抱かれたいぬいぐるみ

タカテン

抱いてやれ、もっと強く

 人間、誰しも捨てられないものがある。

 例えば青春時代に貰ったラブレター、例えば父の日に子供が描いてくれた似顔絵、例えば初めてのデートで見た映画のチケット……。

 そして被根鳥泰三ひねとり・たいぞうの場合、それは子供の頃に両親が買ってくれたテディベアのぬいぐるみだった。


 これまでの泰三の人生の中で、捨てようと思えば捨てることの出来るタイミングは幾つもあった。

 大学に進学して一人暮らしを始めた時に捨てても良かったし、就職して引っ越しする際に捨てても良かった。

 が、何故か童貞と同じく捨てられずにここまで来てしまった。

 

 かくして就職して三年目、20代半ばの泰三がひとり暮らしする部屋の片隅にぬいぐるみは今も飾られてあるのだが、久しぶりに早く帰宅してみたら……。

 

 あろうことかそのテディベアのぬいぐるみが、真っ裸の見知らぬ男とベッドで横になっていた!

 

「あ、あなた! 今日も会議で遅くなるんじゃなかったの!」

「おい、気持ち悪い声でアテレコするな! それよりお前一体誰だ!? 俺の部屋で何をしている!?」


 思わぬ展開に思わず目が点になった泰三だったが、男のふざけた行動で我に返ってすかさず怒鳴った。

 が、男はまるで意に介した様子もなく、ゆっくり身体を起き上がらせると「あんたがこの子の旦那さんかい?」と、ちょっと山本耕史っぽい声で尋ね返してくる。

 

「誰が旦那さんだ! てか警察を呼ぶぞ!」

「おいおい、ちょっと待ってくれ。動揺するのは分かるが、少しは落ち着け。人間とぬいぐるみ、こうなることはよくあることだろ?」

「ねぇよ! 帰宅したらぬいぐるみが見知らぬ男に寝取られていたなんてことがよくあってたまるかっ!」

「ふん、すっかり被害者面か。でもよぉ旦那さん、元を辿ればあんただって悪いんだぜ?」

「は? 一体俺のどこが悪いって言うんだ?」

「あんた、最近仕事にかまけすぎてすっかり彼女のことを忘れてたろ? 彼女、寂しそうにしてたぜ?」

「彼女って、そもそもそいつはぬいぐるみで……」

「おいおい、忘れたのかい? あんたが学生の頃、彼女を好きな女の子に見立てて何度も告白の練習をしたじゃねぇか?」


 どうしてそれを!? と驚愕する泰三に男は「くくっ」と笑うとテディベアを抱き寄せて、その毛並みを愛おしそうに撫でる。

 心なしかテディベアの表情がうっとりとしているように泰三には見えた。

 

「そんな彼女をただのぬいぐるみ扱いするとは……旦那さん、あんた酷い男だねぇ」

「くっ。だが、それとこれとは話が」

「いや、一緒だよ。あんた、かつては彼女とおやすみのキスをして一緒に寝ていたのに、最近はとんとご無沙汰だったみたいだな。だったらいっそのこと別れてやればいいものを彼女を拘束し続け、それでいて部屋に戻ってきても彼女に一言もかけてやらない。独り言で上司の愚痴を言う口はあっても、彼女と話す口は持ってないらしい」

「そ、それは……」

「そんな扱いなんだ、もちろん一緒に寝てやることも、抱きしめてやることもない。そりゃあ彼女が寂しくなって間違いを犯すのも当然だと俺は思うがね」

「…………」


 泰三は思わず黙り込んでしまった。

 もちろん「こいつ、ちんちん丸出しで何言ってんだ?」と思ってはいる。だが同時にひどく反省させられてもいた。


 男の言う通り、泰三は長くテディベアのことを忘れていた。

 子供の頃はどこに行くにも抱いて持っていき、寝る時は布団の中でその身体を抱きしめて一緒に寝たのに。

 悩み事をテディベアへ話しかけると何故か頭がすっきりした青春時代を過ごしたのに。

 もうさすがに卒業しようと思っても、結局捨てることが出来なかったくせに。


 なのに何故か、泰三はこの大切なパートナーのことをいつの間にかすっかり忘れてしまっていた。

こんな重要なことをすっかり忘れていたなんて。しかもそのことに寝取られることで気が付くなんて。

ああ、出来れば再びテディとの仲を修復したい。だが、こうなってしまってはもう……


 

「そらよ」


 その時だ。

不意に男がテディベアを泰三に投げ寄こしてきた。

 突然のことなので少し慌てたが、泰三は無事テディベアを受け止めて、その身体を久しぶりに力強く抱きしめた。

 かつてはお日様の匂いがしたものだが、久しぶりに嗅いだ身体はどこか埃っぽい匂いがした。毛並みも随分と乱れてしまっている。

 

「ふっ。どうやら彼女は俺よりもまだあんたの方が好きらしいぜ?」

「あ、ああああああ……」

「もう一度やり直すつもりで可愛がってやりなよ、旦那。いいかい、ぬいぐるみってのはな、いつだってご主人様に抱いて欲しい、声をかけて欲しいと思っているものさ。シャイだから自分からは言えないがね」


 いつの間にか服を着た男が泰三の前に立って、その肩をぽんぽんと叩く。

 

「だから今夜は抱いてやれ。ぎゅっと。力強く。空いちまった心の空白を埋めてやるんだ」

「……はい」


 泰三は力強く頷いた。

 その様子に男は山本耕史のようにニヤリと笑みを浮かべると、どっこいしょと風呂敷荷物を背中に抱えてベランダから部屋を出て行く。

 

「やっぱり泥棒なんじゃねぇか!」


 かくして山本耕史似の変態泥棒はこの大ピンチを見事に逃げ切ったのであった。

 盗んだのは泰三が独身なのをいいことに給料のほとんどをつぎ込んで買い漁ったプレミア美少女フィギュアと、そしてとても残念なことであるが、きっと誰もがあっと驚いたであろう今作の奇抜なオチである。

 

 いやー、ホント残念無念。でも盗まれちゃったんだから仕方ないよね。

 おわり。

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