中の人になりたくて

陽澄すずめ

中の人になりたくて

 俺には夢がある。ヒーローになる夢だ。

 ライダーとか戦隊とか、そういうやつ。

 小さい頃は悪と戦う正義の味方そのものに憧れていた。

 でも、そのうちに俺は知った。世の中にはスーツアクターという職業があることを。ヒーロースーツを纏って、危険を伴う激しいアクションを行う俳優のことだ。いわゆる中の人。

 顔出しするキャストはシリーズごとに交替しても、スーツアクターならばずっとヒーローでいられる。

 だから俺は、ヒーローの中の人になりたいと思った。


 はずなんだけど。


「うりゃあ! これでもくらえッ!」


 目の前にいるのは五歳くらいのガキんちょ。

 ちっこい手足とちっこいリュックをめちゃくちゃ振り回しながら、俺のことをボコボコ叩いている。


 ここは遊園地。

 俺が着ているのは、このバニバニランドのキャラクター・バニ夫のぬいぐるみだ。


 俺は今、アクション俳優の養成所に通っている。経験を積むために遊園地などのヒーローショーのバイトをしているが、ほとんど悪役、良くてヒーローの脇役ばかりだ。

 新人時代はこんなものかと思っていたが、時が経つうちに後輩にもあっさり抜かされていく。

 俺の動きには、思い切りが足らないんだそうだ。

 イベントのショーですら後輩演じるレッドの戦士の陰に隠れてしまう俺は、どんどん卑屈になっていった。

 向いてないのかも。

 ステージに立つことにも嫌気が差し、もっと楽して稼げる着ぐるみアクターのバイトに甘んじた。


 が。


「見たかッ! ブタ怪人めッ!」


 いやブタじゃねえし。ウサギだし。


「還元率は〜〜百パーセントゥッッ!」


 あーそれ知ってる。今ニチアサでやってる戦隊の決めゼリフね。しかし何もキックと共に繰り出さんでも。


 どう攻撃されてもこの分厚いぬいぐるみの中じゃ大して痛くもないが、正直ちょっとイラッとするのは否めない。

 なぜ、俺がこんな目に。

 本当なら、むしろ子供たちから熱い声援を受ける側になるはずだったのに。


 ぶっちゃけ着ぐるみのバイトを舐めていた。

 中はサウナ状態でめちゃくちゃ熱いし、水分補給もままならない。

 想像以上に身動きが取りづらく、クソガキどもにはボコスカ殴られ放題。

 つらい。しんどい。俺の人権どこいった。


 そして結局、俺はここでも怪人役なのか。


「あっくん! 何してるの! カンゲンジャーショー始まるよ!」

「ママ!」


 お母さんが呼びに来て、俺はようやくガキんちょから解放された。

 ベビーカーを引いたお母さんは、「どうも、すみません」とペコペコ頭を下げてくる。

 いや、大丈夫ですよ。慣れてますんで。えぇ。


 カンゲンジャーショーへ向かう母子連れを見送って、俺はひっそりため息をついた。

 もう辞めようかな、いろいろと。


 と、それも束の間のこと。

 さっきのガキんちょが、なぜか走って戻ってきた。

 おっ! まだやんのかこの野郎! かかってこいや!と一応身構えたのだが。


「イェー! さかみちー! ビューン!」


 ガキんちょはUターンして手前にあるショップ入り口のスロープを駆け上った。

 あぁ、うん、なぜか好きだよね坂道、子供って。


「あっくん! もう行くよ!」


 お母さんの言うことなんか、もちろん聞くはずもない。あろうことか、スロープの手摺りをよじ登り始めるではないか。


「あっ! こら!」


 身軽なちびっこはいとも簡単に手摺りの上へ。

 心許ない足場も何のその。男の子は細い銀の棒の上ですっくと立ち上がる。

 が、次の瞬間。

 小さな身体が、ぐらりと傾いだ。


「あっくん!」


 叫ぶお母さん。手にはベビーカー。

 考えるより先に、俺は駆け出していた。

 一歩、二歩。バニ夫のギリギリ限界のストライド。あぁくそ、間に合わない。

 俺は思い切り地を蹴り、目一杯両腕を伸ばして跳んだ。


 ズザザァァァ……と、バニ夫のガワが地面で擦れる感触。

 同時に、子供がぼすんと俺の上で弾む感触。


 気付けばあっくんは、うつ伏せとなった俺の隣に茫然と座り込んでいた。

 怪我はなさそうだ。俺は落ちていた小さなリュックを拾い、背負わせてやった。


「あっくん! 良かった! すいません、どうもありがとうございます。助かりました」


 ほぼ涙声のお母さんに、何度も何度も頭を下げられる。

 いやいや、もうカンゲンジャーショー始まりますんで。

 バニ夫として声を出すわけにはいかない俺は、ジェスチャーで促す。

 そうしてやっと母子を見送ると、どっと疲労が襲ってきた。


 その後も散々だった。

 バニ夫の前面はあちこち汚れ、トレードマークのオーバーオールも擦り傷だらけ。

 雇用主からネチネチ嫌味を言われ、トドメのように吐き捨てられる。


「補修代、給料から天引きしとくから。もう閉園まであと少しだし、今日はそのまま出て」

「……うす」


 控え室の鏡には、着ぐるみ姿で頭だけ取った、情けない俺の姿が映っていた。


 俺は惰性で残りの数時間を過ごした。

 もう辞めよう。本当に。

 ボロボロになった惨めなバニ夫の内側で、苦しい想いがぐるぐる渦を巻く。

 俺はヒーローなんかになれない。

 何もかも辞めて、別の道を探そう。


『バニバニランドは午後六時をもって閉園いたします』


 園内に響くアナウンスを、ぼんやりした頭で聞いていた、その時だった。


「あー! ブタ怪人だ!」


 甲高い声に顔を向ければ、さっきの母子連れがそこにいた。

 何だよ、まだ怪人なのか。ブタじゃねえし。ウサギだし。


「ばいばーい!」


 あっくんと呼ばれていたその男の子が、小さな両手を振り始めた。それはもう一生懸命に。

 背中にあるリュックには、バニ夫のぬいぐるみキーホルダーがぶら下がっている。確か、さっきはそんなもの付いてなかったはず——


「ブタ怪人ばいばーい! またねー!」


 俺はぼうっとしたまま手を振り返した。

 お母さんに連れられたあっくんは、見えなくなるまで何度も何度も俺に手を振り続けてくれた。


 ゲートが閉まる。夜の帳が下りる。


 あの子にとって、俺は『ブタ怪人』だった。

 でも、今日一日この遊園地で、怪我することなく楽しく過ごせた。

 それで良かった。良かったんだ。


 可愛らしい声が、今も耳に残っている。


『ブタ怪人ばいばーい! またねー!』


 またね、か。


 バニ夫の頭部の内側が、なぜだかひどく湿っていた。



—了—

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