん抱っこした、引っ越し途中のネズミのお母さんだった。
「ボクは、おにぎり」
「おにぎりさん、あなたにお願いがあるの。赤ちゃんたちが眠るには、ここは背中が痛くって。どうかあなたのモチフワの体をかしてくれないかしら?」
ボクは喜んで引き受けた。
その夜、お母さんネズミと赤ちゃんたちは、ボクのお腹の上で眠ったよ。
「おにぎりさん、ありがとう。なんて気持ちの良いモチフワでしょう。おかげで赤ちゃんたちもぐっすり眠れたわ」
ボクは嬉しくなって、モチフワの体が温あったまっちゃった。
「えへへ、どういたしまして!」
お母さんネズミと赤ちゃんたちにお別れしたボクは、排水溝をころがった。
おにぎりころりん、こんころりん!
うんうん、だいぶ慣れてきた。
おにぎりころりん、こんころりん!
さあさあ、次はどこに着く?
ざっぶーん!
今度は川に飛び込んじゃった。
大丈夫、だってボクはぬいぐるみだもんね。
水の上にプカプカ浮いて、どんどん流れたよ。
「ねえねえ、君はだれ?」
ボクに話しかけてくれたのは、お空を飛んでるカモメさんだった。
「ボクは、おにぎり」
「おにぎりくん、君にお願いがある。海から飛んで来たら迷子になっちゃって。どうかそこで休ませてくれない?」
ボクは喜んで引き受けた。
その夜、カモメさんは、ボクのお腹の上で眠ったよ。
夜の間にプカプカ流れて、朝には海に着いちゃった。
「おにぎりくん、おかげで疲れが吹き飛んだよ!」
カモメさんはクンクン匂いを嗅いで辺りを見回した。
「潮の匂いだ、海についた! 君のおかげだ!」
ボクは誇らしくなって、三角体をそっくり返しちゃった。
「えへへ、どういたしまして!」
そうボクがお礼を言ったとき、とても大きいお魚が、カモメさん目がけて、大きな口を開いてジャンプした。
その歯には、ピカっと光るものがついてたよ。
カモメさんはびっくりして、慌てて空へ飛び上がる。
ボクは波にゆさぶられて、海をゆっくりころがった。
おにぎりこおろりいん、こんこおろりいん!
あわわわ、こんなの初めてだあ。
お魚は、カモメさんを食べようと、またまたジャンプした。
ボクは、おもわず叫んだよ。
「ボク、おにぎりだよ! おいしいよ?」
ボクの声を聞いて、とても大きいお魚は、こっちをぎろりと見た。
「おにぎりだって? そいつは御馳走だ、いっただっきまーす!」
ばっくん!
ボクは怖くなかったよ。だってボクはぬいぐるみだもんね。食べられることはないのさ。
それよりね、お魚の歯がモグモグ体に当たって、とってもくすぐたかったよ。
お空のカモメさんは、心配していたよ。
「ボク、ぬいぐるみだから大丈夫!」
それを聞いたお魚は、すぐにボクを吐き出した。
「ぺっぺっ、本物のおにぎりじゃないのか! …おや? おやおや? 取れた、取れたぞ!」
「お魚さん、どうしたの?」
「釣り糸がオレサマの歯に引っかかって、ずっと困ってたのだ。おまえのおかげで釣り糸が取れた。助かった、ありがとな!」
そんなつもりじゃなかったボクは、恥ずかしくって、三角頭のてっぺんを掻いちゃった。
「えへへ、どういたしまして!」
と、お礼を言ったとたん、ボクの背中に何かが引っ掛かって、海の上にビューンと持ち上げられちゃった!
「わーん、ボク、どうなっちゃうの~!?」
おにぎりころりん、こんころりん!
ボクは、船の甲板の上を転がった。
釣りのおじさんは、ボクを見て、びっくり仰天!
「魚じゃなくて、おにぎりが釣れたぞ!?」
隣のおじさんもびっくりして、ボクをのぞき込む。
「本当だ! これまた大きなおにぎりだ! ……あれ? おい、このおにぎり
『あやちゃんのおにぎり』じゃないか?」
今度はボクが、びっくり仰天!
「おじさん! どうしてあやちゃんの名前、知ってるの?」
「そりゃあ、おにぎり。今、みんなでおまえさんのことを探しているんだぞ?」
おじさんは、スマホのドウガを見せてくれた。
ドウガには、ボクが映って、あやちゃんがわんわん泣いていた。
『おにぎりー! どこいっちゃったのぉ!? あや、おにぎりが、おにぎりがいないとぉ……』
ドウガのあやちゃんは、真っ赤な顔で、涙をぽろぽろ流してた。
(……あやちゃん、すごい泣いてる、あやちゃん……)
ボクの鼻がツーンとした。
『帰ってきて~~!!……会いたいよお~~、おにぎりー!!!!』
気がつくと、ボクの小さい目から、大粒の涙が流れてた。
「うわーん!……あやちゃん、ボクも会いたいよ~~!!!!」
ボクは、ドウガのあやちゃんを見ながら、わんわん泣いた。
さがさないでくださいって、手紙を書いたけど。
おうちにいたくなかったけど。
でも今はボク、とっても帰りたい気持ちだよ。
「ボク、あやちゃんのところに帰りたい! でも、どうやって帰ったら……」
おじさんたちは、にっこり笑うと胸を叩いた。
「よし、おにぎり! おれたちに任せとけ!」
おじさんたちは、海の水で重くなったボクの体を絞ってくれた。それから港のクリーニング屋さんに連れて行ってくれた。
「わかったわ、任せて!」
クリーニング屋さんのおばさんは、ボクをいい匂いの石鹸で洗って、気持ち良い風で乾かしてくれた。
ボクはあやちゃんの家にいるときよりキレイになっちゃって、ちょっぴり困っていたら、おばさんがウインクして言った。
「あやちゃんに会うんだろ? おめかししなくちゃね」
それからおばさんは、宅急便屋さんに連れて行ってくれた。
宅急便屋さんのお兄さんは、段ボール箱に小さい風船をいっぱい並べたベッドを作って、ボクを優しく寝かせてくれた。
「俺に任せて! 明日の朝にはあやちゃんちだ、ゆっくりお休み」
それからお兄さんは、あやちゃんちの玄関まで連れて行ってくれた。
「ピンポーン! あやちゃんのおうちですか? おにぎりをお届けに来ました」
聞き覚えのある足音がドタドタと聞こえて、段ボール箱の天井がぱっと明るくなって。
――――そこには、あやちゃんの笑顔があった。
「おにぎり!!!」
「あやちゃん!!!」
おにぎりころりん、こんころりん!
ボクは、あやちゃんの腕の中へ飛び込んだ。
あやちゃんはボクをこれでもかっていうぐらい、ぎゅうっと抱っこしてくれた。
モピーも、ボクと一緒に抱っこされてたよ。
でも、ボクは不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
だって、ボク、なんだかモピーとも仲良くなりたかったんだ。
あやちゃんの目は涙でいっぱい。
モピーの目も涙でウルウル。
そしてボクもせっかくキレイになったけど、お腹のフェルトがたっぷり濡れちゃって。
……塩味濃いめのおにぎりになっちゃった。
ねえ、あやちゃん。
ボクはずっと、あやちゃんのおうちにいるからね。
だから、
『さがさないでください。おにぎりより』
さがさないでください。おにぎりより あき伽耶 @AkiKaya
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