ぬいぐるみの奥様
にゃべ♪
もう一度妻に会いたい
愛する妻のエマが死んだ。流行病であっさりと亡くなってしまった。今朝は笑顔で送り出してくれたのに……。もう動かない身体がベッドに横たわっている。触れても体温も感じられない。
この圧倒的な現実が酷く私を後悔させる。何故手を尽くさなかった……。何故この結果を変えられなかったのかと――。
だからすぐに準備を始める。こうなる可能性も考えていたからだ。冷たくなった彼女を抱いて儀式部屋に移動する。床に広げたシートには特殊な魔法陣。そこにゆっくりとエマを寝かせた。
魔法陣の周りにろうそくを並べて火をつける。寝かせた彼女の傍らにはぬいぐるみを置いた。彼女が作ったオリジナルの、一番大事にしていたぬいぐるみ。それが触媒になる。
今から私は禁忌を行う。許されざる魔法。死者蘇生の呪法。司祭が行う聖なる祈りによるものではない。死神を呼び出して、強引に死者を甦らせる黒の禁呪。正直、私のような中級の魔法使いでは上手く使いこなせないだろう。失敗したら死ぬかも知れない。
それでも、私の代わりにエマが蘇るならそれでいい。私のような下らない人間より何倍も。
全ての準備が整い、私は念を込めながら呪文を唱える。死神に呼びかけ、死神を従わせる呪文だ。一言も間違ってはならない。全ては正確に呪文を唱えられるかどうかにかかっている。一言発する度に体力が著しく消耗していく。これに耐えねば、耐え切らねば死者は蘇らない。
どうにか持ってくれ。せめてこの呪文の詠唱が終わるまでは――。
少しずつ部屋の空気が変わっていく。死神が魂と体を繋ぐ霊線を持って現れる。後少し、後少しだ。最後の詰めの呪文を唱えていたところで、私の記憶は途絶えた。
「ちょっと、こんなところで寝ちゃダメでしょ!」
愛しい人の声が聞こえる。どうやら禁呪は成功したらしい。優しく体を揺らされて私はまぶたを上げる。その声の聞こえてくる方に顔を動かした。
「何だ? 何で?」
「どうしたの? 何かおかしい?」
私は目を疑った。妻の声を発していたのが彼女自身ではなく、触媒に使っていたぬいぐるみの方だったからだ。私はすぐに起き上がって状況を確認する。
魔法陣の周りに置いたろうそくは全て消え、魔法陣自体もほぼ消えている。禁呪自体はちゃんと発動していたようだ。本来は蘇生と引き換えに消滅するはずのぬいぐるみが動いているところから、エマの魂はぬいぐるみの方に宿ったのだろう。とんでもない失敗だ。
「何落ち込んでるのよ。あなたが私を呼び戻したんでしょ。しっかりしてよ」
「でも、君の身体に戻すはずだったんだ。これじゃあ……」
「あら。私は嬉しいわよ? だってまた旦那様と一緒にいられるんですもの」
人形はドヤ顔でふんぞり返る。魂が宿った事で、多彩な表情を浮かべられるようになっていた。魂の戻し先を間違えた事で、代わりに彼女の亡骸は持って行かれた。もうエマは元の身体には戻れない。
「ほら、私ミーヤになったのよ。世界初の生きているぬいぐるみ。最高じゃない!」
ミーヤとはエマの今の体になったぬいぐるみの名前だ。イタズラ好きな妖精がモチーフで、とても可愛らしい。でもどうしてそんなに君は明るく振る舞える? 何故失敗した私を罵らない? 何故現実をすぐに受け入れられるんだ。
そうだ、それが君だった。私の愛したエマ。確かに、私の目の前にいる。生き返った事に変わりはない。どんな形であれ――。
彼女は私を励まし、その笑顔に救われる。それから、私達の新しい生活が始まった。ぬいぐるみに宿ったエマに出来る事は少ない。最初は朝起こす事と、会話の相手、それと、出迎えと見送る事が出来るくらいだった。私はそれだけでも満足していた。
けれど彼女は研鑽を積み、他の家事、掃除や洗濯、料理なども出来るようになっていった。生前は飛び級で上級魔道士になった天才の彼女は、ぬいぐるみの状態で魔法を使えるようにまでなった。
魔法さえ使えれば、身体のハンデはないも同然。エマは鼻歌を歌いながら軽々と家事をこなし、空いた時間に趣味の魔法研究も再開する。生き生きと動き回る彼女を見るのは微笑ましくて、ずっとその動きを目で追う事も多くなって行った。
「ごめんね、こんな体だから子供作れなくて」
「なっ、いいんだよそれは! 君がいてくれるだけで」
「ふふ、有難う。やさしい旦那様」
エマはそう言って笑う。何も変わらない。ただ彼女の体がぬいぐるみに変わっただけだ。魔法が使えるので、不便な事は何ひとつないらしい。汗をかかないから手入れも楽だし、お風呂に入らなくていいと明るく笑う。小さいから細かなところにも目が行き届いて掃除も楽しいみたいだ。食事の必要もなくなって、ダイエットしなくて良くなったと言うのも嬉しいらしい。
元は私の失敗が招いた事なのに、彼女はいつもそうやって日常を楽しいイベントに変えてしまう天才でもあった。
家では一人ぼっちの彼女のために、私達は出来るだけ一緒に過ごした。それが私の贖罪になると信じていた。一緒に家事をして、一緒にゲームをして、一緒に研究をして。幸せだった。キラキラした日々がこれからも続いて行きそうな気がしていた。
それは少しずつ私達の世界を侵食していく。最初は些細な事だった。食器が欠けたり、歩いていて転びそうになったり、飾っていた絵が突然落ちたり。
軽度のポルターガイスト現象だと思った私は、すぐに対策をする。魔除けの植物を置き、塩やクリスタルで場を清める。他にも出来る事は全て行った。
けれど、我が家を襲う小さな不幸は止まらない。それどころか、少しずつ頻度や規模がエスカレートしていった。浄化アイテムも次々に壊れていく。もう専門家の手を借りるしかないと、友人のツテを頼って家に来てもらった。
彼は我が家を見るなり顔を横に振る。私はゴクリとつばを飲み込んだ。
「もう手遅れですね。家が呪われているので引っ越しをするしかない」
「えっ」
そんな事になってしまっていただなんて寝耳に水だ。呪いにはいつも気を付けていたはずで、にわかには信じられない。私は専門家の顔をじいっと見つめて、更に詳しく話を聞いた。
「この家の物は全て処分した方がいい。特にぬいぐるみ。あれはしっかり焼却して、灰を山に埋めるか海に流すしかないでしょう」
「そんな事が出来るかーっ!」
まるでエマが呪いを呼んでいるみたいなその言い草に腹が立った私は、専門家を追い返した。それで運気が戻っても、エマのいない生活の方が地獄だ。
専門家が見ている間、じっと動かずにぬいぐるみの振りをしていた彼女は悲しそうな表情を浮かべて私の側に寄ってきた。
「話、聞いたよ。私が本当は死者だから不幸を呼んでるのね」
「違うよ。そりゃあもしかしたらそうかも知れない。けど、もう君を失いたくない。エマ、君がいて生じる不幸なら全てを受け入れるよ」
「でもこのままだとラクス、あなたは死んでしまうわ! そうなる前に私を処分して! 今ならまだ……」
エマは上級魔道士なだけあって、さっきの専門家の言葉だけでこの状況を放置したらどうなるのかが分かってしまったようだ。愛する妻の言葉とは言え、今度ばかりはその願いは聞き入れられない。
私は、ぬいぐるみの小さな両肩を優しく押さえる。
「君は君のままでいて欲しい。大丈夫、解決策を何としても考えるよ」
「あなた……」
エマの前ではそう強がったものの、専門家がさじを投げた状況を何とか出来る方法なんてすぐに思いつけるはずがなかった。天才の彼女ですら自分を処分する選択肢しか導き出せなかったのだ。
私はない知恵を絞って解決策を考え続ける。最悪の事態が起こる前に導き出さねば。
しかし、私達がどうにかする前に、その最悪が起こってしまう。我が家に充満していた不幸の種、マイナスオーラが邪悪な悪霊の姿になって私に襲いかかってきたのだ。
この手の攻撃に有効な魔法を今の私は使えない。だから逃げるしかなかった。
「うわあああ!」
空間が歪んで、私は家から出られなくなってしまう。一生懸命に逃げるものの、走り疲れたところでお約束のように派手にすっ転んだ。
「ふごっ!」
この隙を狙って悪霊が襲いかかってきたところで、それを遮るかのようにエマが私の前に立つ。
「やらせないから! 私の旦那様はっ!」
流石の悪霊も、自分の発生源の彼女には手が出せないらしい。献身的な妻の勇気に救われた私は、杖を持って立ち上がる。
「ラクス? あの悪霊に魔法は通じない。早く逃げて!」
「いや、対抗手段はあるんだ。今覚悟を決めたよ」
私は杖を掲げて呪文を唱えた。魔法の光は部屋を満たし、やる気満々だった悪霊はその姿を溶かしていく。そうして、彼女が原因の負のオーラはかき消された。
魔法の発動が終わると、バタンと杖が床に落ちる。光が消えた時、エマは目の前の光景に言葉を失った。
「ラクス……? どうして?」
「ああ、いいんだ。これで」
彼女が驚いたのも当然だ。私もぬいぐるみになったのだから。不運の原因は死者を蘇らせたせいだ。だったら生者も同じ状態になればいい。私が生きたまま自分の体を捨てた事で陰陽のバランスは整い、必然的に悪霊は消えたと言う訳だ。
「あなたまでぬいぐるみにならなくても良かったのに」
「いや。エマ、君がぬいぐるみになった時に私もすぐにこうなるべきだったんだよ。遅くなってごめん」
私が自分の体に選んだぬいぐるみは、エマが生前に作っていたミーヤの恋人ラウル。これ以上ぴったりなものはないだろう。
ぬいぐるみ夫婦になった私達は、これからも絆を深めていく。きっとどんな困難も、2人でなら乗り越えていけるはずだ。
ぬいぐるみの奥様 にゃべ♪ @nyabech2016
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