【KAC20232】徒然なるままに~KAC2023②

鶴崎 和明(つるさき かずあき)

第二段 旅は道連れ

 母方の祖父が亡くなったのは、私が小学二年生の晩秋であったのだが、いまだに覚えているのは遺骸いがいの前で崩れる気丈な母と棺に納められた祖父である。

 真新しい白木の棺と白装束に包まれた祖父は、僅かな白髪と頬の辺りの染みを残し、仏間の真中に置かれていた。

 昔の畳は今よりも一回り大きく、葬祭場に移るまでの間、子供ながらに六畳間の寂寥せきりょうを感じずにはいられなかった。


 その後のことはあまりよく覚えていないが、ひどく慌ただしかったように思う。

 棺を出すために戸を外して悪戦苦闘する大人たちと、駐車場が周りになく、ゴミ捨て場で坂に耐えながら待機していたいかつい寝台車。

 通夜の後に料理をするゆとりもなく、深夜にいただいた唐揚げ弁当が映像としては残っているが、その時の思いは辿りようもない。

 祖父の息を引き取った日の昼食が、好物であった「吉宗よっそう」のうどん入りの茶碗蒸しであり、その食欲の旺盛おうせいさに安堵あんどしたのは覚えているのだが……。


 葬式の執り行われる日、私は初めて六曜に「友引」というものがあるのを知った。

 大安や仏滅などがカレンダーに書かれていたのをなんとなく眺めてはいたのだが、それにどのような意味があるかなど分かるはずもない。

 友引は元々、勝負の決着が引き分けとなる日という意味であったようだが、あてられる漢字が変わるにつれ、友を引き寄せる日となったそうだ。

 故に、慶事には良いのだが、葬式などの凶事では友を道連れにするということでむ方もおり、この時もひと悶着があった。


 そこで、祖父の棺にいくつかのぬいぐるみが納められることとなる。

 友の代わりに彼らを連れてということであったが、九十を過ぎた祖父が兎や人のぬいぐるみに包まれる姿というのはどこか幻想的で、どこか滑稽であった。


 秋深し 死出の旅路の 餞別せんべつは 寂しがり屋の 孫の友垣ともがき


 友引の結婚式に参加して婚期が来ぬのも、我が家のぬいぐるみのせいなのかもしれない。

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