本屋にて【KAC20231『本屋』】

石束

本屋にて【KAC20231『本屋』】


 恐る恐る扉をあけるて店に入ると、何とも言えない匂いが充満していた。


 薄暗い店内だ。だが必要十分というか、不自由のない程度の明かりがある。

 上を見上げると、天井の部分に小さな――ほんとうに小さな天窓がある。


「さっさと扉を閉めな。本が傷むだろ」


 そんな声にびくりと驚き、あわてて扉を閉めたのは、まだ15歳になるかならないかの少年だった。

 あたりを見回した後で周囲の「本」――壁に作り付けの棚を埋めた上で、床から天井近くまで積みあがった本を呆然と見上げていたが、やがて、意を決したように真っすぐ迷わず、奥まった本棚の陰へやってきた。


 そこには魔法の光を宿した水晶灯と小さな書見台があって、小柄な灰色の服の老婆が背もたれの無い椅子にすわって本を読んでいた。

 この店の店主だ。


「見ない顔だね。誰の使いだい?」


 少年は一瞬あっけにとられたようで、ぽかんとしてから、小さく首をふった。


「使い、ないです。ギルドで、本屋だと、きいてきた……です」


 拙い王国公用語だった。どうやら使いではなく、客だったらしい、が。

 

「確かにウチは本屋だけどね」


 年恰好と言い、くたびれた旅装と言い、書物に縁があるようにはとても見えない。冒険者ギルドによってきたらしいが、冒険者としては良くて駆け出し、普通なら荷物持ちで雇われた見習いといったところだろう。それに賢者や魔導師以外の冒険者はそもそも本など読んだりしないし、少なくともこの少年は賢者にも魔導師にもみえない。

 話の通じない客は大抵トラブルを連れてくる。書物に縁のないタイプの冒険者など無頼漢と大差ない。


 ――まったく


 書物は総じて高価である。

 まず装丁に手間がかかり、均一で上質な紙の確保が容易でない。次に書き写すには人の手がいる。魔術で写し取ったなどという昔話はあるが、そのような魔術を作るか会得するよりも、書き写した方が早いのでどこまで行っても手仕事になる。

 なにより書物に刻み込まれる叡智には値段が付けられない。学術書、宗教書、文学書、日記、紀行文、娯楽小説、演劇の脚本、哲学、魔術、魔法書とさまざまだが、それぞれに知識と思考、才能や情熱が必要になる。


 できたらできたで保管も大変だ。

 湿気にも火にも弱い。油断すれば紙魚が浮く。

 何より重く、場所をとる。

 整理するにもそれなりの方法が必要だ。


 事程左様に書物にかかる手間はおおい。

 書物が高価なのはそのためだ。 


 故に本屋は商売相手をえらばなければならない。

 油断をすれば、比喩でなく命取りになることだってあるのだ。


「ギルドの連中にも困ったもんだね。口が軽いったらありゃしない」


 あそこが、一見の客を紹介するような真似をしたことはなかったようにおもうが、たまたま新人の受付嬢でもカウンターにすわっていたのだろうか?


「それで? 何の用だい? ウチは本屋だよ?」


 少年は慌てて背嚢を下ろすと、一冊の手帳を取り出して老婆に広げて見せた。


「………は?」


 見慣れない材質のつるつるとした手触りの表紙に、どうやって引いたか想像もつかない細くまっすぐな罫線。

 そして、そこに整然と並ぶ。美しいブルーブラックのインクでつづられた、


「古代魔法王国語?」


それは、現在の公用語のもとになったという古い古い、昔の文字であった。


「いったい、あんた、なんでこの文字を……」


 少年は再び背嚢に手を突っ込むとそこから店主が見たこともない不思議な棒状の道具を取り出した。

 その道具を紙の面にさらさらと滑らせて同じ文字を書いて見せる。それでその道具が筆記具であることが店主にもわかった。


『文字は師より教えを受けました。いずれ村の外へでるのであれば必要になるであろうからと』


 この手帳は少年の手控えであるらしかった。また公用語の会話と違い、やや言い回しが古風であるが、古代語でつづられた文章は十分に流暢だった。


『私は本を探しています。料理に関する本で、書名は……』


◇◆◇


「いやはや、おどろいたね」


 店を出ていく少年の後ろ姿を呆然と見送って、店主は腰を下ろした。

 あまりに意外な少年の、外見を裏切る知識と人間像に、正直、思考が追いついていない。


「すいません。おばあさま」


 勝手口からの聞きなれたおとないに、店主はようやく体のこわばりが解けた気がした。

 仕切りの布をあげて、神官服の少女が入ってきた。


「びっくりされたでしょう? 私が先に来るつもりだったのに、向こうでひきとめられてしまって」  


 店主は立ち上がると辞を低くして一礼する。


「いえ。――では、あの少年に当店をおすすめくださったのは『お姫様おひいさま』でしたか」

「彼が、故郷のお母さまのために必要な本だときいたので、ついお節介をやいてしまいました」

「さようでしたか。……はて?」

 と店主は首をひねった。

「あれは確かに料理の本でございますが、そのような類の本ではございませんが」

「そうなのですか?」


 古代魔法王国の稀覯本で時価がいくらになるか見当もつかず、この道では少しは知られた店主ですら、大図書館で一度見たきり。


 行きずりの旅人が内容を知っているような本ではないはずだが。


「何という本なのですか?」

 はい。と店主は恭しく答えた。

 

「古代魔法王国の宮廷料理を網羅した叢書で通称を『アピキウス』」


「正式名称を『グランバリア饗宴録』と申します」



         




次回に続くと、いいな(希望的観測)





 

 

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