第4話


 私から筆を渡されて、マルガレッティは微笑むと礼を言う。小鳥が囀るような声だ。

 最も幼い身でありながら、既に一族の誰よりも強い力を持つ彼女は時々両親などと研究や生産方針で口論をしており、その時ばかりはムクドリもかくやに騒ぐのであるが。

 さて、ぬいぐるみに転生した私だが、こうして自由に動くことが可能だ。その歩調は微々たるもので筋力も殆ど無いが、少なくとも己の意思で動けると言うのは元人間である私には喜ばしいことだ。

 これに気付いたのは私を完成させたマルガレッティが背を向けた際に、彼女から受けた痛みを少しでも復讐してやろうと思った時だ。立ち上がれたことに私は歓喜した。年甲斐もなく跳ね飛んだものだ。

 まあ、そのせいでマルガレッティに気付かれたのだが。

 私が立ち上がったことに彼女は少し驚いたようだが、次には彼女が指を鳴らした瞬間、私は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。

 力が全く入らないことに焦る私をマルガレッティは持ち上げて、綺麗な顔に好奇心と悪戯な色を混ぜた双眸を輝かせて言った。


「何か悪いモノでも憑いたのかな? まあ、良い、面白いから許す。しかし、お前の身体を作ったのは私だ、即ち生産者である私には逆らえない――お分かりかな、?」

 幼い見た目には不釣り合いな大人びた言葉遣い。だが、不思議にも馴染んでいるように私は聞こえた。

 有無を言わない私にマルガレッティは小悪魔の如く微笑むと、柔らかな寝台に私を乗せる。

 

 そんな馬鹿な、と私は思い再び立ち上がるが、こちらを振り替えずに指を鳴らした彼女の前には無力。可愛らしいぬいぐるみとして、私はストンと座り込んでしまう。

 流石に二度もやられると、私も理解する。

 彼女には逆らえない。

 そして、彼女はこのぬいぐるみに何か悪いモノ――つまり私が憑いている、正確に言えば私が転生したことを薄々と勘づいている。

 当時、この世界をよく解らぬ私は危険を感じて、以後不審な動きはしないように努めた。幸運にも寛容なマルガレッティは、私がある程度自由に歩くことは許してくれたので不便は無かった。

 最初の出会いこそ最低ではあったが、それ以降危害は加えず、私をあくまでもぬいぐるみとして丁寧に扱うマルガレッティ。当初抱いていた恨みも、早いうちに抜けていた。

 

 ただ、一つ文句を言うならば。

 ピョンちゃんは無いだろ、ピョンちゃんは……。

 私は三十五の大人ぞ。その呼称はきつ過ぎる。

 

 そんな私の不満などマルガレッティは知らず。

 私も声だけは出せず、一日一日を過ごしてゆく。

 何か事件が起きることもなく――

 何の変哲もない日々は退屈だが――

 何かと私を連れて何処かへ赴くマルガレッティのお陰で、退屈に押しつぶされることは無かった。

 まあ、生前、何か特別なこともせず――

 半ば自堕落に生きていた私の転生先としては、これ程に無い高待遇であることに違いはない。



 ある日、マルガレッティは私を連れて屋敷の屋根へ向かった。

 黒に少し青が混じる幻想的な夜空には、数えきれない程の星が輝き、白銀の月が煌々と狂気じみた存在を放っている。私が居た世界も夜は綺麗だが、流石にこれには劣るだろう。あの世界は夜でも明るすぎるのだから。

 吹いた冷たく心地良い風にマルガレッティは目を瞑り、私をギュッと抱える。

 

 苦しいから、やめて欲しいな。

 

 声に出しても聞こえない私の言葉。

 当然マルガレッティの耳にも聞こえず、彼女はしばらく私を抱きしめると、やがて口を開いた。


「あの海の向こうが見えるかピョンちゃん。あの水平線の先には、私たち魔族の信奉する魔王様が居られる」


 無論見える訳がない。だが、雰囲気を壊してはならないと私は小首を動かした。

 マルガレッティは私の仕草に微笑むと水平線の向こうを一心に見つめながら、言葉を紡ぐ。


「いずれ私たちは魔王様の元に戻らねばならない。強力な転生者を従え魔族を魔物を滅せんとする連中との戦いに参戦せねばならない。だが、まだまだ私たちが生産した魔物では忌まわしき転生者の足元にも及ばない。

「私は必ず成し遂げる。より良い魔物を、強力な魔物を、万能な魔物を作り上げ、それを率いて魔王様の元へ戻る。それが我等が一族の定め。

「大失態を犯し、魔族を窮地に陥らせながらも、それまでの貢献を鑑みて単なる追放に罰を留めてくれた恩義に報いねばならない。

「故に魔王様が危機に瀕すれば、例え今の研究が不十分であっても、滅私奉公の所存で私は生産した魔物と共に自ら馳せ参じるつもりだ。

「その時にはピョンちゃん、お前にも連れて行く」


 滔々と告げた言葉。

 その最後の言葉に私は不穏な気配を感じる。


「お前には私の魔力を籠めてある。緊急時の魔力補給用として、更には魔術の中継器として使うためにだ。おっと、残念だがお前には使えぬぞ」


 マルガレッティは強く抱きしめていた私を少し離す。

 持ち上げた私をマルガレッティが見つめる。

 吸い込まれそうな程に美しい双眸。

 普段は妖しい幼気を。

 怒れば激しい灼炎を。

 泣けば悲しい涙滴を。

 笑えば美しい光輝を。

 そして、強い意志で私を見る今は――真剣さを。


「お前を使い潰すつもりは微塵もない、見捨てもしない。精霊か悪霊か、物の怪か、それ以外の何かは知らんが、このぬいぐるみに宿っている何者かよ、私の頼み聞いてもらう、嫌とは言わせんからな」


 強引だな。

 私はそう思う。

 だが、どちらにせよ、今の私に拒否権はない。

 それに、彼女の言うことが起きるかどうかは、怪しい。

 いや、むしろ起きては困る。

 だが、まあ、構わないだろう。

 彼女は今まで私を丁寧に扱ってくれた。先の言葉も嘘な筈がない。

 何より――幼い子供が真剣に頼んでいるのだ。

 大人として、それがとんでもない我が儘でも――聞くべきな時もある。

 

 私は片手を振り、彼女の言葉への同意を示す。

 

「ありがとう。決して離さぬからな……」


 マルガレッティは囁くように言うと、再び私を抱きしめる。

 ああ、苦しい。

 これは呼吸の出来ない苦しみか、はたまた――何か。



 

 

 その後、マルガレッティと私はとある事を機に魔王のいる大陸へと向かうことになる。

 それに至るまでにも、マルガレッティが家長となる際に起きたひと悶着。勝手に決められた婚約者たちから逃げるマルガレッティと奮戦する一族、それを傍観しつつも何故か巻き込まれる私。

 またある時には、ゴーレムやスライムたちの反乱。それに関わるマルガレッティたちを疎ましく思う古い魔族連中との争い。

 更にはマルガレッティたちを潰そうと挑んでくる転生者たち。一族の命運を賭けた、強力無比なる転生者との悪事・謀略・裏切り・愛憎が混じる血と泥のような戦い。

 そして、魔王の元へ参った二人がどのような活躍をするの。

 それはまた別のお話。

 いつ書かれるかも分からない、別のお話で――叶うならば、また会いましょう。

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転生先はぬいぐるみ 金井花子 @yanagiba0731

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