4-12 一件落着(第一章 下拭き 完)

「これでよしっと。それにしても、この本に書くだけで規則を変えられるとか、怖すぎだろ。千年経っても守られるぐらい効果があるなんて、勇者って立場の重みを感じるよ」


 ユシャリーノは、勇者のみが書くことができ、決めたことを規則として制定してしまう『勇者の法典』にとあることを書き込んでいた。


 ――マルスロウ王国の国王に課せられていた婚姻不可を解禁し、婚姻を許可する。


 これまで書かれてきた文章を真似して、新たな規則を書き足した。

 その内容は、記されていたものの修正だった。

 ユシャリーノは、これまで勇者が行ってきた歴史をすべて知っている分厚い冊子に緊張していた。

 自分の思うような字が書けていないことを感じながらも書き切り、深く息を吐いて羽根ペンをペン立てに戻した。


「これで機嫌を直してもらえるといいんだけど……」


 ユシャリーノは、勇者の法典をくるりと半回転させると、王様に向けてズズっと押し出した。

 王様の代わりに秘書が引き寄せようとするが、重くてうまく引っ張ることができずによろけてしまう。


「俺がやるから」

「すみません」


 秘書は、申し訳なさそうに姿勢を戻した。

 立ち上がった王様は、秘書の背中に手を当てて謝る必要のないことを伝えると、勇者の法典を引き寄せた。


「見た目以上に重いな。ここまで分厚くする必要などないだろうに」


 不満を漏らしながら、王様はユシャリーノが書いた文面を確認した。

 眉間にできていた皺がゆっくりと消えて真顔になり、そして目が大きく開かれた。


「これで、解禁されたのか……」

「千年前のことだから、先代勇者がここまでしなければいけなかった理由までは正直わかりません。でも耳に挟んだ情報とはいえ、王様として重要なことを封じられていたってことは簡単に想像がつく。それで勇者の法典を書き換えさせるために、勇者が召喚されたんじゃないかな。細かいことはわからないけど、少しでも役に立ったら俺としても勇者の仕事ができたってことでうれしいです」


 ユシャリーノは、良い結果になる予感がしているのか、緊張が解けた表情を浮かべている。

 王様は、ちらりと秘書の顔を伺ってから、ユシャリーノに言葉を返した。


「ウシャリーノよ」

「ユシャリーノだってば」

「あ? ああ、ユシャリーノよ。お前の想像通り、この国の王は婚姻を禁止されてきた。それがどういうことかわかるか? 妻になるはずの者が王妃の地位に就くことができぬのだ。俺は王妃という立場は王からの贈り物だと思っている。大切な人へ、とっておきを贈ることができないなどというくだらない日々を過ごしているのは、なんとも醜くて心が荒むことなのだ」


 王様は、両手を握り締めて、こみ上げる気持ちを抑え込んでいた。

 今度は秘書が王様の背中に手をやり、気持ちを受け取ったことを伝える。

 秘書の手のおかげか、王様は落ち着きを取り戻していった。


「絶望が払拭されることなどないと思っていたが、あり得るのだな。これは王都の民にとっても大きな支えとなるであろう。ヌシャリーノよ」

「あのー、ユシャリーノなんだってば」

「相変わらず細かいやつだな。ユシャリーノよ、それでもお前には感謝しかない。よくやってくれた。礼を言う」


 王様は、おもむろに立ち上がると、ユシャリーノに向けて頭を下げた。


「お、王様!?」

「頭を下げるぐらいはさせてくれ。安心しろ、この一度だけだ。この先何があろうと二度としないからよく目に焼き付けておくといい」

「そこまで宣言されると腹が立つな。せっかくのお気持ちが台無しだ。まあ、でも……王様に頭を下げてもらうぐらいのことができたってのは、勇者としては最高の気分だし、大きな付加価値をもらったと思う」


 王様は、一瞬だけドヤ顔をしているユシャリーノを睨んだが、ドヤ顔を見て見ぬふりをしておけるほどの出来事の心地よさに包まれている今を噛みしめることにした。


「さて、これから忙しくなるな。早速、リラ・イアブル王国に伝令を走らせよう。セレとの婚姻を認めてもらうと同時に、同盟を組むようにな」


 ユシャリーノは、目の前で王様が、秘書の手を取って話しているのを見るなり大きな声を出した。


「なにっ!? 秘書さんと結婚するってこと!? 聞いてない聞いてない! いや、それなら法典を元に戻す!」


 取り乱すユシャリーノを、ミルトカルドが制止する。


「ユシャ、気付いていなかったの? どう見てもお二人の話でしょ」

「そりゃまあ、なんとなく怪しさは感じていたけどさ。でも、秘書さんは王様に弱みを握られているのかもしれないし、相手が王様だから拒否できないだけかもしれないだろ」

「ねえ、ユシャ……あなたは何が言いたいの? どうしたいの?」


 いつの間にかミルトカルドに袖をつままれているユシャリーノは、ミルトカルドに振り返った。


「何って、王様と秘書さんが……あれ? いけない理由はないのか。結婚できないから秘書にしていたんだっけ。なら、問題ないっちゃあないかな」

「そうでしょ、しっかりしてよね。ユシャが慌てることなんて一つもない。王様が誰とくっつこうが、ユシャには私がいるんだから」


 ミルトカルドは、ユシャリーノが自分から離れないように、つまんでいるユシャリーノの袖を引っ張って真横へと座らせた。

 王様は、ミルトカルドに落ち着かされているユシャリーノを確認してから口を開いた。


「これで俺たちはもちろんだが、王都の民の心も晴れることであろう。そうなれば国の繁栄にもつながっていく。そこでだ、早速旅に出てくれ」

「旅の準備はしているところだけど、どこに行けばいいのかがわからないんだってば」


 ユシャリーノは、問題を解決した余韻に浸っていたが、話を次の展開へ進める王様に、手を振って待ったを掛けるのが精いっぱいだった。


「今起こっているであろう悪事についての情報は、今のところ俺の耳には何も入っていない。勇者が召喚されたことで諸悪の根源は魔王だと思ってはいるものの、そもそも何が起きているのかわかっていないのだから確証がない。だからこそ、真相を探る旅をして欲しいのだ」


 王様は、これまでとは明らかに違う語気で話し、ユシャリーノに腕を下げたままで片手のひらを見せる。

 何もわかっていないことと、調査の依頼を示した仕草だった。

 ユシャリーノは、王都に訪れてから感じていた敵対的な雰囲気が、王様から消えていることに気付いた。


「それそれ! そういう指示が欲しかったんですよ。事情はわかりました。勇者ユシャリーノ、各地で何が起きているのか、もし問題が発生しているのなら速やかに解決をする旅に出ます。良い知らせが届くのをお待ちください」


 ユシャリーノは、握った片手の拳を胸に当てると、王様に頭を下げた。


「うむ、楽しみにしているぞ」


 勇者と王様が、ようやくそれらしい会話を交わした。

 それは、勇者ユシャリーノにとって初めての実績がもたらした成果である。


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 これにて、第一章 下拭き 完。


 ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。

 第二章以降は、別の新作を投稿しつつ、不定期に更新していくつもりです。

 今後とも変わらぬお付き合いのほど、なにとぞよろしくお願いいたします。

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先代勇者の尻ぬぐい 沢鴨ゆうま @calket

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