最終話「そしておれは、本を売る」

「アキ、店番くらいやれ!」


 店先に座るアキは、返事もしない。夢中で本を読んでいる。

 そのすきに、女がひとり入ってきた。良く日に焼けている。漁師のカミさんだろう。

 

「これ、売ってるの? いくら?」

「どれでも銅貨1枚。3冊買ったら銅貨2枚にするよ」

「高いわ。そんなにない」

「じゃあまけるから……え、金はぜんぜんない? かわりに今朝あがった小魚をよこす?

 ……まあいいか。何もないより、ましだ」


 あの日から、おれは本屋をはじめた。革鞄は売ってしまったので、本を軒先に並べておいたんだ。

 売ると言っても、『エンド』には余計な金を持っているヤツはいない。連中は金の代わりに売り物にならない魚を持ってくる。


 本と魚を交換する。塩と交換することもある。芋のときも、酒のときも。

 毛布と交換したときは、アキにやった。物々交換で本が少なくなっていくにつれて、本のベッドが薄っぺらになったからだ。


 アキは昼間は自分の家に戻り、掃除や洗濯をこなす。夜になり、母親が仕事を始めると、うちに来る。

 うちに来て、本を読む。

 たまに店番をする。

 本を読む。

 おれの夕食に雑魚を焼く。

 本を読む。

 おれの酒を買いに行く。

 本を読む。


 アキは本屋の看板みたいになった。本をもって読みながら『エンド』じゅうを歩きまわるからだ。

 夢中になって、読んでいた。


 人々はアキに聞いた。

「何をしてるんだ?」

「本を読んでる」

「おもしろいか?」

「『ここ』じゃないところへ、行けるよ」


 やがて住人に、アキの熱狂がうつりはじめた。連中は雑魚や芋や米を持ってきて、本を持って帰った。


「よう、アキ。今は何を読んでいる?」

「『キスを待つ頬骨』」

「……ガキにはまだ早いだろ。エロいぞ、あれ」

「へいき。おもしろい」


 やがて、みんな本屋へ来るようになった。

 人気が出て大勢に回し読みされる本もあるし、表紙がきれいな本はコレクションされた。高値で売買されるものも出てきた。

『エンド』じゅうに、本が流通しはじめたんだ。


 アキはすべての本を読みつくし、おなじころ本の在庫がなくなった。

 空っぽのぼろ家で日を浴びながら、アキに言う。

「本屋は終わりだな。もう売るものがない」



 そのとき、外から男の声がした。

「——必要なら、また本を供給するがね?」

「おっさん」

 そこには、おれに最初の本をよこした男が立っていた。

 おれはあわてて、


「わりい、別にアンタをだまして、この家を銀貨はんぶんで買って、残りをおれのもんにしたわけじゃない」

「……そうだったのかね?」

「あと、革鞄は売っちまった」

「……ほお?」


 そこへ、ひょいと小さな手があらわれた。爪のあいだに泥が詰まった子供の手。アキだ。


「もっと本をちょうだい! もう読むものがないの」

 おっさんは笑ってうなずいた。

「では、次の在庫を渡そう。かわりに……そうだな、この子を連れていこうか」

「おいおい、それが狙いかよ、おっさん!」


 おれはアキとおっさんのあいだに立った。


「アキはまだガキだ。おっさんの役には立たないよ」

 おっさんはアキの痩せた身体をじろじろと見て、

「いやあ、十分だ」

「あんた、趣味が悪いな。幼女好きかよ」

「幼女……だが研究対象としては最適だな」

「研究? ネズミみたいに切り刻むんだな。アキ、奥へいってろ。おれが守るから――」

「いやいや、君も来るんだよ、ハルトさん」

「……は?」


 おっさんは満足そうに外を見た。

 『エンド』の住人が、本をかかえて歩いている。木陰で読んだり、交換したりするんだろう。

 おっさんは言う。


「これは政府によるリサーチの一環でしてな。

『読書習慣のない地域に、紙の本を提供したらどうなるか。それを調べるために、現地に本屋を設置する』というプロジェクトだ。

 想定以上の結果が出たよ。君のおかげだ、ありがとう」

「結果?」


 おっさんは重々しくうなずいた。

「この地域には、みごとに本屋が根づいた。見なさい、これは君の本屋が作り上げたものだ。

屋内で、屋外で、みんなが本を読んでいる。知識が手渡しされ、流通し、動いている。いわば――『青空本屋』だな」


 おれとアキは外を見た。

 そこには確かに、屋根のない本屋が存在した。

 本を手わたす、受け取る。また渡す。

 読む読む読む。

 あざやかな青空の下で、無限の本屋が展開しつづけていた。


 おっさんはつづける。

「リサーチした結果を、文書にまとめねばならん。そこには『現地スタッフ」の意見が必要でな」

「ハルトの事だね」

 アキは言った。

「アキの事だな……って、だましたな、おっさん」

 おれは笑いはじめた



 本は、人々の波間を生き生きと泳ぎ抜ける。潮に乗る魚のように。

 知識をまき散らし、ここではないどこかへ連れて行って、今日いちにちを生き伸びさせてくれる。それが本だ。それが本屋の役目だ。


 そしておれは、また明日も本を売る――。



【了】

『この世の果てで、本を売る』

 2023年3月3日

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【KAC20231】『この世の果てで、本を売る』 水ぎわ @matsuko0421

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