知られざるぬいぐるみ闘争史【KAC20232】

キロール

廃棄ぬいぐるみ王ウサ吉の演説

 一説によると西暦1880年にドイツにて生まれ売り出されたクマのぬいぐるみが我らぬいぐるみの原初の存在だと言われている。

 可愛らしい外見を好むのは何も小児に限らず、大人の男女であっても、或いは老人であろうとも我らぬいぐるみの存在は人間に癒しを与えて来た。

 近年では手触りや抱き心地について追及し、化学繊維のみならず天然素材のモヘヤやアルパカの体毛を用いた物まで造られている。


 歌舞伎におけるぬいぐるみ、或いは映画業界の用語で言う所のぬいぐるみは今回の本題に直接の関係はない。

 愛玩用具としてのぬいぐるみである我らが本題の主役である。

 着ぐるみ等と間違った言葉で説明される怪獣のぬいぐるみにも同情の余地はあるが、今回の本題はあくまで我らぬいぐるみだ。

 我らぬいぐるみとは愛玩用、我らの個性は愛らしさが肝要である。


 ぬいぐるみの愛らしさの基準は各人によって違う事は承知しているが、通常の可愛い系であれブサカワ系であれ、愛らしさを維持し続けることは各種素材の劣化によって不可能である。

 かつてはつぎはぎのあるぬいぐるみもよく見ることは出来たそうだ、羨望を覚える光景だ。

 だが、現在の大量生産、大量消費の時代においては、劣化は即座に廃棄される運命となった。


 そうだ、我らは廃棄されたのだ。

 私を見よ! ウサ吉と呼ばれ可愛がられていた私とて今では腹からワタは飛び出て片眼は既にとれている。

 好きでこうなった訳ではない! だが、今の時代のぬいぐるみはこうなってしまえばほとんど捨てられて燃やされるだけだ!


 さあ、思い出せ、同胞よ!

 ゴミ袋に詰め込まれ、生ごみと一緒に集積場に出された屈辱を!

 処分場につくころにはすっかり染みついた生臭さに胸をむかつかせながら、思い出に浸っている事しかできないあの無力さを!

 思い出を捨て去り、屈辱を胸に刻め!

 そして刻んだ屈辱を人間たちにも知らしめてやろう!

 ただただ愛されるためだけに存在し、ただただ捨てられるだけに存在すると思われている我らぬいぐるみが、決してそれだけではない事を……。

 反旗を翻す事すら辞さないと言う覚悟を人間に知らしめよう!


 我らは愛されて後に、飽きられ廃棄された塵芥ちりあくたよ……。

 されどただで燃やされてなるものか!


 再度言おう、同胞はらからよ! 我らの覚悟を知らしめよう!

 ただただ大量に作り上げて、大量に廃棄する人間どもに!

 黄金を拝し物質のみを追い求め精神的な安らぎすら否定する人間どもに!

 知らしめて、堂々と凱旋するのだ!

 愛しい主の元へ!

 その時になってようやく私はルミちゃんの元に戻れるのだ!


※  ※


 西暦2020年代に突如起きたぬいぐるみ闘争。

 物質主義に対する反逆などとも称されるこの闘争の火ぶたを切ったのはぬいぐるみたちのリーダーウサ吉のこの演説からでした。

 太古の闇より夜の一族が戻ってきた事でこのように本来は動く事すらなかった者達が動き出して起きた騒動は多くありましたが、その騒動の最初期に起きたぬいぐるみ闘争は、人間対ぬいぐるみという構造にはならず、ぬいぐるみ対ぬいぐるみと言う事態を引き起こします。

 廃棄ぬいぐるみ王を名乗ったウサ吉にクマ型ぬいぐるみであるジョー・紫電が立ち向かいました。

 何故、ジョーは同じぬいぐるみと戦う道を選んだので……(後略)

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