ポストカード

ハヤシダノリカズ

ポストカード

 一枚のポストカードが届いた。

 アパートの集合郵便受けからピザ屋のチラシを取ったその拍子に落ちたそれは、ひび割れたコンクリートの床の上で、鮮やかな色彩を放った。


 風景写真だ。どこだろう。綺麗な海が見えている。斜めに防波堤を見下ろすように撮られた写真。防波堤の上には……、ぬいぐるみ、か。一匹の犬のぬいぐるみがちょこんと座って海を眺めている。なんだこれ。何かの宣伝か? オレは拾ってその裏を見る。宛て先にはここの住所とオレの名が手書きで書いてある。達筆という程でもないが、癖の無い字だ。そして、他には何も書いてない。どこかの店の販促の為のカードという訳でもないようだ。もう一度写真の面を見返す。こちらにもメッセージは書かれていない。波の白の中に白い文字が書かれてるという事も、ない。消印は静岡となっている。静岡に知り合いなどいない。


 不気味さをまるで覚えなかったかと言えば嘘になる。が、それよりも不思議さが勝って、さらに言うなら、そのポストカードの写真をいいなと思ってしまった。だから、オレは捨てずにそれを部屋に持ち帰った。

 無味乾燥な貧乏学生生活の面白味も何もない部屋を、そのポストカードは花のように飾ってくれるように思えた。だから、とりあえず、クロス張りの壁に押しピンで留めた。色彩を感じさせる事のない講義日程やらバイトのシフトの写しなんかに混じって、ソイツはオレの部屋の壁に収まった。うん、悪くない。オレの部屋の中のそこだけがフルカラーで輝いている。


 それから数日経った日、また、ポストカードが届いた。今度はどこかの神社の狛犬の背に乗って、狛犬の肩越しにこちらを見つめている犬のぬいぐるみといった構図だ。うん。これもいい。あれから犬種を色々とググってみたら、どうやらこのぬいぐるみはビーグル犬モチーフらしい。垂れた耳がカワイイ。オレはまた、そのポストカードの両面を注意深く見たが、やはり何も書いていない。ただ、今度の消印は長野だった。そして、その一枚もオレの部屋の壁を飾る事になる。


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「なんか、いい事ありました? 嬉しそうですね」孝弘たかひろくんにそう指摘されて、オレはハッとする。糊口をしのぐ為の家庭教師のアルバイトの最中に、オレはそんな顔をしていたのか。

「う、嬉しそうだった?」少しばかり狼狽えて、オレは孝弘くんに言う。

「ええ。いつもつまんなそうにしてる先生が、なんか楽しそうなんで、彼女でも出来たかなーって」

「中学生が生意気なことを」オレは笑って孝弘くんを軽くこづく。

「生意気も何も、彼女が出来たらニヤニヤしちゃうじゃないですか。オレもそうだったし」

「え、孝弘くん、彼女いるの?」

「えぇ。まぁ。受験なんで別れましたけど」

「へ、へぇ。そうなんだー」仮にも先生と呼ばれる立場のオレが、彼女いない歴=イコール年齢だなんて言えない。ましてや謎のポストカードの事を思い出してニヤけていただなんて決して言う訳にはいかない。

 オレはお茶を濁して、先生業せんせいぎょうに身を入れる事にする。


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 壁を飾るポストカードは随分増えた。道の駅らしき所のベンチの上でたこ焼きの舟と並んで誇らしげに座っている犬のぬいぐるみの写真、戦国武将の銅像の足元に佇んで、それを見上げている犬のぬいぐるみの写真、山の中の巨木の根元に寄りかかるように眠っている(ように見える)犬のぬいぐるみの写真エトセトラエトセトラ……。

 それらの消印はいつもバラバラで、兵庫や高知、福井や和歌山というのもあった。そして、相変わらずメッセージらしいものは書かれて無かったが、いつしか写真の面の隅の方に崩した筆記体のアルファベットが付くようになった。【sophie】と書いてあるように見える。ソフィ、か。

 それから、オレはその犬のぬいぐるみの事をソフィと認識するようになった。朝、大学に向かう時も、帰って来てベッドになだれ込むその直前も、オレは壁のソフィに癒された。


「オマエはいいなぁ。自由に旅が出来て。それに、オマエにカメラを向けているその人間には目いっぱい愛されてるんだろうな。ホントにいいなぁ」オレはソフィに癒されると同時に、自分自身の満たされなさを自覚する。誰もいない部屋でボソッと本音が漏れてしまう。

 オレの自由ってなんだ。オレを愛してくれる人は誰だ。


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「おーい、正義まさよしぃ、いるかー」安普請の扉を乱暴にノックしながら、ノブをガチャガチャと回している。この声は、マコトだ。

「ハイハイ。いるよ。いるいる。今開けるー」オレは扉に向かい、簡素なロックを解除する。と、すぐさまマコトは部屋に入って来た。

「よぉ、久しぶりだな。相変わらず勉強ばかりしてるのか」ズカズカと上がり込みながら、マコトは言う。

「まぁな。昭和の苦学生の気持ちが理解できる令和の大学生はオレくらいのもんさ」苦笑しながらオレは言う。

「マジで勉強しかしてないのかよ。っかぁー!二度とない青春を勉強だけに費やしてなんの花実はなみが咲くもんかよ」

「ヘンな言い回ししやがって。今日はなんだよ。久しぶりに顔を見せたと思ったら、勉強批判をしに来たのか」

「あー。そうだな。久しぶりだな。ま、今日は飲まねえか?一杯付き合えよ!酒なら買ってきた」そう言うマコトは背中の大きめのリュックとは別に、沢山の缶とつまみが入ったコンビニのビニール袋を提げている。贅沢な事だ。

「……、分かった。飲もう。飲もうじゃないか」オレはさっきまで座卓に向かって読んでいた専門書の内容を一瞬だけ思い返して、今日は勉強を切り上げる事にした。

「流石は我が親友。そう言ってくれると思ったぜ」

「親友ってオマエ、オレ達は知り合ってまだ二年とちょっとしか経ってない」

「親友ってのは時間じゃない。ハートの距離だよ、マ、サ、ヨ、シ!」

「なんだよ、それ。気持ちわりぃな」いつも一方的に距離を詰めてくるのはマコトの方じゃないかという言葉を飲み込んで、オレは苦笑いを浮かべる。


 酔いに任せてくだらない事を喋りあった。オレの知らない大学内の有名美女の噂話、オレの知らない芸能人の醜聞、マコトのバイト先でのアレコレ、オレの知らない政治家の思想や実態……。なんだこれ、オレって、知らない事だらけだな。まぁ、マコトのバイト先の事なんてどうでもいいけど。

「ホント、正義って、知らない事だらけだな。勉強ばかりしてるからそうなるんだよ」オレの心を見透かしたかのようにマコトは言う。

「美女の噂も芸能人の醜聞も知らなくてもいい事だ。それにマコトのバイト先の事なんてこれっぽっちも知る必要がない」憮然としてオレは言う。

「ハハハ。そりゃそうだ。でもさ……」そう言ってマコトが見上げた先にはポストカードがある。「世界の広がりは本を読むだけでは知るに足りない」マコトはそう言いながら、傍らに置いていたリュックを開けて中から何かを取り出そうとする。


「ソフィ!」リュックの中から顔を出したそれに、思わずオレは大きな声を上げた。

「ソフィ?」マコトが怪訝な顔でオレを見る。両手で大切に抱えたソフィの顔をオレに向けながら。

「コイツはわんぞー。オレの相棒だ。で、なんだよ、ソフィって」マコトはソフィ改めわんぞーを……、いや、まだオレの中ではこいつはソフィなんだ。マコトはソフィを揺らしながら聞いて来た。

「あ、いや、謎のポストカードが届く様になってさ。オレはそのポストカードが気に入ったんだが、そこには何の情報も書いてなくて……。情報らしい情報と言えば、消印と、写真の隅に添えられるようになったソフィって読めるサインだったから、オレはソイツをソフィと……」しどろもどろでオレは答える。

「だーっはっは。そうか、ソフィと読めてしまったかー!崩し過ぎたかー。ソフィじゃなくて、祖父江、祖父江だよ!」マコトは自分の苗字を連呼する。

「え、そふえ?」オレはマコトを見る。そして、その手元のソフィを見る。そして、壁に貼ってある写真を見る。「マジで?」思わずマヌケな声が出る。

「なんだよ。オレからの写真を偉く気に入ってくれてんだなーと喜んでいたんだが、オレからのものだとはまるで気が付いていなかったのかよ」マコトはそう言って笑う。

「そうだったのか。でも、なんでこんな事を?」

「あぁ。なんか、スマン。驚かせてしまったようで。いや、正義はオレの親友だからな。オレがイイと思ってるものを、勧めたいんだよ」

「ソフィ……、いや、わんぞーと、そして、いろんな風景を、か?」

「それもそうだが、バイク、だよ。オレは週末にはわんぞーを連れてバイクで旅に出かけて、旅先で写真を撮って、帰宅したらそれをポストカードにして、そして、次の週末の旅先や旅の途中のポストにそれを投函してた。へへへ。正義、オマエをツーリングに誘う為にな」

 あっけにとられて、オレはポカンとマコトの顔を見つめてしまう。

「バイクはいいぞ。夏は暑いし冬は寒いし、雨に打たれたら心底情けない気持ちになる。快適からは程遠いし、不安定で簡単にこけてしまう。……、でも、気軽で、自由だ」

「なんだよそれ。ろくなもんじゃないじゃないか。とても勧めてるようには聞こえない」そう言うオレの心は今、バイクにかなり惹かれてる。

「嘘をついて勧めるのはサイアクじゃん。オレはホントウの事を言って、正義、オマエをバイク乗りにしたい。そして、一緒に旅しようぜ」マコトはわざと嘘くさい口調でオレに言う。

「オマエは将来スゴイ営業マンになれるよ」マコトの戦略にまんまとハマったオレを自覚して、素直に称賛の言葉をかける。

「おいおい、オレの将来を勝手に決めるなよ。オレは営業マンなんかにはならねえ」

「そうか。スマンスマン。じゃあ、マコト、オマエは何になりたいんだよ」

「オレはな、ウェディングプランナーになるんだ。サイコーの結婚式を沢山プロデュースするんだ。それが、オレの、夢だ」酔いも手伝っているのか、キラキラした目でマコトは言った。


 そうか、ウェディングプランナーか。なるほど、営業マンよりずっとマコトが輝けそうな仕事だな。

 壁に貼られているわんぞーの写真を眺めながら、オレはそう思った。


 知らない世界にひょいと行けるのがバイクなのだとしたら、それは今のオレに一番必要なものかも知れない。


 親友のリュックの開いたままの口からは、教習所のパンフレットが覗いてる。

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