この本、ありますか
藤堂 有
この本、ありますか
午後8時を過ぎていた。
書店員の水澤は、レジ脇に設置している社員用PCで作業していた。
そろそろ閉店準備を始めなくてはと思いながらデータ入力をしていると、ふと人の気配を感じてPCから顔を上げた。
気配のする方に顔を向けると、学生がカウンターに立っていた。
肩に黒いスクールバッグを掛けていて、詰襟の学生服を崩さず着込んでいる。
水澤の見立てでは、身長は170cmをとうに超えていて、礼儀正しそうな雰囲気から察するにいい所の高校生のように感じた。
全体的に少し伸びた黒髪は前髪が目に掛かっていて、切ってやりたいなと思った。
水澤は慌ててカウンター前に立って、頭を軽く下げた。
「お待たせしました。お困りですか?」
「この本、ありますか?新刊とか出版社のコーナーとか探してみたんですが、見当たらなくて」
そう言いながら、青年は書影が写し出されたスマートフォンを店員に差し出した。
画面がバキバキに割れているのが気になったが、私のスマートフォンも画面割れてるしな、と水澤は気に留めなかった。
なんとか書名を読み取る。
喉の奥でうん、と唾を飲み込んでから水澤は営業スマイルを青年に向けた。
「確認をしますね。少しお待ちください」書影にある本のタイトルをパソコンのキーボードでカタカタと叩く。
エンターキーが押されると、Now loadingの文字と丸い円がぐるぐると回るアニメーションが現れた。
それから数秒して、結果が表示された。
──検索結果:0件
入力を間違えただろうか? それとも著者名で検索した方が良かったか?
水澤は小首を傾げつつも、青年に向き直った。
「もう一度書影を拝見できますか?著者名で検索させていただきたいのですが」
青年はもう一度スマートフォンの画面を水澤に見せた。
再び検索バーから、今度は著者名を入力して検索をかける。
──検索結果;0件
水澤は僅かに眉根を寄せて悩んだ。
著者名で検索結果に出ないということは、これからデビューなのだろうか。
しかし、書影まで出ていて検索結果に出ないものか。
青年の顔をチラリと窺うと、青年は不安の色を滲ませていて、水澤もますます悩んだ。
「申し訳ございません。検索結果に表示されなかったのですが、よろしければ、版元に問い合わせいたしましょうか。今日はもう夜遅いので、明日一番に確認させていただいてご連絡差し上げます」
「はい、お願いします」
では、と水澤は引き出しから用紙を取り出すと、青年に名前と電話番号とメールアドレスの記入を促した。
青年はサラサラと整った文字を書くと、再び水澤に戻しながら申し訳なさそうに問うた。
「連絡って、できればメールで送ってもらえますか? 明日一日電話に出られそうにないので」
「かしこまりました。メールでお送りいたしますね──葛城様」
いつの時代も学生は忙しいのだな、と思いながら水澤はにこやかに了承した。
翌日、水澤がレジ脇の電話機から版元に問い合わせると、7回も保留音を聞く羽目になった。
たらい回しにされ続けて水澤の顔もうんざりしたものとなっていたが、ペン回しに勤しんでいると、突如保留音がブツリと切れた。
『もしもし、第二営業部の相川といいます。水澤様がお会いしたその学生について、詳しくお聞きしたいことがあるのですが、今からそちら向かっても大丈夫ですか?大変申し訳ないのですが今日中にお伺いしたいのですが、』
電話の音。バタバタという音。電話の向こうの『タクシー来たぞ!』と言う声。水澤の返事はそれらの音に飲み込まれていった。
相川の焦った声が水澤の耳に響く。
『今もう向かってますので、着いたらまた連絡させていただきます』
そう言うと相川は一方的に電話を切った。
そして、15分もしないうちに再びレジ脇の電話機に電話がかかってきたのと、耳にスマートフォンを当てている黒いスーツ姿の男がレジ前に現れたのは同時だった。走ってきたのだろう、男の額には汗が滲んでいる。
「夕星社第二営業部の相川と申します。弊社にお問い合わせいただきました水澤様にお話を伺いたいのですが」
店長に事情を話し、スタッフルームに相川を通した。椅子に座るよう促し、向かうように水澤も座った。
水澤が知ったのは、こういうことだった。
信じられないがあの青年は、本の著者──葛城紫苑だったのだ。
相川はその編集担当だった。
作業を進めていた矢先に交通事故で亡くなった。
相川の話を聞くに、かなり力を入れて担当していたのが窺えた。
これからすごい作家になることを期待された人だったのだと水澤は思った。
青年が見せた書影は、デザイナーがいくつか提示した案のうちの一つだった。相川がバッグからファイルを取り出した数枚の表紙案に、同じデザインのものがあったからだ。
その旨を話聞いた相川は寂しそうに笑った。
「では、表紙はこれに決めましょう。選んでおいてくださいと話していたんです。彼の希望をできるだけ叶えてあげたいので。それと──」
「何か?」
「──せっかくなので、ゲラを読んでいただけませんか? 何かの縁だと思うので。読んだら唸ると思いますよ。すごいんです、彼。もっと沢山作品書いて欲しかったなあ」
水澤は二つ返事で了承した。
この本、ありますか 藤堂 有 @youtodo
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