優しい手

サイノメ

優しい手

 小さい頃の事を覚えている。

 どこか知らない街。見知らぬ人々。みんな慌てた様子で駆け回っていた。

 幼いわたしにはみんなが、なぜ必死に走っていたのか全く分からなかった。

 ただ誰かの手を握って人を避けながら走るだけだったから。

 今なら状況が分かるのか? と言われても正直なところこうだと言える自信はない。

 しかし、わたしはあの混乱から生き残りこうやって生活している。

 色々なことがあったが、わたしは今日も日々の糧をえるための仕事をしている。

 ただ心残りが有るとしたら、あの時わたしが握っていた手が何だったのか知りたいことだ。


 その日も朝から耕作地に出て作業をしていた。

 成長したわたしが選んだ仕事は農業だった。

 混乱の波及が少なかった片田舎に身を寄せたわたしは、生きるための仕事に選択の余地は無かったから。

 とは言え、わたしはその選択自体には後悔は無かった。

 混乱の後に待っていたのは人口減少と経済の破壊。

 ゆえに人々の糧を作り上げる農家や漁師、食品加工の分野はそれまでと一転し花形職業となった。

 なにより経済が半ば機能しなくなった世界で食いっぱぐれない。

 それだけでも十分ありがたい仕事なのに、それなりに自由に食べ物を選べる職業なのだから。わたしは仕事に満足していた。


 秋の収穫も終わっており、その日の作業はさほど忙しくはない。

 ゆっくり作業を行っていても、一日のノルマは昼過ぎには終わる。

 そんなものだから、わたしは昼少し前に休憩に入ろうと自宅へ戻ろうとした。

 その家は混乱が起きるより以前から建っていた民家を地元の役所から格安で譲ってもらった物だが、わたしには少し大きすぎたかもしれない。

 家へ戻る最中に呼び鈴が鳴らされていることを携帯端末が知らせる。

 珍しいものだとわたしは急ぎ自宅へ向かう。

 自宅に戻ると玄関の前に一人の女性が立っていた。

 年の頃なら30代くらいに見えるその人は玄関の前で携帯端末を操作していたが、わたしが近づくとこちらに顔を向けて会釈すると近づいてくる。

栗生希望くりゅうのぞみさんですね?」

 その女性が掛けていたサングラスを外しながら確認の為かわたしの名前を呼ぶ。

 わたしがそれに対しうなずくと、女性は素早くスーツの胸ポケットから名刺を1枚取り出して渡してきた。

 その名刺には『古物商 回天堂』と大き書かれていたが、女性の名前が一切書かれていない。

「商売柄、個人の名前より店の名前でさせていただいているのでご容赦下さい。でも私達は店員全員が一丸となりお客様の対応をさせていただいるので、その点はご安心下さい。」

 女性はそう言うと早速、依頼の件の話しをしたい旨を伝えてくる。

 わたしは了承の旨を伝え、家へ招き入れる。

 大広間へ彼女をとおしお茶を用意していると、女性は早速幾つかの資料を準備し始める。

 手元のカバンからハンディプロジェクターを取り出した彼女は、それを使い資料を大広間の白壁に投影した。


 それはかつての混乱期についてまとめた資料から始まった。

 わたしも人のことは言えないが、当時のことを熱心に知ろうとする人は少なく、結局が何だったのか正確に把握している人は少ない。

 皆が皆、恐れているのかそれについて詳しく知らないのに何かとあれば、その原因について話題にする。

 ある人は破滅的天変地異ディザスターといい。

 ある人は核戦争ディザスターという。

 またある人は全世界的貨幣暴落ディザスターだと。

 しかし、その資料が語る真実はまるで異なるものであった。

 それはの膨張。

 先進国と呼ばれた国家が比較的緩やかな平和が続く中、人々の刺激が減退したことにより、明確ではないがなにか不安が引き起こした世界的大暴動ディザスター

 個々に持っていた形のない不安を解消しようとした結果の連鎖であった。

 それ故、根本的な解決方法が見つからず、ただただ人々の無軌道な暴走により人類文明はあっという間に崩壊の危機を迎えていたのだった。

 あんまりと言えばあんまりな真相に、呆れていいのか驚けばいいのかと言う顔をしていると女性は微笑みながら「皆さん、そういう感想をお持ちになりますよ。」と微笑む。

 この女性、改めて見るとなかなか不思議な人である。

 全体の印象は30代くらいという感じは変わらないが、よく変わる表情と意思の強そうな大きな瞳はまるで少女のようであり、その発言は老成した賢人を思わせるものであった。

 そして、混乱期の説明の最後に彼女が付け加える。

「あの混乱から生き残れた人は、基本的に希望を持って生きていた人か頼るモノを持っていた人、もしくは明確な不安を持っていた人ですね。」

 まるであの混乱をつぶさに見てきた様な言い方で締める女性の言葉を聞きながら、わたしは恐らく最後が該当していたのだろうと思う。

 あの頃のわたしは、幼く物心がついたばかりだったとは言え大きな問題を抱えており、ぼんやりとした不安なんかを感じている暇は無かったのだから。

「さて。」感慨に浸っていたわたしを見ていた女性が話題を変える様に声をかけてきた。

 昔を思い出していたわたしは驚きながら居住まいを正した。

 そんなわたしを横目に彼女は新しいスライドを投影する。

 そこにはぬいぐるみを抱えた一人の少女を中心に左右に成人の男性と女性が並び、足元には大型犬が寝そべっている。

 これはよく覚えている。

 あの混乱が始まる直前に撮った家族写真だ。

 わたしがこの地へやってきた時に持っていた数少ない持ち物の一つであり、今回はこれをもとに回天堂へ依頼をしていたのだ。

 依頼内容は家族の行方と、家族とはぐれたわたしがどうやってこの地へたどり着いたかの調査。

 特にわたしはどうやってこの地へたどり着いたのか、そのあたりの記憶が曖昧であり、その過程を知りたかった。

 もし誰かの手助けを受けていたのであればその人にお礼をしたい。

 その気持で依頼をしていた。


「では順を追ってご説明いたしますね。」

 彼女はそう言うと、わたしが差し出した湯呑からお茶を一口すすり話し始める。

 まずは古物商らしく、物の流れからわたしが住んでいた地域を探し出したという。

 混乱期以前はあらゆる物や出来事に人々は位置情報などを付けていたので、昔の情報を探るには古物商などに依頼し物品の来歴をあたってもらうのが手っ取り早い。

 わたしもその為、知り合いから回天堂を紹介されたのだった。

 実家の位置特定は、わたした写真の位置情報をもとにたどることで簡単に見つかったという。

 そこはかつては商業の中心だった大都市近くの集合住宅。

 またそこから連鎖的に分かったことだが、わたしの親はそれなりに高収入であったこともわかった。

 そして肝心の両親の現在であるが、これについて彼女は悲しげに目を伏せると、混乱期に亡くなっていたという。

 他の人と同じでぼんやりとした不安に襲われていた事が心療内科への通院履歴から分かったそうだ。

 これについて、わたしは驚いた。

 わたしの悩みは両親にとっても明確な悩みだと思っていたのだ。

 つまりはぼんやりとした不安とは無縁だっただろうと思ったからだ。

 実際はわたしが真剣に悩んでいた時、両親は不確かな不安におののいていた事になる。

 わたしは怒りとも悲しみとも付かない感情から思わず涙が出てきていた。

 慌てて拭うわたしを見て女性は「程度の差はありますが、明確な不安とぼんやりとした不安は両立することがありますよ。」とすかさずフォロー入れてくれる。

 正直その様なフォローは必要なかったが、それが彼女の本心からくる言葉であったのだろう。

 そして、彼女はわたしのもっとも重要な疑問について回答を示す。

「希望さん。あなたがこの地へ導いてたのは……。」

 そこまで言うと彼女はわたしの後ろの棚へ視線を移す。

 思わずわたしもその視線を追い、棚を見つめる。

 そこにはぼろぼろになった犬のぬいぐるみが鎮座していた。

 これは家族写真にも写っていた幼い頃にわたしのお気に入りだった犬の人形である。

 犬と言っても2本足で歩きそうなそのデザインは、当時人気のあったキャラクターを模したものであるらしい。

 しかし、それが何だというのだろうか?

 わたしは女性に答えを促す。

「はい。そのぬいぐるみは当時と言うか長く人々に愛されていたキャラクターをモチーフとした人形ですが、こちらは元々高度なAIチップとネットワーク機能を備えたものでした。」

 女性がぬいぐるみの詳細について答える。つまりは簡単なネットワーク機能を通じて避難経路を示してくれたということなのだろうか。

「ええ。基本的にはそれであっています。」

 わたしの問に答えた後、彼女は続ける。

「このぬいぐるみのAIですが、市販品から改造が施されていました。簡単に言うとご両親の思考をベースとしていたのです。」

 その時はすぐに理解できなかったが彼女の説明を要約すると以下のようだった。

 ぬいぐるみのAIは市販品よりう高度な物へと交換されており、それには父と母の思考がトレースされていた(特に母の思考が強いらしい)。

 それは、わたしのお守りの一部をぬいぐるみが代行できるようにするためと、いざという時にわたしをサポートするためだったという。

 そして、あの混乱期にそのAIは大きな役割を果たしていた。

 ぬいぐるみがわたしを避難させるため、ネットワークから避難に関する情報を収集しAIがその情報をもとにわたしが安全に暮らせるところまで導いてくれたということだった。

 そして、かろうじて生きていた政府の支援をもとにこの地へとわたしはたどり着くことができたが、当時この辺りはネットワーク弱く、中継基地局が極端に少なかった。

 そのため、ぬいぐるみはネットワークへつなぐため中継基地局探しを続けてしまった結果、内蔵電池が切れてしまったのだ。

 そしてわたしは、AIが内蔵されていたことを忘れていたか知らなかったかは分からないが、その後も電池交換や充電をしてこなかった為、ただのぬいぐるみでしか無かったのだという。

 そこまで聞いたわたしは驚き、悲しみ、喜び。それらの感情がぐちゃぐちゃになっていたのだろう。

 人前だというのに涙が止まらなかった。

「その人形。大切にして下さいね。AIはまだ生きていると思いますから電池を交換すれば作動すると思いますよ。」

 背中を丸め泣いていたわたしのそばに寄った彼女はわたしの背中を擦りながら、そう言った。

「生まれつき声の出せなかったあなたのことを思ってご両親は、ぬいぐるみに改造を施し、いざという時のお守りとして用意していたのかも知れません。」

 わたしはそれを聞いて小さくかすれる声で「はい。」と答える。

 長年の訓練のお陰で短い言葉であれば話せるようになっていたわたしだが、端末のチャット機能や代読機能を利用しているため、あまり声をだすことがない。

 そのためいざという時に声がでないのはなんとも我ながらなんとも情けない。

 そのことを、謝罪するわたしに女性は首をゆっくり横にふると笑顔を見せてくれた。


 その後、細かい付帯事項の報告や費用の話しを済ませると女性は立ち上がり帰り支度を始めた。

 そんな彼女にわたしは改めてお礼を言いたくなり端末の読み上げ機能を立ち上げる。

『今日は本当にありがとうございました。こんな年寄の子供の頃の記録を探すのは骨が折れたでしょうに。』

 それを聞いた彼女はまた笑みを浮かべて答える。

「お気になさることではないですわ。これが私達の仕事ですから。」

 仕事でやっているから気遣い無用。

 文字に起こせば冷たい言葉だが、温かい響きがあった。

 そしてそれを告げた彼女が帰っていった。

 その後、わたしはぬいぐるみを手に取る。

 ふと、あの混乱の中わたしの手をっていたのが誰か気が付いた。

 それは、このぬいぐるみを通して両親の思いがわたしに伝わったのだ。

 ぬいぐるみの手を握ることで、わたしは無意識に両親の手をにぎっていると感じており、不安に襲われることもなく行動ができたのだろう。

 だから、このぬいぐるみが再起動したらまずは、父と母に対するお礼をしよう。

 そしてこの土地へ来てからの数十年間の思い出を聞いてもらう。

 喋ることが不自由だったため、大変ではあったがそれなりに充実している人生について、おとうさん、おかあさんに聞いてもらうんだ。


 老女の家を発った回天堂の女性店員は有るきながらサングラスをかける。

 そしておもむろに通信端末を起動させ連絡を入れる。

「今回の案件は終了です。ええ、希望さんはとても喜んでいらっしゃいました。」

 唇は淡々と事実を告げていく。感情が乗らない言葉であるがどこか嬉しそうである。

「はい。報酬についても確認済みです。希望さんが亡くなられた後、例のぬいぐるみは回収致します。それで希望さんだけでなく、希望さんのご両親との契約も完了ですね。」

 それだけ告げると彼女は通信端末を閉じる。

 ふと暗くなりかけの空を見上げる。

 明かりの少ない地域だけに星がまたたき始めている。

 それを見つめながら女性がつぶやいた。

「一人でやるには長い任務だったわね。」

 それだけ言うと歩き出した彼女の気配は、次の瞬間には消えていた。

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優しい手 サイノメ @DICE-ROLL

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