最後の一冊

冬華

最後の一冊

時計の針は、9時50分を指している。もうすぐ、この店は閉店だ。店内にはホタルノヒカリも流れ始める。但し、いつもと違うのは、もうこの店に明日がない事。大正の頃から5代続いてきたこの古本屋は、時代の流れに屈して今日で105年の歴史に幕を下ろすのだ。


「はあ……」


レジでその時間を待ちながら、一人ため息を吐いた。赤字続きだったとはいえ、これで本当によかったのかと。そうしていると、中学生らしき女の子が店に入ってきた。この子が最後のお客さんになるであろうことは直感的に理解した。何しろ、他に客はいない。


しかし、本当に買ってくれるのだろうか。明日の閉店に向けてセールを行ったため、少女コミックスが並んでいた棚は閑散としていた。だから、すぐにUターンして出て行くだろうと。ところがだ。この可愛らしい少女は何冊もの本を抱えてレジにやってきた。


一番上のタイトルは、『フィネガンス・ウェイク』。ジェイムズ・ジョイクの著作で、世界で最も難解だと評されている本だ。しかも、1巻ではなく2巻を購入しようとしている。


「凄いな。まだ中学生なのに、こんな難しい本を読むんだね」


「えっ!?どうして、中学生だと……」


「だって、何度か見たことがあるからね。西中の制服着ていたのを」


この子は一体、将来はどうなるのだろう。もしかしたら、作家にでもなるのか。


そう思いながら、レジを打ち1冊目を脇に置く。すると、次に現れたのは『トラストリム・シャンディ』だ。ロレンス・スターンの著作で、彼の文豪、夏目漱石が愛した奇書でこれもまた難易度が高い本だ。しかも、これも下巻だという。どうやら、かなりのツワモノだ。


(そして、次は……)


どんな本が出てくるのだろうか。そう思っていると……そのタイトルに固まってしまった。その名は、『禁断の園——王子と騎士の秘密の関係』。しかも、表紙の絵柄は、美少年同士が上半身裸でうっとりと見つめ合っているようなものだった。


「え……?」


間違っていないかと思って少女の目を見るが、彼女は気まずそうに眼を逸らした。どうやら、間違いではないらしい。


(いや……これが本命か!)


そういえば、昔、こういう手段でエロ本を買ったことがあったと思い出した。あのときは……そう感傷に浸りながら、黙ってレジを打った。本当は、このような本を売ってはダメなのだが、どうせ今日でおしまいなのだ。懐かしさに免じて見逃すことにした。


その後に出てきた経済専門書と大学入試対策の赤本に挟めて紙袋に入れて手渡してやる。どう見ても、年齢にマッチしないのでこれもカモフラージュなのだろう。


「ありがとうございました」


去り際に心を込めて言葉を掛けてあげたが、彼女は振り返らずにいそいそと店を去っていった。すると、10時のアラームが鳴った。閉店だ。


「それにしても、最後に売ったのがBL本とはな……」


誰もいなくなった店で、自然と笑いがこみ上げてきた。代々ここに座って、店を守っていたご先祖さま方はどう思っているだろうかなと。だが、これもまた、この店の歴史だ。しかも、最後の1ページ……。


そう思いながら、二度と開かないシャッターを下ろしたのだった。

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最後の一冊 冬華 @tho-ka

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