今日から本社勤務です
伊藤ダリ男
第1話「今日から本社勤務です」
「あなたいつまで寝ているのよ」
「もう、すこし・・・」
「もうすこしと言って、これで三度目よ」
「疲れた~会社に行きたくないよ」
「何を言っているの?本社に配属になっての今日が、仕事第一日目でしょ?」
「ああ~そうだった。大変だ!!!」
「あなた、しっかりしてよね。熱い珈琲入れるから早くシャキッとしてくださいね」
「え~と」
「はい。新しいシャツとネクタイはちゃんと揃えてあるし、靴もピカピカよ」
「助かった。夢だったんだぁ~」
「え?」
秀人は、妻の明美が用意した朝食を食べながら、夢の話しをした。
「・・で、本社に着いたと思ったら、いきなりアンケートに記載を求められ、その内容は、犬が好きですか?はい/いいえ。猫は好きですか?はい/いいえ。他に・・・」
「笑える夢じゃないの?きっと良いことあるよ」
「そうかな?他に犬に咬まれたら?逃げる/闘う。猫に引っ掻かれたら、逃げる/闘う・・なんて言うのも、あったな」
「あはは。面白い~。きっと緊張しているのよ。今日は初日だもの」
「ああ~。なんか悪い予感がするよ」
「どうして?」
「だって俺、犬や猫は大嫌いなんだ」
「え!そうだったの?」
「嫌いを通り越して、毎日同じ夢にうなされるほど・・」
「毎日?同じ夢?」
「夢の中ホームセンターで迷子になる自分がいて、行きつく先がペットコーナー」
「うん。それで?」
「そこで知らないおばちゃんとおじちゃんが、ペットの事で大喧嘩しているんだ」
「と言う事は、秀人は、子供なの?」
「子供のような、大人のような。良く分からないけれど・・・」
「ふ~ん。それからどうなるの、その夢は?」
「俺が仲裁に入るんだ」
「じゃぁ子供じゃないわね。まさか仲裁に入るほど子供の頃の秀人は大人だったの?」
「いや。そんなことはない。そこで俺は、犬には犬の良さ、猫には猫の良さがある。自分が嫌いだからって他人の趣味を非難すべきではない、と夢の中でそう言うのだが・・・」
「へぇ~。随分変わっているね。その夢」
「で、そのおばちゃんとおじちゃんが和解するとそこへ拍手をしながら背の高いド派手な女性が現れて、是非わたしのペットを褒めて欲しいのよと今度は俺の手を引っ張りどこかへ連れて行こうとするのだよ」
「益々もって変だわ」
「お前もそう思うだろう?」
「いいえ。夢は皆変なものなの。でもね。それを毎日見続ける秀人がもっと変よ」
「そうかなぁ~」
「なんでもいいから、早く食べて」
秀人は、特に業績が優秀と言う訳ではなかったが、他人を一切非難せず、人を持ち上げるのも上手く、と言っても優柔不断でもないので、部下からも上司からも信頼されていた。そこが本社への栄転が決まった理由であると皆はそう考えていた。
「この度、本社勤務に配属になりました。川辺秀人と申します。今後諸先輩方からのご指導、ご鞭撻宜しくお願い申し上げます」
「あ~え~、川辺君」
「はい課長」
「あ~え~、早速だが、君に聞きたいことがあるが今良いかね?」
「はい。なんなりと」
「君は犬が好きかね?」
「え?」
「いやぁ。突然こんなことを聞いて驚かれるかもしれんが、部長が大の犬好きでね。その、何というか、部長の前では、決して犬のことは非難しないようにお願いしているのだよ」
「そうですか。びっくりしました。でも大丈夫です。正直言えば、犬は特に好きと言う訳では有りませんが犬好きの方を非難することはしませんし、尊重いたします」
「そう言ってくれると、助かるよ。実はね、ここだけの話しだが、君の配属の前にいた社員がね、部長の前で犬を馬鹿にしたせいで、一日目にして離島へ転勤だよ」
「え~。それは凄い話ですね」
「じゃぁ、これから君を部長のところに連れてゆくからね。くれぐれも頼むよ」
川辺は、課長に連れられそのままの部長の部屋をノックした。
「入りたまえ」
「はっ。部長。これが今日付けでわたしの部下に配属になりました、新人です」
「川辺秀人と申します。本日から会社の発展の為一命を奉げる覚悟で参りました。ご指導、ご鞭撻宜しくお願い申し上げます」
「まあ、川辺君とやら。そう硬くならなくて良いから・・・君は、猫をどう思うかね」
「猫ですか?あの~」
「そう。あのニャーニャーと鳴く猫は、どう思うかと聞いている」
「はい。猫は、特に好きでは有りませんが、猫を好きな方を非難するつもりは有りませんし、尊重いたします」
「なるほど。それが本心かどうか分からんが、良くできた答えだ。実はここだけの話しだが、専務が大の猫好きでね。そう言えばわかるだろう。専務は猫の前では子供になるが、君は大人になって接して欲しいと言うことだよ」
「私などは、まだ若輩者で大人になれるかどうか・・」
「そこだよ、君。その謙虚さが大人と言うのだよ。それに引き換え、あの専務は、やたら猫が好きでね。スーツに猫の毛が付いていることも度々で、気持ち悪いと言うか・・・」
「はぁ~?」
「いや、すまん。いきなり初めての新人君にこんなことを言っちゃぁ、本社のイメージが悪くなるな。まあ、特別に君を専務に引き合わせようじゃないか。その代わり例の件は、頼むよ」
と言う具合に川辺は、新人でありながら、課長から部長の部屋に挨拶に行き、今度は部長が専務の部屋のドアをノックした。
「どうぞ」
「専務この度、本社配属になった川辺が挨拶に参られました」
「川辺秀人と言います。本日より本社勤務を命じられました。粉骨砕身の気合で臨みます。今後ご指導、ご鞭撻どうぞ宜しくお願い申し上げます」
「で、君は、課長から部長に会う前に犬の事を聞かれなかったかね」
「ええー?」
「さぁ、どうなんだね。課長の顔色を伺っても、ここでは課長は無力だよ。さぁ、正直に言いなさい」
「はい確かに犬が好きかと聞かれました」
「で、君は何と答えた?ん?」
「はい。正直言えば、犬は特に好きと言う訳では有りませんが犬好きの方を非難することはしませんし、尊重いたしますと答えました」
「上手い!流石本社に抜擢されることはあるな。では二問目と行こう。で、部長からは、猫をどう思うのかねと聞かれなかったかね」
「はい。聞かれました」
「その聞かれた言葉をそのまま言ってくれないかい?」
「・・・・」
「・・・川辺君、部長の顔色伺ってみたところで、部長は、助けてくれないよ。ここでは部長は無力だ。さあ、正直に答えたまえ。さあどうした?それほど猫好きなわたしを罵倒したのか。言え。業務命令だ」
「正直、わたしは、猫も犬も好きかと言われれば、そうでもありませんが、人は色々いて面白いのだと思います。ですので、皆さんはペットを愛する人として仲良くして戴ければ、嬉しく思います。それを仲たがいさせるわけには行きませんので、部長が私におっしゃったことは、わたしの胸の中で既に結晶となり、その塊は、逆流して口から洩れることは有りません。ご期待に添えず、申し訳ございません」
川辺が、そう言うと拍手しながらド派手で背の高い女性が部屋にある扉を開けて川辺の前に出てきた。どこかで見たことのある女性。まさしく毎日夢の中で出てきたおばさんそっくりだ。
専務は椅子から立ち上がりその女性にこう述べた。
「社長、如何だったでしょうか?」
「合格よ」
「おお。川辺君良かったね」
「おめでとう、川辺君」
「課長も、部長も専務もどうなさったのですか?意味が分かりかねます」
「川辺君、驚いちゃいけないよ。実は、我が社の社長は、人の夢の中に入り込むことができる特別な能力をお持ちの方です。全国の支店の従業員に色々な夢を見せ、それに良い反応した人材のみ本社勤務の条件に適うのです」
「おっしゃる意味が、まだよく呑み込めませんが・・・」
「そうだろうとも。君は社長の秘書として合格したのだからな。新人で初合格とは羨ましいですな。専務」
「社長秘書?」
「川辺君、君は今日付けで社長秘書に大抜擢だ」
「ええ?本当ですか?」
「只今社長の一言で決定したのだよ。川辺君」
「ああ、わたしなんか、やっと社長と昼食をできる様になったばかり。本当に羨ましいよ」
「頑張ってね。川辺君」
「は、はい社長。夢のようです。ありがとうございます」
「川辺君。今日は、これから外部に社長秘書として挨拶回りをしてから、帰宅したまえ。明日からは君のデスクは、社長室の中に有る。いいね」
「はい。ありがとうございます」
川辺にとって夢のような一日であった。
初日で大抜擢とは、まだ実感も何もない川辺だった。
何もかも、あの夢を前もって見ておいたお陰で上手く対応できたのだと川辺は思った。
あいさつ回りの途中で明美に連絡し、事の仔細を知らせた。
明美は飛び跳ねて喜んだ。
マンションに帰ると明美がご馳走を用意してくれていた。
シャンペーンのコルクを飛ばし、上等のステーキを食べながら、川辺は得意になって今日の出来事を妻に話して聞かせた。
川辺は、アルコールに少し酔いがまわってくると明美にこう言った。
「お前にも今まで苦労を掛けたな。その分お返しとして何か買ってあげよう。欲しいものがあるかい」
「てへへ。そう来るだろうと思って、秀人には内緒のつもりでもう買っちゃったのよ。怒らない?」
「そうか、お前が喜んでくれれば、それで別に良いよ」
「本当?」
「ああ」
「じゃ言うけどさ、買ったのは、鰐皮のハンドバックに蛇皮の財布なのよ」
「ええ~爬虫類は、勘弁してよ」
「あれ?秀人は、爬虫類だめなの?」
「犬や猫だったらまだ我慢できるけれど、蛇、鰐、亀は絶対嫌だ」
「ごめん、ごめん、もう買っちゃった。てへへ」
その夜の秀人の夢に現れたのは、社長だった。
彼女は、社長椅子に腰かけ、秀人を誘うようにこう言った。
「さあ、川辺君。あなた、蛇が嫌いかしら?」
今日から本社勤務です 伊藤ダリ男 @Inachis10
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